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2013年1月31日

人は必ず死ぬのだけれど

数日前に、昔勤めていた会社で部下だった女性から電話があり、あれ、どうしたの、珍しいね、なんて話をしていたのだけれど。

疎遠になっていて、もうおそらく連絡することなどないだろうと、アドレス帳からは削除していた人だっただけに、少し驚いたのが正直なところ。

アドレス帳からあなたのことは消しちゃったんだけどね、と素直に言ったら、削除するなんてひどいですよ、なんて言われつつ、時々当時の仲間と呑んでいたりするらしく、僕の連絡先が分かったので、また呑みましょうよ、という話だった。

まあ、それはいいけど、みんな元気なの? と聞いたところ、いや、笑えない話があるんですよ、と言う。

何、その意味ありげな物言いは、と思い、何があったの? と問うと、いや、今度呑みに行った時に話そうと思ったんだけれど、と言う。

もったいぶらずに言いなさいよ、とたたみかけると、当時、共に働いていたやはり部下だった女性が半年前に亡くなったのだという。

は? と僕は耳を疑った。 電話をくれた女性ともう一人の女性、僕の上司にあたる年上の男性、そして、亡くなった女性とは、仕事帰りに結構呑んだりしていたのだ。もう、10年以上前の話。

だが、亡くなった女性とは仕事上であまり良い関係ではなく、僕としてはいろいろ思うところもあり、もちろん、相手にも思うところがいろいろとあったと思え、冷たい関係になってしまっていたので、電話でその女性の話題が出るまでは思い出しもしなかったのだ。

がんで亡くなったのだという。そうなのか、と一瞬思う。
そして、思いもよらない鈍いショックがあった。

え、なんで、彼女がなくなったからと言ってショックを感じるのだ? と僕は思う。良くわからない。

平静を装って、電話の女性とバカ話をし、みんなで呑みに行こうね近いうちに、と電話を終わったのだが。

ショックが立ち去らない。なぜだろうか。僕は自分をいぶかしがる。

この数日、ときどき亡くなった女性のことを思い出しては、またショックが蘇る。そして僕は分かったのだ、その理由が。

そんなに早く死ぬなよな、って思ったってことだ。
そう思わせる人だった、ってことだ。

仕事上のうんぬんがあり、僕はむかつくことがあったし、それは彼女にしてもそうだっただろうと思う。でも、そういうことはうわべの話なんだな、って思うのだ。

おそらく、僕は、その当時でさえ、彼女のことを認めていたのだろう。とても頑張るし、一途だし、何よりそのキャラクターはあまり見かけないような魅力的なものだった。つまり、素敵な人だったのだ、と思う。

仕事上ではどうしても駄目だったけれど、人として僕は彼女を認めていたのだ、と改めて思ってしまったのだ。だから、びっくりしたと同時に、え、まさか、あの人が、そんなに早く死ぬなんておかしいじゃないか、と思った、ということなのだ。

それが、ショックの原因・理由。

もう、50歳になろうとする自分は、自分の人生についていろいろ考えてきた。いろんな理屈があるだろうし、考えるべきさまざまなことがたくさん転がっている。50年生きたって、別に何があるわけでもないのさ、と思ったりもする。

でも、理屈や理由はどうでもいいから、自分より若い魅力的な人が自分より先に死ぬなんて、ダメだよ、って思ったのだ。

そう思わせる人だったのだ。

これまでにたくさんの人とかかわってきた。自分という基準でその人々を観たとき、それぞれの人たちに対する感情や、言葉は悪いけれど評価がある。年上の人も、同い年の人も、年下の人もいる。

そういった個々に対する自分の中での判断基準などどうでもいいよ、なんで死んじゃったのさ、って思ったのだ。

そう思わせる人だったのだ、と思う。


人は必ず死ぬのだけれど、早逝は辛いな。
心の底からそう思った。

生きていたってもう、連絡を取るような間柄じゃなかったので、二度と会うことはなかっただろうと思うけれど、それは可能性の問題であって、こんな、まったく絶対にもう会うことがないという、その可能性さえ断ち切られるようなことは、悲しいな。

歳をとると、こういうのは辛いんだなと、初めて思った。

ご冥福を祈る。
合掌。

2012年11月25日

久しぶりに良書と出会った

宇宙に関する本が読みたくなって、数週間前に図書館に行った。そこで見つけて借りてきた本である。

『すべてはどのように終わるのか あなたの死から宇宙の最後まで(How It Ends - From You to the Universe)』
クリス・インピー(Chris Impey)著
小野木明恵 訳

僕は本を褒める人ではない。おそらく、自分の中の変なプライドやものの見方がそうさせるのだと思うのだが、滅多に「これはよい本だ」とは言わないのである。

さまざまな本をこれまでに読んできたが、だいたいの場合(ほとんどの場合、といっても良いかも知れない)、最初の1/10ほど読んでやめてしまう。のめり込める本が少ないのだ。

その結果、僕の手元には、小松左京、村上春樹、阿佐田哲也の3氏の本しかない。この3氏の本を繰り返し繰り返し、読んでいるのだ。

特に、小松左京に傾倒している。何だ、SFか、と言うかも知れない。まさに、SFの巨匠だ。だが、小松左京を深く何度も読んでいる人はわかっていると思う。小松左京氏の著作は、SFを舞台にした人間文学なのだ。異論があることは認める。だが僕は、SFという枠を大きく越えた文学であると強く思っている。

そんな人間が良書だという本だから、まさにその手の、理系的な、宇宙的な、物理的な本なのだが(笑)。

クリス・インピー氏は天文学が専門の大学教授である。またそういうと、小難しい専門用語がたくさん出てくる理系の本なのだろうと想像されるだろう。ところが、この本はちょっと違う。極力、専門用語は使わないと「はじめに」で著者が断っている。もちろん、専門用語なしでは成り立たない内容だが、大変わかりやすいストーリーと、巻末での詳細な追加説明でより理解ができるように配慮されている。

でも、そんなことで僕は良書とまでは言わない。したためられている内容が魅力的なのだ。

この手の個人的感想では、当然、著作の詳細な内容を説明することはできない。詳細を説明してしまいたい欲求を抑え、簡単に書くと、この本は「始まりと終わり」の本である。だが、村上春樹氏の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のようなものを想像してはいけない。この本は小説ではなく、天文学とか物理学とか、その手の世界で検証された、または、検証されようとしている「事実」が書かれている。

こう書くと、ああ、また難しい話だと思われそうだ。
だが、とても読みやすい。読者を飽きさせないように、所々にジョークがちりばめられ、心温かくなったりもする(心凍る事実もたくさんある(-_-))。

だいたいにおいて(ほとんどの場合といっても良いかも知れない)、この手の翻訳ものは、文章が翻訳調になってしまって読みづらいものだが、この本ではそのような感じがまったくといっていいほど、ない。訳者の力の大きさを感じたものである。

特に衝撃を受けたのは、炭素の話である。炭素? そう、地球温暖化でいろいろ問題になっている二酸化炭素の構成元素の一つである炭素である。

人間は多様な有機物で構成されているが、元をただせばいくつかの元素である。特に量の多い元素が炭素「C」である。僕ら一人一人の中にも大量の炭素が存在するのだが、その炭素がどこから来たものなのかと言うことが書かれていたら、興味を引かれないだろうか。

ビッグバンからさまざまな過程を経てできた炭素が、宇宙の星々を構成し、星が終末を迎えて壊れ、星を形作っていた炭素はまた宇宙を漂い、地球ができるときに取り込まれ、その一部の炭素が僕らに含まれている。そういう話。

そして僕らはやがて死ぬ。火葬されるのか、土葬されるのか、いずれにしろ、分解される。僕を構成していた炭素は果たして次は何を構成するのだろうか。そういう話である。

もちろん、炭素の話だけではない。さまざまな始まりと終わりが書かれている。

そして、最後は宇宙の話。
宇宙は137億歳と言われているけれど、そういえば、この先宇宙はどうなるのかって言うことを、あんまり読んだり聞いたりしたことがないな、と思っていた。

この本を読むと、現在わかっているレベルでの話だろうけれども、宇宙がこの先どうなるのかがわかる。そして、137億年というのは宇宙にとって序盤も序盤であり、全然まだまだ、これからなのだと言うことがわかり、実は圧倒された。

そういうスケールの本なのである。

。。。
。。。
。。。

このまま書き続けると、詳細を書いてしまいそうなのでやめる(笑)。

とにかく、この本に出会って良かったと素直に思ったし、書かれている内容は壮大すぎるけれども、自分の人生に投影すると、何かしら感じ入るところがあるかも知れないと僕は思う。

図書館で借りてきた本なので、今日返さなければならないのだが、手元に置いておきたいと思うので、たぶん近いうちに購入するだろう。そして、何度も読むと思う。

なかなか、そういう本には出会わないので、素直に嬉しかった。

2012年11月17日

一日一食、そしてゴボウ茶 ※シモの話あり~途中から閲覧注意※

このブログはダイエットブログになりつつあると思いつつ(笑)。

前回のダイエット記事、「中年ダイエット」で書きましたが、炭水化物抜きも限界まで行くと、その先が辛いです。だから睡眠をたっぷり取りましょう、なんてことを書いたのですけれど。

忙しいときは、そうそう寝てられない(泣)。そりゃそうだ。

で、何かと話題になっていた南雲吉則氏が推奨する「一日一食」そして「ゴボウ茶」を試すことを決意したのでありました。

夏の初めくらいだったでしょうかね。炭水化物抜きだとどうしてもリバウンドしてしまう。つまり、まったく炭水化物を取らないわけにはいかないので、時々食べる。そうすると太る。で、またやめる。すると減る。その繰り返しなのですね。

