2015年1月17日

51回目の誕生日に思うこと

17歳の時に「人生の3分の1が終わった気がする」と思ったのは、なぜだったんだろうな。予言の能力があるわけでもなく、よくわからないですが、しかし、ふとそう思ったのは事実です。


3倍すれば51歳ですね。まさに今日です(笑)。めでたく51歳になりました(爆)。


これまでの人生において、17歳の時に思ったことを折に触れて思い出しては、「まだまだ51歳までは間があるし」ということを思っていました。つまり、もしも17歳の時に思ったことが正しいのであれば、「51歳までは何があっても死なない」ってことだったからです。。。笑っちゃう話ではありますが。


ということはですね、今日からは事情が違うってことです。終活ということではないですが、これからは日々、より強く、「はい、いつかは死にますね」ということを意識しなければいけない、ってことなのです。


「人生の3分の1が終わった気がする」っていう過去の思いは極めて個人的なことだし、何もわざわざ文章にして書くことでもないのですが、ブログは個人的なものですから、まあそういうことがあったんだよ的なことを記録してもいいかな、という軽い感じで書いております。まあ、それはそれとして、51年もよくぞ生きたものだという感慨もあり、ちょいと書いてみたくなったのです。


閑話休題。


昨夏、大切な友人が突然亡くなったと連絡が来ました。


高校の入学式で、その友人は僕の背中をトントンとたたいた。振り返るとその友人ではなく、そのもう一人後ろの奴がいた(笑)。当時すでに180cmだった僕は、友人が小さかったので(というか普通だったけど)見えなかったってわけだ(爆)。ふと下を見ると、「でけぇな、お前」と言われ、「おう」と答えた。それが始まりだった。


友人は医者になることをすでに決めており、さんざん苦労して医者になった。高校時代のある時、「お前のカラダは俺がずっと診るから安心しろ」と言われ、「おめぇにまかして大丈夫かよ」と返したのだが、42歳になってそれは現実となり、以来、友人にすべてを任していた。


また、これも高校時代のある時、冗談ではなく結構真剣に「お前、医者になるんだったら、ちょっとお願いがあるんだけどな、俺が死ぬときは、お前が看取る前提で、その時にさ、どんな手を使ってもいいから一瞬だけ生き返らせてくれ」と友人に言った。「???」という顔をされたので、「その一瞬で見てきたものが何かを叫んでまた死ぬ」と言ったら大笑いされた。そしてマジになって「それを実現するには、まず開業医になってたほうがいいな、それといろいろな機械が必要だよ」というので、「よろしく」と言ったら苦笑いしていたけど、幾多の勤務医を経て友人は開業医になった(笑)。42歳以降、友人は主治医として毎月僕のカラダを診てくれていたわけなのだが、「約束忘れてねぇだろうなぁ」というと、「おお、死にそうになるまでにはいろいろ揃えておくぜ(笑)」的なやり取りをしていた。


まさか、お前が先に死ぬとは思いもしなかったよ、って話です。


お前が先に死んじゃったら、「一瞬生き返らせる」約束はどうなるのよ、って思いましたよ(笑)。何となくだけど、友人が先に死ぬってことを微塵も思ったことがなかったんですね。必ず自分が先に死ぬと思っていたから、そういう約束話になったんだけれど。予定が狂った(笑)。


ちなみに、上記の(笑)には涙が隠れているのをわかってくださいね。僕は友人に先立たれ、非常に悲しかったんです。約束がどうのこうのではなく、まだまだこれから「どうしようもねぇ、くそじじい」になって友人と遊びたかったんです。


いきなりそういうことが、起こるから、、、まったくもって自分にとっては理不尽なことであるけれど、やっぱりそういうことって起こるのだから、、、それじゃあ、もう自分がいつ死んでもおかしくないなって、思うわけです。


自分の予感による約束の時は来たし(笑)。あっち行ったら友人に「てめえ、約束果たさずにいなくなりやがって」と、蹴りの2、3発でも食らわしてやることでしょう(爆)。


だが、しかし、自分は今、まだ生きている。それが事実です。
51年も生きてきて、現実にまだ、生きている。この事実を今後、どのように認識すべきか、ということなのです。


これまでにも、早逝した知り合いが何人かいます。生きている以上、そういう出来事は周りで否応なく起こるのです。僕の父は42歳で亡くなりました。父の年齢を超えたとき、不思議な気持ちがしたものです。でも、生きている以上、そういうことと対峙し、それがどういうことなのかを自分なりにきちんと認識し続けなければならないのです。それが、現在「生きている」自分にとって大事なことなのだと思います。。。やがて、自分の順番が来るまでは。。。


いつそれがやってくるかはわからないわけなのですが、確実なことは、17歳の時よりも残りは少ないってことです(当たり前ですが)。そして、若いときに比べたら老いてます(これも、当たり前のことですが)。そういう自分をきちんと認識し、やがて来るその時まで、いかに自分が生きたいように生きられるかどうか、もうそれしかないんじゃないでしょうか。


だからこそ、17歳の時に思ったことを引っ張り出してきて、今一度自分を振り返るために、わざわざ51回目の誕生日に(笑)、長々と書いてみたのでした。


日々、いろんなことがあるし、面倒だし、でも頑張らなきゃならない。そうやってこれまでは、「結構先のことまで」考えながら生きてきたけど、今日からは日々が大事。うまく言えないので思ったまま書きますが、「今日死んじゃうかもしれないから今日一日とにかく頑張ろう」、「あれ、また次の日が来たな、じゃあ、今日もめいっぱい頑張ろう」、っていうことです。。。うーん、なんか違うけど、ま、そういう感じってことです(笑)。


そして今後の目標は、「くそじじいになる」です(笑)。
くそじじい目指して、これからも日々、頑張ります(爆)。