2013年11月11日

炭水化物制限+減塩=食べられるものが減ってゆく(笑)

糖尿っていう言葉が嫌い、と以前の記事に書きました。高血糖症と言う名前にしてくれと思います(笑)。尿が問題じゃないんだから。。。こういう名前にするから勘違いしてしまうのですよ。高血糖症は血管を傷つけてゆくのです。だから、さまざまな合併症がおこるのです。そういうことがわかるようにしておいてほしいです。

で、おそらくですね。以前の記事を参照してほしいのですが、僕は高血糖症であることを自覚するまで、ずいぶんと長い間放置していたはずなのです。それによって、血管はすでに傷ついていると思います。そして肥満。だから、高血圧。そう思っていました。

ダイエット方法を試行錯誤して、何度も失敗して、なんとか113kg→92kgになりました。このところは92kg を割り込んで、91.4kgとかです。なんとか夢の90kg割れに持ち込みたい、そう思っています。

なのですが、先日の定期検診で高血圧を指摘されました。あれ? もう肥満じゃないけど。。。と言い返しても、数字はうそをつきません。高校の同級生だった医者に診てもらっているので、辛辣な(笑)忌憚のない(爆)ご指南をありがたく頂戴いたしましたが、どうも納得できん。

原因として考えられることは数多くあり(泣)、列挙してみますね。
●酒
●たばこ
●高血糖症による血管老化

あれ? このくらいだなぁ、と。思ったわけなのですが。まあ、これだけでも十分ご立派ですが(笑)。

さて、では、ネットで調べましょう、と、検索してみたところ、もちろんひとつ大事なことを忘れていますね。塩分です。

正直なところ、まず体重を減らすことが念頭にあり、減ったらOKではなく、死ぬまで維持しなければなりませんので、自分で考えに考えて採用している炭水化物制限をずっと続けているわけです。塩分まで気が回らなかった、というか、無視していました。

炭水化物制限の大事なところは、摂取量が明確であることです。ゼロだと脳みそが逝っちゃいます。標準摂取量だと太ってまたHbA1cが上昇します。もちろん、日々の血糖値も上昇します。だから、自分のころあいの摂取量を見極める必要があります。

そのために選択したのがインスタントラーメン。忙しい中で、ちゃっちゃっとゆでて出来上がるので、楽ですし、何より袋の裏に炭水化物量が書いてありますから、明確に把握できます。

そして、もうひとつ大事なのが、たんぱく質をきちんととることです。なので僕は、卵2個+豆腐1丁+ネギ大量+キャベツなどの葉物大量投下して一緒に茹でて食べています。

。。。まあ、インスタントラーメンと言う選択肢が良くなさそうな気はしていましたが(笑)。そう、ここ1年くらい、日中はインスタントラーメン1食のみで過ごしてまいりました。でも、おかげで体重を減らすことは成功したので、自分的にはOK「でした」。

「でした」。。。過去形ですね(笑)。昨日、袋の裏の塩分量を確認して愕然としました。なんと「5.6g」。ひぇ~、そ、そういうことね、と。

標準塩分摂取量が10g以下、です。高血圧の場合は「6g」です。

あー、なるほど、と。
そしてまた、以前さんざんお世話になった、含有量一覧表を参照したのであった(笑)。

炭水化物含有量一覧
http://www.eiyoukeisan.com/calorie/nut_list/carb.html
塩分含有量一覧
http://www.eiyoukeisan.com/calorie/nut_list/salt.html

あー、やばい。。。日々、摂取している食物の中で、塩分が高いものが相当数含まれているのが一目瞭然でした。

特にやばいと思ったのが「チーズ」。炭水化物が少ないので、どうしてもおなかが空いているときに、積極的に摂取していました(泣)。ほかにもいろいろ。。。ハムとか大好き(笑)。

ざっくり計算してみたところ、どうやら炭水化物制限のために「良い」と思って摂取していた食物の塩分合計で、な、なんと~、10gを軽く超えて日々摂取していた模様であります(^_^)/。笑い事じゃない。。。

はい、それでは、ダイエットを始めようと決意したときと同じように、自分内作戦会議です。うーむ、うーむ、うーむ。

そして、出た結論がこれ。早速実行しています。
●1cc計量スプーンの購入(塩1g=1cc)
● インスタントラーメンの出入り禁止(昨日、スープなしで食べたら、まずくはないけど毎日は無理、そして麺だけでも相当な塩分がある)
●炭水化物制限のために積極的に摂取してきた食物の中で、塩分含有量が多い 食物の摂取禁止(チーズよ、さようなら(泣)、ハム、ばいばい~、焼酎お湯割りでの梅干し禁止(大泣)、などなど、多数)
●血管若返りを目指す(葉酸と桂皮(シナモン)の摂取)←昨日買ってきました(笑)
●カリウム摂取(塩分排出)←FBで先ほど情報をいただきました~ありがとうございます(^_^)/