肥満状態(僕は105kgでした)から炭水化物抜きはすごく効果がありますが、いったんダイエットが実現すると(僕は92kgまで落ちました)、その先は厳しい、というのが実感でした。

それにですね、やっぱり脳みそが逝っちゃう。仕事にならない。だからといって炭水化物を摂取すると、眠くなるんですね。。。むー。

で、チャレンジした一日一食ですが、これは最初はきつかったですね。一食なら何を食べてもいい、とは言っても、つまりは「プチ断食」ですから、朝はまあいいとして、昼に何も食べないっていうのは、「ムリっ!」って感じで、当初は我慢できずに食べちゃいましたね。結果、太る(笑)。

その空腹感を紛らわすためにゴボウ茶なのだなと思いまして、長~いゴボウを買ってきて、せっせせっせと皮むき器でしゃりしゃりささがきにして、真夏は天日干しにして乾いたらフライパンでとろ火で煎る。するとできあがり~。

焦げる寸前まで根気よくやるのがベストですね。中途半端に煎るのをやめると、あんまりおいしくないです。焦げる寸前までちょうど良く煎ると、香ばしくてしかも自然な甘みが。。。

腹が減ったら飲む、ではなく、朝からずっと飲んでました。コーヒーサーバにゴボウ茶を入れて(少し濃いめがおいしい)、1リットルの熱湯を入れて数分待ち、仕事しながら、フーフー、ずずず、と飲んでました。

まあ確かに、空腹感がまぎれる「ことも」ありますが、基本的に空腹ですよ。辛いです。うーん、厳しいかなぁ、と、開始して三日目でやめそうになりました(笑)。

ところが、朗報は別のところからやってきたのです~

※はい、お食事中の方、この先を読むのはやめてくださいね~※
※食べ終わってからにしてくださいね~※











僕は便秘をしたことがない、お通じが快調な人です。でも、その内容物はそれほど褒められたものではありませんでした。大酒飲みですし~たばこも吸いますし~、わかりますよね、ご同輩の方は。

だがしかし。

ゴボウ茶を飲み始めて四日目の朝のことでしたが、なんとまあ素晴らしいものが出たではありませんか。こんなの、小さな子供の時以来見たことない、って感じです。

しかも、その行為にまったくストレスがないのです。つるんと出た(笑)。

あ、あの~、さらにシモの話を重ねますが、以前にも書きましたように、僕はぢぬしさんです↓
「おしりが痛いときの対策(シモの話なので痛くない人は読まないでくださいね)」
「<続>おしりが痛いときの対策(シモの話なので痛くない人は読まないでくださいね)」

ですので、毎朝定期便ではあるものの、その行為については多少のストレスが伴っているわけです。それでもまあ、上記の記事を書いたときよりは良好ですが。

ところが、まったく、何の障害もなく、つるんと(笑)。
しかも、ほんの1,2分で終了です。

な、何でしょうか、これは。

よくよく調べてみると、水溶性食物繊維と不溶性食物繊維を豊富に含むのがゴボウなのだそうです。な、なるほど~。

ということで、これは飲み続けなければ、と固く誓ったのでした。

以来、ずっと飲み続けていますが、素晴らしい日々です(大爆笑)。

※シモの話、終わり!(笑)※

さて、一日一食ですが、それほど厳密に守っているわけではありません。

朝、起きて、大ジョッキにアイスコーヒーを作って牛乳を入れて、たばこを吸いながら飲む、というのが習慣化していてやめられません。はい、ここで牛乳摂取してますね。

その後、大酒飲みなので肝臓をいたわる意味で、生味噌タイプのインスタントのシジミの味噌汁を飲みます。ここで、塩分とか摂取してますね。

とりあえずこれだけは摂取してます。あとは晩酌までゴボウ茶。。。

どうです? 辛いですよ最初は。

でもですね、一ヶ月位すると、不思議なことに空腹が嬉しくなります。ゴボウ茶が愛しい(笑)。

そして、待ちに待った晩酌で好きなだけ好きなものを食べ、最後にご飯も食べます。パンも食べるときがあります。計算してみると、一食でそれほど食べられるものではないですから、適度な炭水化物抜きも同時に達成しているのですね。

最近では、打ち合わせなどで相手と昼食を食べるときもありますが、そういうときは何も制限せずに食べます。すると、もうおなかいっぱいで、晩酌で酒呑んで何かつまめばいいやぁ、ってかんじになるので、一日のトータルでは計算が合ってしまうような、そんな体になってしまいます。

で、肝心の体重の方ですが、実はそんなに減りません。ですが、リバウンドもしません。

開始後、しばらくは、95kg~98kgをうろうろしていました。
夏を過ぎた頃、94kg~96kgの範囲になりました。
現在、93kg~94kgの範囲でうろついており、ちょっと食べ過ぎたなぁ、というときに95kg台になる、という感じです。

こうやって、だんだんと、ゆっくりと体重が落ちていって、数ヶ月後には90kgを切りたいな、と思っているところです。

なお、僕は早朝に起床後、すぐに両手にリストウェイト(500g×2)、両足にアンクルウェイト(1kg×2)を装着し、夕方、風呂に入るまでつけっぱなしです。やせたいけど筋肉は落としたくないからです。この習慣はかれこれ4年は続いているでしょうか。

筋力が落ちずに、体重が減ってきていると言うことは、脂肪が落ちているわけです。 最近では、どうしても脂肪が落ちない太ももの裏側を何とかしようと思い、暇があれば四股を踏んでます(笑)。簡易四股ですが。

このような実体験から言えば、やはりある程度の年齢に達したら、食事の内容や食事の方法を工夫していかないと、必ず太るんだな、ということです。

節制が不可欠だと言うことですね。

大酒飲みで、たばこも吸うくせに、偉そうなこと言うな、というおしかりはスルーです(笑)。

結局は、自分にあったダイエット法を見つけるしかないというのが本当のところではないでしょうか。

そういう意味では、結果が出ていると思える「一日一食、そしてゴボウ茶」は、今後も続けていくことになるのだと、今は思っています。

90kg切るぞぉ!
頑張るぞぉ!

※この記事は、僕の体験に基づいているので、僕だけに通用した話です。他の方に通用することを保証するものではありません。ご了承ください。※


2012年6月7日

世界が平和でありますように

イギリスのエリザベス女王の在位60周年記念イベントで、イギリスの大物ミュージシャンがステージに立つというのでメンバーを調べたら、ポール・マッカートニーがおおとりで出ていました。

小学校の頃だったと思うのですが、ご多分に漏れずビートルズに多大な影響を受け、毎日毎日聴いていました。もちろん、当時はLPとカセットテープ。。。うん、懐かしい。

レコードばかり聴いていると劣化したり傷がついたりするので、あの頃は確か必ずカセットテープに録音して聴いていました。ほかにもいろいろ聞いていましたけれど、そのミュージシャンがどれくらい好きなのか、によって、カセットテープのグレードを変えていましたね、確か。

ビートルズはもちろん、最上級のSONYのフェリクロームテープ。1本650円もしたっすよ。LPが2500円だったから、レコードを1枚買うたびにフェリクロテープも買って、ガキの頃ですから、まあとんでもない出費ですな。

でも、それほどに、ビートルズが大好きだったし、LPはすべて揃えたかった。一月に1枚ずつ買っていって、友達と貸しっこしたりしつつ、テープではすべて揃えたけれど、レコードを全部手にするのに随分と時間がかかった気がします。

当時は映像を見ることさえ自由ではありませんでしたから、何かの番組でちょっとだけ見ることができたり、ニュースになったりとかでしか、ビートルズの姿を見ることもできなかったですね。

でも今は、ネットがありますから。さっそく調べて、ポール・マッカートニーのステージを見ましたですよ、はい。

。。。うー、随分とお歳を召されて。もうそろそろ70歳か、、、うん。

そういうポール・マッカートニーがMagical Mystery Tourとか、All my lovingとか、歌うのを見て、そうだよなぁ、この人の曲なんだよなぁ、って、改めて認識しましたです。

Let it beなんて、聴いてて鳥肌たっちゃったもの(笑)。

Wings時代の007のテーマ曲とかで会場を盛り上げて、最後はオブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダで全ミュージシャンがステージに登場、という具合でした。良かったです。

ビートルズ時代に、ロイヤル何とかって言う会場のコンサートで、ジョン・レノンが「安い席の方は拍手をしてください。後ろの方の席の方は宝石をじゃらじゃら鳴らしてください」って言い放ったというエピソードを子供の頃に読んで、子供心に、「ひぇ~」と思ったものですが、その後に勲章をもらったりしてますしね。

エリザベス女王もポール・マッカートニーも、同じように歳を取ったという現実があり、こういうイベントで70歳になろうとするポール・マッカートニーがビートルズ時代の歌を歌う。なんか、そういう現実をネットで観て、「うん、世界は平和じゃなきゃダメなんだよな」って、ふと思いました。なんでかな。

時は流れゆくんですね~。

2012年2月25日

知らないというのは怖いこと

AIJという年金の運用をしていた投資顧問会社が、預かっていた金(2100億円)の9割を失ったという記事がありました。大騒ぎになっているようですね。

知らないというのは怖いことだな、と正直に思いました。もちろん、自分のことです。自分の無知に気づかされたので、この記事を書いています。

社会人になった遙か20数年前、当たり前のように厚生年金と健康保険の掛け金が給料から天引きされていました。初めは仕事を覚えることで精一杯だったし、社会人として成長するために忙しく過ごしてきたし、本業が確立された後は、日々精進しながら仕事をこなしていくことに精一杯でしたから、はっきりいって年金というものは「歳をとったらもらえるもの」という感覚しかありませんでした。

無知、です。

年金とかって、運用するんだ~(笑)。
そういうことに改めて気づいたので、すごくびっくりしています(大笑)。

だって、「運用」するっていうことは、減ることもある訳じゃないですか。年金制度ができた頃は景気が良かったかもしれないけれど、現在の世界経済の状況は惨憺たるものですよね? 減る確率の方が高くないかい? と思います。しかも、高齢化する一方だし。人口は増えに増えたし。ねぇ?

