2011年12月10日

合致することが大事

やりたいこととできることは違うんだなって、この歳になると実感します。やりたいこととできることが合致して、はじめてモノになるんだということです。

僕は御多分にもれず、音楽が大好きです。B'zやChar、Queenなどは今でも繰り返し聴きます。昔はレッド・ツェッペリンやディープ・パープルにはまってました。ものすごいギタリストとボーカルのいるグループやユニットが好き、ってことですね。

そして御多分にもれず(笑)、ギターを弾けるようになりたい、迫力ある歌を自分で歌いたい、そう思って若い頃はずいぶんと練習しました。もちろん、あわよくばミュージシャンになりたいぞ~(照)、みたいなところも結構深くありました。

ですが、以前の記事にも書いたように思いますが、まったく才能がない。必要とされる資質の半分位を生まれながら持っていたら、努力して磨いて積み増すこともできたのかも知れませんが、残念なことにかけらほどしかなかったです。

それでも諦めませんでしたね、当時は。思い出すと、涙がでるくらい努力してましたです、はい。

はじめてギターに興味を持ったのは、小学校6年生の時でした。クラッシクギターで禁じられた遊びという王道から入り(笑)、すぐに挫折(:_;)。うーん、なんでできないんだろう、位にしか思いませんでしたね。

中学の時は吹奏楽をやってましたけれど、まあ、時々の達成感や高揚感は別として、特に面白いものでもなかったです。誘われてやっていただけなので。

高校生になってバンドやろうぜっていう、よくあるノリでベースを買いました。体の大きさでベース担当にさせられたのですが(笑)。まあ、普通には弾けるのですが、ちょっと技術を要するフレーズになると、練習してもしてもしても、ダメ。ごまかして弾いていましたけれど。

ギターやってた奴がかっこ良くて、ついでにエレキギターも買っちゃいました。こっちのほうがいいや、みたいなノリです。ある程度までは弾けるようになりますけれど、より異常にはならない。苦しかったですね。

大学に入ってからも自分でバンド組んでオリジナルも作っちゃったり、社会人になってからも週末はスタジオだ、みたいに励んだんですけどね。

どうにもこうにもやりたいようにやれない。歌だって音痴じゃないんですよ。でも、歌声に魅力がない。音は外さないけど、っていう感じでしょうか。

やりたいことがうまくやれないもどかしさ、と言うよりはもう、怒りさえ覚えましたね、自分に。でも、どれだけ頑張ったって、できないことはできないんだってわかったのは30歳くらいの時だったでしょうか。

実は1つだけ才能はあるんです。絶対音感に近いものを持っています。聴いただけでわかる。それはもう子供の頃からでした。ああそういえば、小学校低学年の時にやるソプラノリコーダーってあるじゃないですか。あれは天才的に上手でした。それがかえって良くなかった気もします。音楽できるじゃん、って勘違いしていたフシもありますね。悲しい。。。

まあ、ですけれども、僕の本業であるテクニカルライターという職業は、なんとかやりたいこととできることが合致しましたので、それで生きてこられましたが、合致しないままこの職に就いている人は苦しいだろうなぁ、って思うのです。

実にいろいろな要素が求められる職業です。あ、いや、大層なことではないのですが、僕はたまたま性質が合致していたんじゃないか、って気がするのです。

まず、パソコンとかワープロとか機材とか、そういうものが好きで好きでたまりません。音楽に熱中していた時代も、やたらと機材には詳しかったです。

そして、ディスプレイを終日見ていてもぜんぜん大丈夫なカラダです。ファミコンがこの世に出現してからPS3まで、ほぼすべてのゲーム機で多数のゲームをしてきましたが、特にドラクエやFFなどは、新作が出るたびに3日徹夜して、トイレと食事の時以外はすべてディスプレイ凝視(笑)していても大丈夫でした。

とにかく、視力が落ちないんです。疲れてぼやっとすることはあっても、視力は常に1.2以上でした。そのまま老眼気味になってしまって、もう近くの文字なんて読めないです(:_;)。手を伸ばして本を持って読む、みたいな(笑)。