ため息が出る~食べられるものが半分くらいになってしまった。。。これは相当厳し、、、くはない。です。僕には、炭水化物制限での苛烈な経験がある。だから、大丈夫です。

日中に食べるものは(今日初めて作ろうと思っていますが)、御飯ですね、やっぱり。たっぷりの水で煮る=おかゆ的なものです。それに、卵と豆腐とネギと野菜を入れて、1ccスプーンで塩を1杯だけ入れる。炭水化物制限+減塩の両立です。味はどうだかわかりませんが、スープなしラーメンよりはましでしょう(笑)。それにもう、味はどうでもいいというカラダになっています。

そして、午後になってどうしてもおなかがすいたら、ポタージュスープ。これは食塩が1.2gです。これで、日中の最大摂取量は2.2gとなります。できれば、1gのみで晩酌まで持ちこたえたい、と思っています。

夕飯は、塩分制限の食事を奥さんにお願いするのは、奥さんにとっても、僕にとっても、とても面倒なので、自分で取捨選択して制限していきます。これは、日中の摂取量をいかに抑えるかにかかってきますので、まずとにかくは日中の摂取量厳守、ですね。

そして、晩酌時に必携なのは、5cc計量スプーン、マヨネーズ、七味唐辛子。塩分の少ない調味料の中で好きなもので工夫しましょう、と言うことです。

マヨネーズ5cc=塩分0.25g
七味唐辛子=塩分ほぼゼロ

そして、どうしても醤油を使いたいときがあります。そのためにも5ccスプーンが必須です。
醤油5cc=塩分1g

昨晩、お刺身があったので、5ccではなく1ccで試してみました。全然それだけで足りましたよ。そういうものかと思いました。

まあ、いずれにしても、食べられるものが減りますね。ファストフードなんて論外、というか、外食は危険な食べ物と言うことになります。

生活習慣病になるような生活をしてきた(過去記事参照)のですから、致し方ない、と言うか最近では、こういう問題が持ち上がるたびに、薬なしで何とかしようという使命感みたいなものが湧き起ります。

あのですね、もう、年が明けたら50歳なのですよ。なんだかんだと言いながら、50年も生きてきました。十分です。それが正直な気持ちです。そして、このカラダのおかげで、さんざん飲み食いして来れたことがとても幸せです。なので、この先は、いかに臨機応変に対処していくか、それだけだと思っています。

ただし。
絶対に、酒とたばこはやめません。これをやめることはあり得ません。この先、特にそうです。酒もたばこもおいしく感じられなくなった時が終わりだと思っています。それまでは、食生活で対処していく所存であります。

若くしてこういう状況になってしまった人もいることでしょう。いかに自分と折り合いをつけるのか、ただそれだけだと僕は思います。自分が納得できる対処と今後。それが一番大事です。

さて~減塩頑張るぞ!

※この記事は、僕自身にのみ適用できるお話です。医学的に何の根拠もありません。この記事の内容によって他の方におかしなことが起こっても、一切責任を負えません。ご了承くださいませ。※

2013年2月3日

オカルト話と現実的推測

いやいや、、、(-_-;)。
久しぶりに、本当に久しぶりにやられちまった。

昨晩、夢を見ている自分がいて、夢の中で何やら忙しく仕事をしていたのだ。だいたい僕は、酔っ払って眠ると本当にぐっすりと眠るタイプで、夢は見るけれども、朝起きたらほとんど覚えていない人なのだ。夢を見たかな~程度なのである。

昨晩の夢ははっきりと覚えている。とにかく一所懸命仕事をしていたのだ。バタバタしながら、打ち合わせのためにある人のところに行き、その人といろいろ話していた。

打ち合わせも終わりに近づき、その相手がふっと微笑んだ途端、夢は終わった。そして、まだ眠っている感覚のまま、現実の僕は仰向けのまま、背中からふわっと、直立に布団ごと立たされた。 結構な勢いだったので、「やばい、クローゼットの扉にぶつかる!」と思ったくらいだ。寸前で止まり、また、ふわっと、倒された。

おいおい、かんべんしてくれよ、と思ったら金縛り。やだやだ、金縛りはやめて! と動けなくなる前にもがき、何とかのがれたのだけれど。

そこで目が覚めて、大きなため息をついた。

さて。
別に冗談で書いているわけでもないし、軽い気持ちで書いているわけでもない。朝からこんな文章を書くほどヒマではないので。現実にリアルな体感があったから、わざわざ書いている。

そして、冒頭で、「久しぶりに」と書いているように、僕はこの手の体験は初めてではない。 小中学生のころはよくこういうことがあった。

具合が悪くて学校を休んで2階の自分の部屋で寝ていた時、誰もいないのに階段を上がってくる誰かがいて、音が止まったと思ったらもう僕の上に乗っている、とか。夜、寝ていたら、いきなり体が浮かび上がって天井に押しつけられたり、とか。そして、金縛りはしょっちゅうだった。