今朝の記事によると、金融庁はじめ、この会社の実態をなんにもチェックしていなかったとのことです。年金の運用を任せていた企業も、毎年出される「大変実績の良い」報告書を信じていたそうですし、加入を勧められたときも、営業のそのお人柄を信じて加入を決めたりしていたそうです。

ほぇ。マジで。

怖いなぁ、って思います。運用するということは、金で金を生もうということですから、投資ですよね。それを人任せにして、出される報告書を鵜呑みにして、実態も調査しないなんて、怖くないですか?

僕は、本業以外にFXをやっています。だから、金で金を稼ぐということの怖さが何となくわかっています(現実、全然儲かっていないので偉そうに言えませんが)。だけど、人任せにはしないです。そんなこと、できるわけがない。だって、普通の仕事というのは自分の金が失われることはないですけれど、投資というのは自分の考えの逆をいかれたら金がダイレクトに失われるのです。そんな世界に対するのに、人任せなんて冗談じゃないな、って思います。

でも、社会人として働いている人は皆、年金を払ってますよね。そして、その年金はどこかで必ず「運用」されているのですよね。ということは、僕らは皆、強制的に「投資」をさせられている? そういうこと? うーむ。。。

なんてことだろう、、、。
そんなことも知らないでこれまで生きてきちゃったよ(泣)。
僕は本業バカなので、経済とか政治とか、全く知識がありませんでした。FXを始めてからいろいろなことをやっと知り始めたという、まさに専門バカの典型だったのですが、今、こういう記事を読むと、うーむ、と思わざるを得ないのです、はい。

投資って、イメージ良くないですよね。僕がFXを始めたときも、(他人の目はどうでもいいのですが)自分の心の中で引っかかりがありました。こんなことしていいのかな、みたいな、漠然とした「悪の道」に進んでいっているような、罪悪感みたいなものです。 まっとうに働けよって、普通に社会人をしてきた人や、親とかにはいわれそうです。だからFXをやっていることを公にできない、みたいな気持ちが今でもあります。

でも、この記事を読んですっきりしちゃった(笑)。年金という制度が投資を前提にしたものならば、国を挙げて投資をしているって訳ですから、別に悪いことでも何でもないってことですものね。運用で損を出したら、損した方が悪い、ということです。投資というのはすべて自己責任ですから。はっはっは。

でも、なんか間違ってません?

年金という制度の根幹がおかしい気がします。金で金を生むことをしなければ年金が払えないというシステム。そういうシステムを考えた人たちは、ただのご都合主義だったんじゃないでしょうか。先のことなんて考えていない、そのときうまくいきそうならきっと未来もうまくいくという、短期的なことしか考えられなかったんじゃないでしょうかね。

そんな制度を守ろうと、今も政府は四苦八苦している。いろんな問題がごちゃ混ぜになって、結論として消費税増税ということになりかかっている。

うーん。いろいろなことをすべて含めて、なんだか根っこが間違っているような気がするのは、僕だけなのでしょうか。自信ないけど、そう感じるんだから仕方がない。

この投資顧問会社に年金を託していた企業で働いている人たちが、果たして今どう思っているのか、、、。僕だったらすごくいやな気持ちになりますけどね。

やだなぁ。金、金、金、か。。。
やな世の中だ。ふん。

そういいつつ、FXとかやっちゃう自分って、何だ?
自己矛盾ですね(笑)。

2011年7月22日

デブな話(追記)

炭水化物抜きダイエットは果たして是か非か、検査結果が出たので記事を追加します。

なんと!
OKじゃないですか~!

昨年末の空腹時血糖値(正常値上限109)が149だったのですが、今回は121でした。そして、HbA1c(正常値上限5.8)が昨年末は7.2だったのですが、今回は6.1でした。お~っ、たった4ヶ月でこれだけ改善されている~。良いです。

しかもです。
γ-GTPとかの肝臓系の値やコレステロール、中性脂肪など、昨年末は上限値を突破していたりして結構やばかったのですが、なんとですね、すべてが正常値です。しかも、上限をはるかに下回っているまったくの正常値という快挙です。

え~、なんかすごい。

人それぞれに太ってしまう原因がありますので、必ずしも炭水化物抜きダイエットが良いと決められるものではありませんけれど、僕のようにご飯とパンと麺が超大好きで、それが原因だと思い当たる人は試す価値アリと思います。

うーむ。
食事制限ダイエットに比べてこれほどに効果が顕著に現れるとは。。。

正直、嬉しいっす。
これからもがんばろう~

2011年7月12日

歳を取るということについて

暇に任せて先日blogに「デブな話」という4回連載記事(長っ!)を追加したりしましたが、カテゴリ設定するのを忘れていたことを思い出し、記事のリスト画面を出したらなんと。「歳を取るということについて」という書きかけの記事がありました。

一月のことのようで、うーん、そういえば、酔っ払ってTwitterで「年を取ることについていずれ書きたい」などと呟いたことを思い出し、ああ、その時に勢いで書いた記事か、と思い出したわけです。

確かですね、その後は怒涛の仕事ラッシュでもうめちゃくちゃになったので、そのまま忘れちゃったんですね、はは。

なので、本文中と今の時制は合いませんが、1月に書かれたものと思って読んでください。後半部分は今日、記事を読み返した上での追記です。

---本文ここから---


何日か前にテレビで昔のヒット曲特集をやっていて、奥さんと一緒に飲みながら観ていたわけなのですが、やはり曲ごとに当時のさまざまな出来事が思い出され、感慨にふけったりしたわけです。


まあ、いつもならそれで終わりですが、1月生まれの自分は今月また一つ歳を重ねるので、いつも以上に「歳を取る」ということについて考えてしまいました。


四捨五入したらもう50歳だよ、なんて45歳の時には笑っておりましたが、それから年月も経ち、45と50の間くらいの年令になってしまうと、マジで50歳が近づいてきているなぁ、と思わざるをえないのでした。


100歳まで生きることができるとして折り返し、ですが、平均寿命で考えれば残り20数年です。しかし、自分より年が上の方々だからこその現在の平均寿命であって、自分たち世代の平均寿命は、食べ物の欧米化や添加物・保存料などの蓄積もあって、先の世代よりも短くなるのではないかという話を以前に何処かで読んだ覚えがあり、もっと短いのではないか? と思ったりもしています。


そうすると?
10数年くらいしか残りの人生がないのかぁ、と思うわけです、はい。


ここでひとつ、変な話をします。
17歳の時にインスピレーションがあり、「ああ、人生の1/3が終わった」と認識しました。。。変な話で恐縮ですが、インスピレーションというのは、理由も根拠もなく湧き出るものなので、そのように認識してしまった17歳の自分はしっかりとそのことを記憶に刻み、その後、齢を重ねてきたわけです。


自分の人生は51歳まで、というインスピレーション。
正しいかどうかなんてわかりませんが、とりあえずそういう事もあって、残りが少ないなぁ、と思っている次第です。


でもですね。
とりあえずここまで生きてきたことは確かだし、そして、ここまで生きてきたという現実を元に考えると、この先、何歳で死のうが大して変わらないんじゃないか、と思うのです。元気な心と体のままで100歳まで生きられるならいいですけれど、ヨボヨボになって体も効かず、心は枯れて生きて行くなんて、ちょっと想像ができないです。


そして、ひとは必ず、いつか死にます。この広大な宇宙において、それだけは絶対に100%実現される確かなことです。だからこそ、一所懸命に生きるし、生きてきたし、歳をとったからと言って、いちいちそのことについてぐじぐじと考える必要もないだろう、と思ったりもします。


ですが、現実として自分がこのような年齢になると、ああ、自分もやっぱり歳を取るんだなぁ、と変な実感があるんですね。いつまでも若いつもりでいますから、なんとなくそういった感覚と実年齢が、実は自分の中で上手くバランスが取れていないというのが本音です。そして、いつか必ず、自分もこの世から退場せざるを得なくなるということが、妙に現実的に感じてきているのです。


たしかに自分は歳を取りました。思い返せば、人ひとりの人生において、すべきイベントはほぼ全てこなしてきたかなぁ、と思いますし、残すは子供たちが無事に成人することくらいでしょうか。



---ここから追記---

4つ年上の知り合いが今、余命数ヶ月と言われています。人工呼吸器につながれて病院で身動きできずという状態です。

いずれ自分もそうなるのだと、もしくは突然の事故とかで、いつか必ず自分も居なくなるのだと、現実的に意識しだしたのは果たしていつごろだったでしょうか。

14歳の時に父親を事故で亡くしているので、死に対する意識というのは現実的に捉えることが出来ていて、結構その類の考え方というのは自分なりに深いものを持っていると思っています。

生まれ出て、自分が居なくなるまでの時間は人それぞれです。歳をとって振り返ってみれば、生を受けてここに存在しているその間に何をすべきか、ということに集約されるのではないでしょうか。

そうは言っても、話は簡単ではなく、与えられた環境と世の中の移り変わり、そして、自分の個性や能力といったものは、もう本当に人それぞれで、何をすべきかとか何かをしたいとか、まったくもって個人の問題なのですね。

すべきことと思えたことが、もしかしたら社会に反することかもしれない。なんか、役立っちゃったかもしれない。全然意味が無いかもしれない。若い頃は自分と社会という対象の上でなんとなく手応えが感じられないものだから、悲観的になったり、空しくなったり、するのだと思います。

ポイントは、いかに自分の適性を知るか、ということであり、自分のしたいことが何であるかをなるべく早い段階で認識出来るか、ということなのではないかと、おじさんになってしまった自分は思うのです。