それから、臆病で心配性なんですね。大丈夫かなぁ、って常に思っている。これ、結構重要です。マニュアルというものは、正しくなければなりません。でも、作っている最中は情報がどんどん変化していきます。古い情報を前提に作ったところは直していかなければならず、直したかな、、、あそこは手を入れたかな、、、この情報は開発者に確認したかな、、、とか、常に心配しなければならないのですが、心配性なのでこれが自然にできちゃう(笑)。心配するっていうことが、ストレスにならないんですね。

カラダがでかいのに、臆病で心配性ですか? っていうツッコミは「なし」でお願いします(笑)。

まあ、後は、無尽蔵の体力、でしょうか。なんだか知りませんが、体力だけはやたらとあります。この仕事は持久力勝負みたいな所がありますし、やってもやっても終わりませんから、途中で心が折れたらもう終わりません。心を支えるのは結局の所は体力なのです。

30代の頃は「24時間365日働きます」っていうのが僕のキャッチフレーズでした。嘘ですけど(笑)、そのくらいやりますよ、ってことです。もちろん、日々寝ますが(笑)、休日っていうものは取らなかったですね。年に5日も休んだかどうか、という感じです。一人前になったなぁと思えたのが30歳前半くらいでした。そこからここまでの十数年間、そういうペースで仕事をしてきました。これはもう、本当に持って生まれた無尽蔵の体力を生み出しちゃうカラダのおかげです。

。。。今は、実は疲れちゃって休暇にしています。十数年ぶりの休暇です。嬉しい日々です(爆)。

他にも、コミュニケーション能力とか、理解力とか、表現力などなど、必要とされるものはいろいろあるのですが、ほぼ、それらを満たすものを持っていたし、磨くことでどんどんと積み増すことができました。ですから、やりたいこととできることが合致していて、それを本業にできた僕は幸せなのかも知れません。

やりたいことがあって、それを目指す努力というのはすべきたと思います。でも、どうしても目指すところに到達できない場合、自分のできることが足りてないという現実はあるかも知れません。それは悲しい事ではありますけれど、努力は決して無駄にはなりません。どこかで必ず活かされます。

テクニカルライターとして、音楽関係のマニュアルも作りましたよ。そういうところに活かされるんです。だから、僕の音楽に対する努力は無駄ではなかったどころか、財産になっていたというわけです。

だからこそ、やりたいことがあるならば、とにかくがむしゃらに頑張るべきなのだとぼくは思うのです。やりたいことができるようになるかどうかは別問題です。まず、やるべきです。やりたいことに情熱を傾けることは決して悪いことじゃありません。待っている結果が挫折だったとしてもそれはそれでいいじゃん、って、この歳になるとそう思います。

歳取ると、そういうことを平気で言えるからやですね。若い時は「ざけんなぁ! 俺は絶対やったる」という思いばかりでしたから。

論外は、やりたいことがない、という場合ですね。これは大問題だ。やりたいことがない人、結構いるんじゃないでしょうか。もったいないですよ。できることは必ずあるから、それを知るためにも何かに情熱を燃やすべきだとおじさんは思うのですが、別にやりたいことねぇし、とか言われると、うーむ、と唸ってしまうのでありました。

取り留めもなく長文を書いてしまいましたが、実はまた新たにやりたいことができてしまいまして。。。いい歳して、まだなんかすんのかよ、って感じですが(笑)。果たして資質があるのかどうか、やってみないとわからないというのが面白くもあり、困る所でもありますね。残りの人生、そんなに長くないのに(:_;)。

でも、頑張っちゃうんだろうと思います。痛い目に遭おうが何しようが、やりたいからやるんです。別に無理してやりたいことを掘り起こしたわけでもなく、ただ興味があり、自分もできるようになりたいと思ってしまったので、こればかりは仕方ないです。

なので、いろいろ勉強中です。また頑張る日々です。

何をやりたくなったのか、って?
秘密です(笑)。