そういう意味で、僕はまっすぐでした。歳をとったから、まあ、ちょっと偉そうなことを書きますが、10歳くらいの時にはすでに文章を書く仕事をしたいと決めていました。それは、例えば小説家だったり、作家だったりといった、いわゆる文芸的な方面におぼろげに憧れるという程度のものでしたが、とにかく文章を書くんだということだけは決めてしまっていたのです。

まあ、実は野球が好きだったのでプロ野球選手にも憧れたり、音楽が好きだったのでバンドを組んだりしてミュージシャンを目指したりもしましたが、どちらも適性がないことはすぐに分かったんですね。

Twitterのプロフィールにも書いてあるように、僕はスポーツに適した体を持っています。でもなぜダメか。「勝ちたい」って思わないんですね。よく、心技体といいますが、一番大事な「心」が勝負向きじゃないんです。

音楽にしても、頭で考えてギターを弾くような理詰めな性格ですから、曲をコピーするのはいいけれど、創作なんて無理無理です。アドリブなんて無理ですから。

そうやって自分を仕分けていって、やっぱり結局、最初に決めてしまった文章を書いて生きて行くんだ、というところに落ち着くわけです。

(いやいや、偉そうに書きましたが、ここまでの人生、それはそれは、もうハチャメチャですから)

(。。。いずれそのあたりも書きたいですが)

なんだか長くなってとりとめがなくなってきたので、強引に終わらせますが(笑)、要は「短い人生、やりたいことを一所懸命やれ」。ただそれだけなんだよ、ってことです。

僕は笑って死にたいです。死ぬときに後悔があったら嫌だと思っています。でもそれって、日々一所懸命生きてこないとかなわないことだと思うのです。

若い頃は、こういう話をすると周りは笑いました。でも、今この歳になって自分は正しいと思えています。僕の歳のとり方というのは、そういうものなのです。

もちろん、日々の出来事の一つ一つで失敗したり後悔したりすることは少なくありません。でも、そういったダメな出来事も歳をとるに連れてリカバリーする方法とかを編み出せます。そうしてだんだんと自分の道が納得のいくものに近づいてきて、やがて自分の世界は自分が納得出来るものになっていくのではないでしょうか。他人がどう思うかは別の話です。

時間は止まってくれません。今この記事を1文字書いているその1秒だって、自分が居なくなるその時に近付いている証の一つなのです。

そう思ったら、なんで一所懸命やらないかな、なんで好きなことを自分の好きなようにやらないのかな、って考えると思うのですが。。。僕以外の人々がどうあれ、僕はそうしてきました。そしてここまで齢を重ねてきたのです。

これからもずっとそうしていきます。
あとどのくらい残っているのか知りませんが、たとえ突然の事故で即死だとしても、その瞬間に僕は笑って終わりたいです。

言いたいことがあまりうまく表現できませんでしたが、後悔するくらいなら一所懸命やりたい、そう思えるような年のとり方がいいですね、ってことです。

うーん、まとまらん。
でもおしまい(笑)。

2011年7月8日

デブな話(完)

結局のところ、自分はなぜ太ったのだろうと考えたとき、「ご飯」「麺」「パン」が大好きだからじゃないのか、と思い至ったのです。これらは全て炭水化物であり、摂取すると糖になります。そして、糖尿病というのは突き詰めれば膵臓が疲れちゃってインシュリンが出せない状態なのですから、これらを摂取しなければ良いのでは? と単純に思ったのですね。

食事制限ダイエットでも、炭水化物は最重要の栄養素なので、2000kcalに含まなければなりません。で、ご飯と麺とパンが好きな僕は、制限の中でのこれらの比重は自ずと高めになる、という傾向がありました。

だから、いくら体重が減ったって、血糖値が下がらないじゃないの?
ということです。

今また思い出しました(笑)。
晩酌後の話(笑)。

ふと見ると、パンがあるんです。
まあ、どこの家庭でも、パンは置いてありますよね。
手軽に食べられるし、朝食用にかっておいたりしますよね。

それを。
たっぷり呑んだり食べたりしたあとに。

書かなくてもわかると思いますが。

ホテルブレッド一斤食べちゃったり。
クリームパンとあんドーナツとチョココロネを食べちゃったり。
ああ、そういえば、アイスも好きだったなぁ。。。
レディボーデンの大きいやつをひとつ全部食べちゃったり。。。特にストロベリーが好きだった(笑)。

ま、それはそれとして。

炭水化物を摂取しないというのは果たして大丈夫なことなのだろうか、とまた懸命になって調べたところ、実践している人は結構いるんですね。ただし、糖を使うのは脳ですから、全然摂取しないというのは脳に障害を起こす可能性もあるとのことで、でも、とりあえず始めた当初は、全く「ご飯」「麺」「パン」を食べなくしたんですね。

。。。
まあ、苦しかったです。

炭水化物ダイエットのメリットは、炭水化物「以外」はすべて制限無く食べて良いことにあります。もちろん、プリンとかアイスとか糖分を含むものはダメですけれど。

ですから、肉とかおつまみ系とか、カロリーが高くて食べていなかったものを復活して良いわけで、もうむさぼるように食べたですよ、はい。

でも。
わかりますでしょうか。。。

そういう「おかず」ばかり食べるって、無理があるんですよ。。。

必ず、ご飯が欲しくなります。
必ず、パンが食べたくなります。
必ず、麺をすすりたくなります。

最初の一週間はもう、気が狂いそうでした。
炊飯器の前でずっと立っていたり、パン屋の前で立ち止まったり、ラーメン屋を覗き込んだり。。。マジです。

しかし。
それを乗り越えるのは、食事制限ダイエットよりもはるかに楽でした。
一週間を過ぎた頃、なんだか大丈夫になってきたんですね。

食事制限中は、気が狂いそうになるほどマクドナルドが食べたかったり(ビッグマック大好き!)、カルボナーラを3人前食べたかったり、吉野家の牛丼特盛が食べたかったり、坦々麺が食べたかったり、それを我慢するのがきつかったんです。

でも、炭水化物ダイエットでは、「おかず」部分は食べられますから、そういう食物に対する「枯渇」した感じがないのです。

ただ、主食を抜く、というのは尋常ではありませんから、体の奥底から、そして全ての細胞が、炭水化物を求めるんですね。

でもやがて、それも収まりました。
そうすると、不思議なことに、あまり食べなくなります。

最近の僕の食事は以下のような感じです。

早朝に起き、インスタントコーヒーを水で溶かして氷を入れ、牛乳をとっぷりと入れる。もちろん、砂糖は入れません。
お昼頃に、だいたい次の組み合わせで食事をします。
ハムとチーズと豆腐と納豆。
卵焼きとシーチキンとコンビーフ。
あとは、ソーセージを焼いたりとか。
野菜があれば、レタスでもキャベツでもなんでも食べます。
そして、インスタントですが、わかめスープとか、とにかくスープを一杯呑みます。
これでもう、晩酌までOKです。

晩酌時は、もちろん呑みながら(笑)、食卓のものを制限無く食べます。でも、それほど食べません、最近は。そして、夜だけはご飯を少し食べることにしています。脳みそが逝っちゃいますので。

日中のおもり装着も復活させました。

その結果、4月に始めたときの体重が105kg(パスタのせい!)でしたが、今大体96kg~97kgくらいです。うちの体重計は一応体脂肪率が出るのですが、20%くらいです。キン肉マン(笑)。

鏡で自分を見ても、食事制限で痩せたときの自分とは体の形が違います。なんか、骨と筋肉の間とか、内臓と内蔵の間に挟まっていた脂肪がとれた、って感じです。

そのせいか、キシキシするのですが、、、肩が。。。
ま、でもこれは、四十肩か(:_;)。

今のところ、順調に体重は減っていますが、実はこの半年、検査を受けていません。ですので、ダイエットの成果なのか、病気が悪化して痩せたのか(こ、怖い)、分かりません!

この前、友人の医者のところに久しぶりに行き、血液検査をしまして、いま結果待ちです。これで血糖値はHbA1cが下がっていれば、ダイエットの成果です、と言えるのですが。。。

悪化して痩せたのであれば、もう、これも仕方がないと思っています。
でも、炭水化物抜きによるものだと信じています。

まあ、あまりよいダイエット法ではないと正直思いますが、僕には適している気がします。とにかく食後に眠くなることなんて、全くなくなりました。それに、なんか、元気なんです。体重が減りましたが、元気さは増えているように思います。筋肉も食事制限の時より増えているので、力も強くなったですし。

世の中にはいろいろな事情でダイエットをする方々がいると思いますが、やっぱり自分に適したダイエットを選択するのが一番なのではないかな、と思ったのでこの記事を書きました。

長いよ~
という文句は聞きません(笑)。
仕事が暇になって、なんか書きたかったんですから(笑)。

また、ネタがあったら書きますね~
ではでは~

デブな話(3)

自分で自分に注射するなんて無理ですから(-_-;)。
そんなことを言っていられない状況だったのですけれど。

医者の友人は、「食品交換表」なるものと、ダイエット食30日分をプレゼントしてくれまして、「1日に2000kcalまでだからな」と言いました。

僕は「食品交換表」で2000kcal分の食べ物を研究しまして、、、て、、、てぇ?!
す、少ないぜ!

しかも、酒一杯が200kcalって。。。呑むなってことじゃん。

合併症を取るか、酒を取るか。。。
いやいや、それを天秤に掛けるなって話ですが(笑)。

その日から、2000kcalの食生活を始めたのですが、無理ですって、まじで。
酒もやめたんですよ~

僕は決してある中にはならない体質のようで、酒は大好きで毎晩たっぷり呑みますが、飲めない事情があるときは、飲まなくてもぜんぜん大丈夫です。呑みたい~とはならないんですね。たばこはダメですが。。。(悲)。

ですから、酒をやめるのはまあいいと。
でも、食べる量と食べられる「モノ」が限られることは相当にストレスでしたね。

でも、合併症を選ぶわけにはいかないので、食事制限をし、ウォーキングを始めました。しかも、筋肉を付けると脂肪が消費されやすくなるというので、右手と左手に1kgのおもり、そして、右足と左足に2kgのおもりをつけて、もうそれから毎日1時間は歩きました。しかも、おもりは起きている間じゅう、ずっとつけっぱなしでした。

力はそこそこあるものですから。。。

仕事の環境という意味では、当時は会社に所属していたのですが、仕事柄ずっと自宅で仕事をすることもあり、ウォーキングの時間を取ることは可能でしたし、打ち合わせで出かける時などはもう「よし、たくさん歩けるぜ」みたいに、嬉々としたりして(笑)。

そしてその頃の体重は、113kgだったのですが、10ヶ月くらいで8kg減ったのでした。
でも、ダイエットを始めたのが6月ころで、夏は糖分ゼロのビール350mlを1ケース呑んじゃったり、焼酎は糖分がないとわかるやいなや、もうカロリー計算に入れないことに自分で決めちゃって飲みだしちゃったり(笑)、真面目にやり続けてたわけじゃないです(笑)。

でも、実は挫折しました。
HbA1cという血糖値の推移を見るもっとも重要な検査項目があるのですが、正常値の上限が5.8で、まずそこにたどり着くことが目標だったんですね。

結構、気持ち的には限界に来ていたある日、検査結果が「5.9」で、本来だったら「よし、もう少しだ」と思わなければいけないところを、なぜか「これだけやっても正常値にならないのかよ!」といきなりぶちきれたんですね。自分でもその時の感情がよくわからないのですが、食事制限のストレスが限界だったように思います。

で、食べました(笑)。
もう、いい、と。

腎臓、バイバイ。
足、切っちゃえ。
目が見えなくなると、こんな感じなのかな、って暗い部屋で目隠ししてみたりとか。

もう、こうなると体重はあっという間に戻ります。
103kgくらいで高止まりしましたけれど、食生活はダイエットには程遠い状態になりました。

もちろん、日々、心は揺れ、やっぱり頑張ろう、とか、いやいや、どうせ無理じゃん、とか、思いつつ、でも怖いから、食卓に並んだ食べ物を一応チョイスして食べたり(笑)。
まあ、尋常じゃないんです、神経が。

で、こんな生活が正しいあり方なのか、と。
だって、子供の頃から、「たくさん食べて、元気に大きくなるんだよ」って言われ続けたんですから。

根が素直なので(笑)。
元気に大きくなったんですが(爆)。

他に手はないのかよ~と、ネットで本当にたくさん調べましたね。
今でも悔しいのが、パスタダイエット、です。

パスタは、糖分の吸収が緩やかなので、うんたらかんたらと書いてあり、そう言われれば、やって見るじゃないですか。毎日パスタ(笑)。2ヶ月くらい続けましたかね。体重が105kgになるわ、なんだか食後にやたらと眠くて仕事にならないわ、ふんだりけったりでした。

食物繊維をたくさんとってみたり、青汁を呑んだり、クロレラ呑んだり、色々しました。でも、全部、ダメです。

最初のカロリー制限の時も、ヤセはしましたが、不健康になっていくようで不安で仕方がなかったです。だって、暑い夏に寒かったんですから。僕はもともと暑がりで、冬が一番好きだというくらいなのに、真夏に汗もかかず、エアコンつけると震えるようになってしまったんですね。そういう不安感もあって、元気じゃない自分は行きている意味があるのか? なんて思ったりもしたわけです。

だったら、インシュリン打てよ、って話ですが、それはなんか、諦めてしまったみたいでどうしても嫌で、何とか納得出来るダイエットはないかと、それこそ捜し続けたのです。

で、見つけたのが炭水化物抜きダイエットでした。

やっと本題だ(笑)。
そして、やっぱりこの記事で終わらなかったっす~。
次でまとめよ~。

デブな話(2)

投稿した記事を読み返して、自分で気持ちが悪くなりました(おえ)。
今では信じられない食生活です、酒以外は(笑)。

つぶさに自分の記録(笑)を書いていくとキリがないので割愛しますが、社会人として決して順調ではない道を歩んできたそのなかでも、呑むことと食べることに関しては人3倍(人一倍ではない)、いや、人10倍くらいは時間とコストと健康を費やしてきました。

もともと体は丈夫で、呑み過ぎ・食べ過ぎでも大丈夫なんだ自分は、と思っていたフシもあり、30代になっても衰えることなくこのような食生活は続き、体重はもうそれ以上には増えたりしませんでしたが、やがて後輩とか部下とかを連れ回すようになっても様子は変わることなく、若者よりも呑んで食べていたんですね。

今思い出したんですが。。。
土日とかは、家で晩酌するわけですよね。
たっぷり呑んで、たっぷり食べているわけです。
でも寝る前になって、「ピザ食いたい」とか思うわけですよ。
で、デリバリーピザに電話して、もちろんLサイズで(笑)、しかもそれをひとりで食べちゃう。

そう言うのが全然平気だったんですよね。
決して、大食い選手権に出られる程ではないのですが、通常の社会の中では食べ過ぎです。

しかし。

35歳くらいから様子が怪しくなってまいりました(笑)。
それまでは、いくら呑んでもヘッチャラだったのに、酔うようになりました。そして、呑んだあとに気持ち悪くなる時も度々あり、うーん、さすがになぁ、という状況になりました。

健康診断の結果は悪くなく、すべてが正常値だったのですが、なんかやな感じになってきたんですよね。日々、いつもどおりに呑んで食べられるのですが、だんだんとその量に体が負け始めてきているというか。

これが歳を取るということか、なんて思ったことを覚えています。

そしてとうとう(:_;)。
40過ぎてから爆発します。
いや、爆発じゃないか。

40をいくつか過ぎた頃に、なんだかやけに体が重くて、うーん、これは経験したことのないだるさだ、と思った僕は、忙しい仕事すべてをキャンセルして友人の医者を訪ねました。

もう、診察前の尿検査で一発でしたね。
糖尿病。。。

ところで、この「糖尿病」って名前、嫌じゃないですか? 血糖値が高い病気なのに、なんで「尿」がクローズアップされているんでしょうか。高血糖病とかにして欲しいです。その方が対処しすいのに。。。

ま、そんなこんなで、友人は血液検査をするまでもなく、診断を下し、血液検査の血糖値を見たとたん目を剥きました(笑)。

お前、、、どんな生活してたん?
はあ、これこれで、、、。

絶句。。。

みたいな(笑)。

その場で、ダイエットについてコンコンと説明され、体重を減らすことを厳命されました。現時点でこの数値ということは、すでに数年前から発症していたのは明白で、もしこのままの食生活を続けた場合、まず腎臓がやられる、と。もって7,8年だな、言われました。

腎臓があと7,8年?
その後は?

決まってんだろう、透析生活。

絶句。。。

みたいな(笑)。

他にも、足を切断、だとか、失明する、とか、合併症の説明をされ、もう心は地に落ちました。。。

そうはいってもですね~
カロリーを減らすって、大変なんですよ~
そもそも、カロリーなんて気にしたことなかったですし~

勉強しましたよ、カロリーのこと。
愕然としましたね~
それまでの僕の食生活って、1日にへたすると1万キロカロリー摂取したりしていた模様です(・_・;)ビックリ。

よくもまあ、40歳前半まで元気でいられたものだと、それもびっくりですが(笑)。

インシュリン打つか~
と言われ、
嫌だ~
と言い、
じゃあ、ダイエットな、
と言われ、
はい、と答えた僕でした。

また長くなってしまいました。
前置き長いぞ~
でも、前提は大事ですから~

次の記事で終りにしようっと。終わるかな。

デブな話(1)

仕事の納期が延びた関係で、急にここ数日は暇になることになってしまい、「仕事するぞ~書くぞ~編集するぞ~」という気持ちをどこにも持って行けなくなっちゃった(笑)。で、半年以上ぶりにblogを更新することを思いついた次第です、はい。

でもなぁ。
昨年の夏から仕事と犬の散歩と呑むことしかしていないので、話題がない、、、。あるとすれば、4月ころから始めた炭水化物抜きダイエットで順調に体重が減ってますよ~ということくらいかな。

ダイエットの話をする前提として、それはもちろん、デブな自分のことを書かなければいけないわけで、そうすると話はざっと二十数年前にさかのぼってしまうのであった(・_・;)。

社会人になる前、僕の体重は78kgでした、って、えっ! そんなに痩せてたの?! と、必ず相手に言われます。痩せている僕をイメージできないらしいです。192cmで78kgといったら、ちょっとそこら辺りの電信柱とタメを張るわけで、高校の武道の授業で柔道を選択していた僕は、受身の練習をしているときに「お~、電信柱が倒れるみたいだな~」と先生にからかわれたものでした。

それがなんで太っちゃったのか。
確固たる原因がございます、はい。

社会人1年目から、毎晩最終電車で帰るような仕事をしていて、それはもう、「社会は厳しいなぁ」とストレス受けまくりでした。もちろん仕事も厳しく、クライアントもまたこれが、、、思い出しても涙が出てしまうほど怖くて、とりあえず酒は強かったものですから、最終で家にたどり着いてから豪快に呑んで食べるわけです。

帰り道にある深夜スーパーで、安いウィスキーと500mlのビンのコーラやスプライト、そして、サラミ・チーズ・ナッツ・サンドイッチ3つ・甘いもの・その他乾き物などなど買い込んでは、夜な夜なウィスキーのコーラ割りとかを呑んじゃって、バクバク食べてたんですね。

仕事でも、勉強だと言われて接待に連れ出され、たくさん呑んで食べるとクライアントが喜ぶものですから、それはもう「タダ」だし、呑んで食べて呑んで食べて深夜タクシーで帰宅なんてこともしょっちゅうだったのです。しかも、外で飲んだときは必ず締めで何かを食べたくなり、大盛りラーメンと餃子とライス、とか、牛丼特盛卵2個とか、カツ丼大盛りとか、すごかったんです。

接待の場でもすごかったです。
日本酒熱燗2合徳利を夕方5時から夜中の3時のあいだに21本、とか。。。
居酒屋でメニューを開き、「右ページのこの資格の中に書いてあるメニュー「以外」全部ちょうだい」、とか。。。
ランチタイムに、ご飯おかわり自由で、最初におひつで持ってきてくれるんですが、そのおひつをおかわりしちゃったり、とか。。。
弁当屋で済ませる時も、のり弁+かき揚げ丼+いなり寿司3個セット+コーラ500ml、とか。。。

社会人2年目で体重は、120kgになっていました。
1年でスーツを3回買い直しましたし。。。
ウエストは120cmになっちゃったんですね。
痩せていたときは記憶が朧ですが、80cm内外じゃなかったかと。。。

たった1年でよくもまあそれだけ太れるものだと、感心しました(笑)。

長くなったので、記事を改めます。
うーん、書いていて虚しいぞ(笑)。

2010年12月19日

すっきりしません

なにやら気分がすっきりとしないのは何故なのだろうとずっと考えています。仕事が忙しければ、気分など度外視で仕事に集中するのですが、今、たまたま体が空いてしまっていて、気持ち的にもリフレッシュモードだから、余計なことを色々と考えてしまうのだとは思います。


具体的な事象も何もなく、だらだらと書きます。


はっきり言って、気分がすぐれません。モヤモヤっとしています。胃が重いです。もちろん、なんの問題もなくこんな事にはなったりしません。色々と、モヤッとした問題があるから、グレーな気持ちになるのです。


具体的にはかけませんが、この先の人生、とか、現実的な今の生活は大丈夫か、とか、俺は本当にダメなやつだなぁ、とか思ってみたりと、何でもかんでもネガティブに考えてしまう、そんな感じです。


誰にだってそういう時はありますよね?
こういう事の一番の理由は、何かしらの不安があるからです。ではいったい、僕は何を不安に思っているのかということです。


それがわかれば苦労しません(笑)。


漠然とした不安がいくつもつきまとっていて、多分これはうまくいかない、とか、こんなことをしてしまって俺はまったく、、、とか、ああだいじょうぶだろうか・・・とか、そういった類のものです。


なんだろう、本当に・・・。
ひとつ、ふたつくらいの不安なら、こんな風にはならないと思います。なんだか、いくつもの大小様々な「漠然とした不安」がポツポツと近くにあるから、こんな感じになってしまっている気がします。


自分のこれまでの生き方がダメとか、考え方がおかしいとか、他の人への対応の仕方が間違っているとか、そういう明確な理由なり根拠なりがあれば、対処のしようもあると思うのです。でも、そういうものじゃない。はっきりしなくて、「うがぁっ!!!」と叫びだしたくなる、そんな気分です。


不安があっても、対処方法を考えることができるのならば、こんな風にはならないだろうなって思います。なんだか捉えどころがないから、ぽわ~んと無重力空間に放り出されてしまい、周りに不安という風船がプカプカ浮いている、そんなイメージです。捕まえて、割ってしまえばいいんだけれど、自由に動けないし、不安風船も勝手気ままに動いているし、ただただ無力感に苛まれ、疲れていってしまうのです。


ずっとずっと、いつも一所懸命考えて行動して生きてきましたけれど、別にその結果である現在の自分が正しいとも間違っているとも思いませんけれども、身につけてきた様々なスキルや能力とはまったく別の世界に自分の本体はあるものなので、いざ、こういう気分になったときには、構築してきた自分の武器って、あまり役に立ちません。


。。。誤解のないように書いておきますが、死にたいわけじゃありません。元気に前を向いて、粉骨砕身で仕事をするし、いろいろなことを真剣に考えていこうって、思っています。それでも、なんだか、落とし穴に落ちてしまったように、こんな気分になることがあるんです。不思議な話です。


blogっていいな、って思います。こういう時、好き放題、思ったままを書けるから。


さて、どうしようか~
酒のんでも駄目だろうなって思うし~
もうたくさん寝たから、眠って忘れるということもできそうにないし~
不安を忘れちゃえ、とか思いますけど~
忘れられるなら、こんな事書かないし~


ふっふっふ。
駄目だ、これは・・・


最後の手段かな、これは。
さて、最後の手段とはなんでしょう?


答えは・・・
「逆切れ!」


こんの野郎! 俺を不安にさせているのはいったい何だ!
こぉらぁ~! ぐがぁぁぁぁぁぁ!!! ふざけるな~!


って、相手も見えない状況で、切れまくるっていうのが最終手段です(笑)。
ヾ(゚Д゚ )ォィォィソンナアホナ


そんな馬鹿なことを考えなくていいように、早くまた忙しくなりたいです
(´・ω・`)。


さ~ってとぉ!
好き放題書いて、少しすっきりしたから、呑むか~
ってまだ夕方だった~


駄文ですみませんでした~m(_ _)m




2010年12月15日

ブログを移行しました~思うこと


Windows Liveから強制移行でWordPressを使わざるを得なくなってから3ヶ月弱。もう限界です。何が限界かというと、サーバーの反応が悪すぎて、いちいち「待ち」の時間が発生し、もうイライラが限界突破しました。

サクっと、どこかいいところがないかなぁ、と調べたところ、自分的には灯台下暗し、といいますか、Googleにブロクサービスがあることを発見し、そちらに移行しました。サーバーの反応も早く、記事も書きやすいので、Goooooood! と思っております。

実は、ブラウザもGoogle Chromeを使っていまして、メールもGmailを使っています。プロバイダメールもあるのですが、メーラーを立ち上げるのが面倒で、だんだんとGmailに移行しつつあります。iGoogleもウィジェットが充実していて良いと思いますし、なんと、日本語入力システムもあるんですね、びっくりしました。これもなかなか快適です。

しかも、すべてが無料だものなぁ。日本語入力なんて、ATOK以外に使えるものなんてない、と思っていたのですが、これだけ使える入力システムが無料となると、パソコンのツールにおカネを払うこと自体が馬鹿らしくなってきてしまいます。

Andoroid OSも無償で出てくるようですし、今後のパソコン世界はGoogleが席巻しそうです。Microsoft、大丈夫か? うん、多分もうダメでしょう。Appleはまあ、独自の道を歩んでおりますが、パソコン世界ではちょっと、、、という感じです。

Googleがこれから成長するためには、Adobeがほぼ網羅してしまったDTPの世界をどうやって取り込んでいくかという戦略が必要になるでしょうね。個人的な予想ですが、いずれ、AdobeのInDesign、Photoshop、Illustratorといったツールと同等のものを無償で提供するようになるんじゃないかと思ってしまいます。そうなったらもう、Adobeもおしまいです。

僕は別に、MicrosoftもAdobeも嫌いではありません。だらしないと思っているだけです。たしかに、あれだけの大きな会社ですから、収益が大事なのはわかりますけれど、あまりにも保守的すぎて、ユーザーに負荷をかけすぎている気がしてならないのです。このblogの最初の方の記事にも書きましたが、ユーザーを軽く見ているフシがあって、どうも頼りないんです。

Googleのビジネスモデルって、かなり独特ですよね? それが今、とても良い方向に進んできているし、ユーザーの負荷が殆ど無い状態で様々なツールを提供する唯一の企業だと僕は思うのです。こういう企業こそ、さらに成長して欲しいし、もうパソコンの世界を制覇してしまえ、くらい思ってしまいます。

AdobeもMicrosoftも、今更ビジネスモデルを変えられないでしょうから、これから苦しいと思いますよ、まじで。




2010年12月12日

モノの値段


車のバッテリーが上がってしまったので、気持ちが憂鬱になっておりました。バッテリーって高いですし、、、。以前に乗っていたステップワゴンでは、ディーラーで交換したときにはなんと、工賃込みで¥30,000もしたことがあり、ぎょえ! っとなっていたのですが、今年の初め頃に、やはりステップワゴンでバッテリーが上がってしまったときには、JAFにお願いしてみたところ、工賃はもちろん会員なので無料で、バッテリー本体が¥17,000とのことで、おおっ、それは安い、と思ったものでした。

でも、今乗っている車は、一応スポーツカーなので、バッテリーは高いだろうなぁ、となんとなく危惧していて、車関係はなんとなくオートバックスで、という頭もあったものですから、調べたところ、なんと¥28,000もするではないですか! しかも工賃が別でかかるし、もうバッテリーが上がっちゃってますから、オートバックスまで持って行かれないし、これはまたJAFだな、と思ったとき。

うーん、人任せにせず、自分で交換しようと、今更ながら思ったのでした(笑)。

なぜ、人任せにしていたかと言いますと、、、恥ずかしい話ですが、、、自分、不器用なんです。。。何かをしようとすると、必ず別の何かを壊すという、優れた特技を持っており(笑)、やりたくないんですね、実は。そしてまあ、一応、大事な車なので、自分でやってみたら、ほかの何かが壊れた、なんて、しゃれにならないので。。。

しかも、この車のバッテリーは、とてもすごく変な位置に付いていて、エンジンルームを開けて、自分でできるかどうか確認してみたら、うーん、微妙。。。ステップワゴンみたいに、手前にただぽつんと付いていればいいのに、右奥にカバーが付いて鎮座ましましているわけです。カバーを開けたら、またこれが、取り出しづらいのが一目瞭然。。。でもまあ、試してみたらできそうな気もするので、一念発起してネットでバッテリーの通販を調べました。バッテリーの型番をGoogle検索して一番上に出てきたところでいいやと思い、つらつらとWebを見てみました。

そうしたら!
なんと安いのでしょうか。¥8,900ですって!
定価¥31,500のバッテリーがですよ?
しかも、送料無料!
古バッテリー回収無料!

信じられな~い 、と思いつつも、この時点で自分で交換することに決定(笑)。早速注文しました。

注文確定メールによると、在庫がないのでひとつ上のクラスのバッテリーを同じ値段で発送しました、とのこと。おおっ、ラッキー。容量が少し大きいタイプのようで、この通販サイトで¥9,800のものでした。定価が¥39,800。。。どうして? と思いますが、まあ安いんだからいいでしょう。

。。。まあ実は、これが言いたくて書いている訳じゃありません。もちろんこれだけでも「モノの値段って、いったい。。。」という話ですが、まだ話は続きます。。。

先ほどバッテリーが到着しまして、格闘すること20分。何とか無事交換を終え、すばらしい勢いでエンジンが始動し、なんだか久しぶりに達成感を味わい(笑)、幸福感に満たされていた自分でした(爆)。

古バッテリーを箱にしまって自分の部屋に引き上げ、なんとなく、送ってもらったバッテリーの性能を見たくてGoogle検索したところ、、、なんか、どきっとする文字が。。。

¥5,980?

見間違い、だよなぁ、とクリックすると、なんと~同じバッテリーが¥5,980で売ってる~
さらに検索結果を追ってみたら、はい、ご想像の通り、さらに安いところがあり、なんと¥4,980で売ってました~

。。。なんなの、いったい。

これこそが、モノの値段って、、、という話でした。

まあ、そうはいっても、安いところは回収してくれなかったり、送料がかかったりするので、それはいやだなぁ、という思いはあり、また、ページがいかにも通販ショップらしい作りで、大丈夫かな、なんて思ったりしてしまうところだったということもあり、まあいいや、と思っています。今回購入したところは、説明がすごく丁寧で、バッテリー交換方法をYouTubeに紹介していたりとか、まあ、そういう意味で企業努力をしているなぁ、と感じたので、値段よりはむしろ、、、と自分を無理矢理納得させてます(笑)。

しかしまあ、定価数万のものが数千円で売られる世の中って、正しいですか?
というか、そもそも、定価が間違っているんじゃないの? って思いませんか?
さらに言えば、ディーラーやカーショップの値付けそのものもおかしいんじゃないですか?

そんなことを考えつつ、なんだか、もっと調べればもっと安く買えたのに~という後悔のような感情がわき出すと同時に、世の中のさまざまなモノの値段って、「デフレ」だから安いとかじゃなくて、そもそもの「価値」のとらえ方や考え方がおかしくなっている、そんな気持ちにさせられた出来事でした。

少しでも安く買えれば、それはうれしいけれど、本当は高いものが安く買える世の中って、なんか違う気がします。
。。。本当は何でもかんでも安いんじゃないの? (疑)。

ははは。。。

2010年10月19日

<続>おしりが痛いときの対策(シモの話なので痛くない人は読まないでくださいね)


続きです(笑)。書き忘れたこともありましたので。引き続き、シモの話ですので、痛くない人はスルーしてくださいね。



昨日の朝、久しぶりに悪化して、対策を講じたところ、夕方には悪化したことを忘れ、夜はまあ、いつも通りに、飲みましたが、、、今朝、特に何も問題なく、という状況です。

とにかく、原因は、鬱血することにあるらしいのです。医者に聞いたのか、ネットで読んだのか、忘れてしまいましたが、鬱血して悪化することを、尾てい骨を摩擦することで血行をよくするから、良くなるのだと、言うことのようです。

で、昨日、書き忘れたのですが、服の上からこすっても効果がないように思います。直接、尾てい骨をこすらないと熱くなりません。熱くなることが肝要なのか? と言われると、僕にはわかりませんが、僕は直接こすっています。

シモの話なので、なるべく直接的な表現は避けましたが、なかなかこういった話題は書きづらいですね。。。

肝心なのは、悪化して、対策して、良くなったからと言って、すぐにやめてはいけない、ということだと思います。良くなったからと安心してやめてしまうと、またすぐに悪化します。それはなぜかというと、根治的な対策ではなく、あくまでも対症療法だと思うからです。つまり、原因をすべて取り去っているわけではなく、悪くなった状態を良い方向に持って行くだけ、ということだと僕は感じています。

ですので、良くなったと思っても、僕はしばらく続けています。そしてしばらくは落ち着いて、また座りっぱなしで仕事して、毎晩飲んで、辛いものも食べて、あらあら悪化しちゃって、またこすって、、、の繰り返しです。

でも、病院に行くことを考えたら、全然楽です。もう、こういう人生なのだと、時に「こすって」生きていく人生なのだと、思って毎度、対策してます。

繰り返しになりますが、この記事と前回の記事について、一切の責任は負えませんので、「治らないじゃないか!」とか、苦情はご勘弁くださいね。。。

さて、今日も頑張るか~仕事~。

2010年10月18日

おしりが痛いときの対策(シモの話なので痛くない人は読まないでくださいね)


「日本、もうダメか、やはり」の続きを書くのかと思ったら、こんな記事ですみません。。。先ほど予定通り、三菱東京UFJの上席の方はお見えになり、話しました。これまでの顛末含め、後日まとめて書きたいと思っております。

さて、おしりが痛い=「痔(ぢ)」の話です。シモの話なので敬遠される方はどうかスルーしてください。

なぜ、このようなことを書くかといいますと、もちろん自分がそうだからです。でかい体でデスクワーク、しかも、毎日十数時間もいすに座りっぱなしで仕事をしていますから、どうしても負担がかかります。背中や腰や肩や首はマッサージで何とかなりますが、こればかりはどうにもなりません。

しかも、お酒が大好きで辛いものが大好きなので、もうてきめんです。しかも寒いのが好きですから、悪化の一途をたどるわけです。それでもなお、僕は手術も投薬もせず、今のところ過ごしてきています。

ですが、10年前くらいでしょうか、もう手の付けられない、というか、詳細は省きますが、とにかく痛くて痛くて座っていられないし、トイレの時は阿鼻叫喚です。病院にも行きました。もちろん手術を勧められました。でも当時は今以上に忙しく、手術など受ける余裕はなかったし、手術の経験談を読んで、ああ、僕には無理、と思いましたので(僕はすっごい病院嫌いです)、投薬で何とかしてとお願いしました。とりあえず、座薬と飲み薬をもらってしのぎましたが、ちょっと収まってまたひどくなる、そしてだんだんひどくなっていく方向なんですね。

酒も断ったし、冷房も使わずに耐えました(夏でした。。。)。辛いものなどもってのほかで、テレビで辛いものが映るとびしびし痛くなる、そんな状況でしたから。。。

もう、懸命に情報を探しました。テクニカルライターの名にかけて(笑)、ネット検索しまくりです。そして、「ん?」と思う対策を見つけたのでした。

。。。なぜ今、こんな記事を書くのか、といいますと、ふっふっふ~、久しぶりに悪化したんですね~。あわわわわ、です。で、また対策を施しているのです。で、この情報って、実は誰も知らない気がするのです。当時、ググった結果の300件目くらいだったでしょうか、妙に怪しいサイトを見つけたのでした。

そこに書かれていた対策を、ダメ元でやってみたところ、快方に向かったのです。1ヵ月ほど毎日繰り返し繰り返し実行していたところ、なんと普通に戻っちゃったんです。

前置きが長いですね(笑)。対策は以下の通りです。勧誘でも怪しい療法の紹介でも何でもありません。

四つん這いになるか、中腰でもかまいませんが、尾てい骨の先や尾てい骨全体を熱くなるほど2,3本の指でこすってください。だいたい100回くらいこすれば、摩擦熱でかなり熱くなります。それをただ、毎日毎日繰り返すだけです。

僕は、この情報を検索したとき、とてもひどい状態で、わらにもすがりたい気持ちでしたから、1日に何度も100回ずつこすりました。外出先でも何でも、トイレに行ったときに必ず個室でこすりました。それをずっとずっと続けて1ヵ月ほどで、すっと引っ込んだのです。そこに至るまでのプロセスにおいても、だんだんと良くなっている実感があり、うーん、この情報は埋もれていてはいけないなぁ、と当時も思いました。ですが、当時はblogなどもなく、周りで困っている人に教えてあげるくらいのものでしたけれど。

特に顕著だった例は、友人の友人の話ですが、長距離トラックの運転手さんで、もう長患いでずっと出っぱなしというひどい状況だったそうです。友人にこの対策を伝え、そのトラック運転手さんはだまされたと思って毎日やってみたそうです。そうしたら、1ヵ月でとりあえず中に引っ込んだそうです。

良かったなぁ、と思いつつ、そんなにひどい人にも効くんだ、とにんまりした僕は、ずっと飲み続けているんですね(←おバカ)。そして、具合が悪くなるとしばらくこすり続ける、ということを繰り返し、今があるのです。

もし、悩んでいる方がいらっしゃいましたら、試してみてはいかがでしょうか。

ですが、お断りしておきます。
僕は医者でも何でもありませんし、情報源も不明です。そして、あらゆる症状に効くのかどうかなんてこともわかりません。ただ、自分は、それで助かった、ということです。ご自分の責任においてお試し頂き、もし改善されたら、よかったですね~という程度の話です。改善されなくても、当方は一切の責任を負えません。誤解のなきよう、お願いいたします。

さて、こするか。
まだまだ忙しくて、座りっぱなしだし~(悲)。

2010年10月15日

日本、もうダメか、やはり(その2)


連載にする気はなかったのだが、前回の記事の続きとなる。

詳細を書かないままで恐縮だが、今回の件で金融庁ホットラインに電話して苦情を申し立てた。もちろん、三菱東京UFJの本部にも電話し、苦情を申し立てた上で、金融庁にもこの件は相談します、と断った上でのことだ。

脅す気もないし、大人げなく荒れ狂うつもりもない。何をしたところで、僕の現状は社会的弱者に位置付けられ、金融機関は何もしてはくれないからだ。

だからこそ、僕が今いるような、世間の狭間にいる人たちは、声を上げなければならないと強く思う。

来週の月曜日、三菱東京UFJ銀行の直接の担当の上席が、詫びにお伺いしたいと、先ほど連絡が来た。わびられても、僕の希望や要望は叶わないのだが、来るというところは好印象だ。

それにしても、そういった結論が出るまでに一週間以上の時間がかかっている。何をしているのだと、言いたい。

繰り返すが、詳細も書かずにこのような記事では何もわからないと思うのですが、とりあえず覚え書きと言うことで。決着が付き次第、詳細を書きます。賛否両論が巻き起こるとは思いますが。

。。。まあ、このblog、誰にも読まれてませんけれども(笑)。

とにかく。
動脈硬化を起こしているメガバンクという印象だ>三菱東京UFJ銀行

念のために書いておくが、意味なく印象を悪くしたくて書いているのではない。僕の印象がこれなのだから仕方がない。

2010年10月6日

日本、もうダメか、やはり


怒り心頭で、まともに書けないが、日本という国はもうダメなんだろうと、思った。
いずれ詳しく書くが、今はとにかく、覚え書きで。

三菱東京UFJというメガバンクが、一般利用者に対してどのような態度で臨んでいるか、今日の出来事でよくわかった。いかに高慢で高飛車であるかを当の銀行がわかっていない。冷静に、マニュアル通りにしているのはよくわかった。そして、それがいかに「だめなこと」であるかをわかってほしい。

利用者の事情を考えない、自分たちのことだけの段取り。
そして、それさえもきちんと行えず、利用者を貶める無能な担当と上席。

そういう銀行を作ったのは、ほかでもない、国だ。
僕は悲しい。

だって、こんなシステムでは、弱者は絶対に這い上がれない。
この日本では。
きっかけさえも、与えられない。

そう、確信する。

またいずれ、書く。

2010年10月5日

本当に正しいのは何?


太りすぎだから、やせなさいと、医者に行くたびに言われます。twitterのプロフィールにも書いていますが、自分は192cm/100kgという生まれつきの大きな体をしています。

この身長での理想体重は約82kgなのだそうです。そして実は、一昨年、ダイエットに励み、94kgまで落としたことがあります。しかし、真夏の最中に寒くて仕方がなく、これは本当に自分の体なのだろうかと思い、ダイエットをやめました。

ダイエットをしなければならない事情を抱えています。太ったままではいけない体の状況です。だから本当は医者の言うとおりにしなければならないと思うのです。でも、元気がなくなってしまう。それは本当にいいことなのか? と今でも思っています。

学生の頃は、78kgでした。やせてました。社会人になって、飲む機会が多く、からだが大きいこともあって、ほぼ無制限に暴飲暴食を重ねてきました。そして、あれよあれよという間に、体重は120kgまで増えたのです。それは異常だったでしょう。そう思います(笑)。そのまま二十年が過ぎ、日々食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲み、吸いたいだけタバコを吸っていました。

そして一昨年、とうとう、医者に行く羽目になりました。なんだか体がどんよりとして重いのです。高校からの友人が開業医をやっており、「お前が病気になったら診てやるから」と言われていたのですが、ついぞ面倒で診てもらったこともなく、こんなことならば早く診てもらえば良かったと思っても後の祭りで、見事な糖尿と高血圧症でした。

そしてダイエットをし、約1年で正常値寸前まで回復したのですが、もうそのときはふらふらで、それこそ24時間365日パソコンに向かって仕事をするような生活でしたから、意識はもうろうとし、気力は萎え、もうダメだ、と思い、ダイエットを中止し、今があります。

ただ1つ、メリットがあったのは、ダイエットをすると言ってもただ痩せるのは嫌だったので、食事療法と毎日のウォーキング1時間でダイエットをしていたのですが、ウォーキングの際には両手に1kgずつ合計2kg+両足に2kgずつ合計4kgの総合計6kgの重りを付けていました。これによって、ほぼ脂肪→ほぼ筋肉になったのです。それは今でも変わりません。腹回りは脂肪がありますけれど(悲)。

そんな状況でも、医者や保険会社は「体重」しか見ません。成分(笑)は無関係なようです。それは本当に正しいですか?

しかも、もう歳ですから、さすがに昔ほど食べたり飲んだりできません。。。まあ、そうは言ってもこの体なので、毎日どれだけ飲んでいるかをここに書いたら、皆さん、仰天されると思います。

でも、それは、自分の体が欲しているからです。欲しているものを獲得せずに無理に我慢しているより、欲して満足して毎日を過ごす方が正しいと僕は思うのです。。。そう思いながらも、やはり、合併症とかは怖いので、自ずと我慢しようとしてしまうのですが、そうするといらいらしたり、体に元気がなくなったり、気力が失われたりします。

正直、板挟みで困っています。もう、この体になってしまっていて、それでもなお体は欲しているという状況を、僕はどうすればいいのでしょうか。

人生それほど長いものではないと思います。どこかで苦しみ始めるとしても、我慢した結果そうなってしまうことだってあり得るわけで、これはもう賭けだな、と思っています。

我慢し続けて死ぬ人生と、我慢せずに途中から苦しみが始まって死ぬ人生と、どちらがいいのでしょうか。

僕は、もう、決めています。後者です。そういう奴なのだ、と言われれば、そうですよ、と言い切ります。そして、苦しみが始まった途端、「ああ、我慢すれば良かった」と思うのです。もう、自分の性格ですから、わかりきっています。「やっぱり我慢しておけば良かった、苦しいよう」です。絶対にそうなります。

でも今は、我慢しません。仕事をきちんとやりきりたいし、いろいろなことを考えるためになるべく平静な脳みそを常に保ちたいのです。

本当に正しいのは、何なのでしょうか?

2010年10月2日

思いを馳せる


仕事が忙しいのに、blogを書いている場合じゃないとわかってはいるのですが、仕事「以外」の文章を書かないと落ち着かないのです。

最近、新聞で読んだのですが、グリーゼ581gという太陽系外惑星が地球の環境に近くて、生命の存在の可能性があってもおかしくない、と言うことで、久しぶりに僕はどきどきしました。

一応、理系と文系の両刀と自認していて、少しだけ理系に傾いていると思っている自分としては、幼い頃から宇宙に対して漠然とした想いがあり、いろいろな本を読み始めてから小松左京氏のSFに出会い、むさぼるように読んだものでした。

宇宙物理学とか、天文学とか、目指してみたいなぁ、と10代の頃に思ったこともありましたが、そこまで僕の脳みそは傾いておらず、ただただ、一人の地球民として、誰かが調べてくれて公になった情報を見る立場としてこれまで生きてきました。

小松左京氏の作品については、いずれまた感想なども書く機会があると思いますので、ここでは軽く流しますが、とにかく、小松氏の作品はSFと言えども、全くの「文学」であり、ファンタジーだけでなく、むしろ、人間とか生命に重きを置いているのです。僕は、めまいがするほどの感動と驚きを読むごとに感じ、今でも、何度も、ほぼすべての作品を読み返しています。

また、何年前のことか忘れてしまいましたが、NHKブックスから「異形の惑星」という本が出版されました。タイトルを見ただけで、読みたくて仕方がなくなり、確か大阪からの出張帰りの新幹線に乗りながら携帯でいろいろと見ていたときにその本のことを知り、なぜか京都で降り、京都タワーの中だったか近くだったかの書店で買い求め、帰りの新幹線で読んだという思い出があります。

「異形の惑星」が書かれた頃の系外惑星の状況というのは、この本にも書かれていますが、まさに「異形」なものばかりであり、とても生命が(特に地球人的生命が)存在することなど不可能な惑星ばかりでした。

ああ、やっぱり、地球のような惑星は存在しないのかなぁ、と、読了後におもったのを覚えています。

そして今、グリーゼ581gという惑星の存在が発見され、もちろん僕の胸はどきどきし、もっと調査が進んで詳細な情報を知りたいと思うばかりの今日この頃なのですが、果たして「行く」ことはできるのか? と現実的なことを思ってしまいました。

確かな情報であったかどうか、うろ覚えなのですが、宇宙戦艦ヤマトなどに登場する「ワープ航法」は物理的に不可能であることが実証されたと言うことを何年か前に何かで読んだ覚えがあり、もし居住可能な惑星が見つかったとしても、実際に行くためには、相当に近くなければだめなわけです。

グリーゼ581gの情報をネットで調べ、そこに書かれていることを読み進めてみたところ、地球との距離は20光年とのことでした。

。。。微妙か? でも「20」だし。

1光年がどれほど長大な距離であるかは知識としてもちろん理解しています。でも。「20」という数字は小さいですよね? 宇宙の年齢は150億年であり、大きさは一説に寄れば(膨張速度が光速を越えているので)半径150億光年を超えると言われています。

150億の中の20。。。
よし、と正直思いました。

早速ネットで、現在の最速ロケットでどのくらいかかるものなのかを調べましたが、、、その結果に愕然としました。

。。。75万年

75「万年」ですよ? どれだけですか。開いた口がふさがらないとはこのことで、しばらく呆然としました、まじめな話。宇宙を舐めてはいかんです。こんな距離、ずっとロケットが最大速度で飛ぶことさえ理不尽な話ですから、もう本当に現実的ではないですよね。

こんな時、せめて思いを馳せて、夜空を眺めながら、酒でも飲むしかないのでしょうね。