社会人になって太ってから(笑)、実はそういうことが全く起きなくなった。最近、ダイエットで痩せてしばらく経ったので、またこういうことが起こったの? と思ったりしている。

現実的推測。

昔のそういう体験があり、霊魂とかあの世とか、あるんだろうなぁ、くらいには思っていた。死ぬ間際の人の体重を特殊な装置で測り、亡くなられた直後に測り直したら35g減っていたので、霊魂の重さは35gだ、なんていうおかしな話にもきちんとだまされたりしていたのだ。

社会人になって、大人の現実の中で生きていくようになると、こういう話が嘘に思えたし、物理的に言って、そりゃないでしょう、って思うようになった。20代くらいですでに霊魂やあの世などの存在は否定的だったし、30、40と歳が進むにつれ、科学的に無理があるんじゃね? という思いは強くなり、昨晩までは完全否定派でした。

人は死んだら、焼かれて骨だけになり、その他の部分は煙になる。つまり、単純な無機的物質に還元されるのだけれど。骨だって、ただの物体だ。意識なんて形も何もないし、そもそも生きていたって目に見えないし、ハードウェアに対するソフトウェアみたいなもので、ハードがなくなればソフトはない。そんな風にとらえていたのだけれど。

そして今。
ちょっと待てよ、と。
正直、思っている。

存在を否定できる根拠もないよね。そう思っている。大人的冷静発想。存在を肯定するにも否定するにも、根拠がない。そういうものだ、オカルトなことというのは。ま、それでいいのだけれど。

で、愛犬と散歩しながら、ふと思いついてしまった。ヒッグス粒子とダークマター。これらって、ほとんど最近の話題であって、昔はその存在がオカルト的だったはず。

ヒッグス粒子は、物質に質量を与えるものだという。ヒッグス粒子がなければ、宇宙のすべての物質は光速で飛び回るしかない(ということだったと思う、、、自信なし)。

ダークマターは、暗黒物質と言われ、人間が宇宙の質量をさまざま計算したところ、こういうものが存在しないと辻褄が合わず、目に見えたり量れたりする物質だけではどうにも量が足りないので、出てきた概念。本当に存在するらしいのだが、正体不明という代物。

ヒッグス粒子が取りついていないダークマター、それが霊魂だったら? 

朝から何を突飛な推測を(笑)。しかも愛犬の散歩をしながら(爆)。

でも、宇宙的には何があってもおかしくない、というか人間の知識や知恵、経験が全く追いついていないのだから、別にそういうのでもいいんじゃないの。

存在するでも、しないでも、いい。でも、いずれ自分の存在も終わるし、そのときに霊魂っていう存在になっていくのだとすると、ちょっとワクワクしないでしょうか(笑)。自分のハードは動かなくなったけど、ヒッグス粒子なしのダークマターになっちゃった、みたいな(#^.^#)。

んー、、、朝からバカだ。。。

2013年1月31日

人は必ず死ぬのだけれど

数日前に、昔勤めていた会社で部下だった女性から電話があり、あれ、どうしたの、珍しいね、なんて話をしていたのだけれど。

疎遠になっていて、もうおそらく連絡することなどないだろうと、アドレス帳からは削除していた人だっただけに、少し驚いたのが正直なところ。

アドレス帳からあなたのことは消しちゃったんだけどね、と素直に言ったら、削除するなんてひどいですよ、なんて言われつつ、時々当時の仲間と呑んでいたりするらしく、僕の連絡先が分かったので、また呑みましょうよ、という話だった。

まあ、それはいいけど、みんな元気なの? と聞いたところ、いや、笑えない話があるんですよ、と言う。

何、その意味ありげな物言いは、と思い、何があったの? と問うと、いや、今度呑みに行った時に話そうと思ったんだけれど、と言う。

もったいぶらずに言いなさいよ、とたたみかけると、当時、共に働いていたやはり部下だった女性が半年前に亡くなったのだという。

は? と僕は耳を疑った。 電話をくれた女性ともう一人の女性、僕の上司にあたる年上の男性、そして、亡くなった女性とは、仕事帰りに結構呑んだりしていたのだ。もう、10年以上前の話。

だが、亡くなった女性とは仕事上であまり良い関係ではなく、僕としてはいろいろ思うところもあり、もちろん、相手にも思うところがいろいろとあったと思え、冷たい関係になってしまっていたので、電話でその女性の話題が出るまでは思い出しもしなかったのだ。

がんで亡くなったのだという。そうなのか、と一瞬思う。
そして、思いもよらない鈍いショックがあった。

え、なんで、彼女がなくなったからと言ってショックを感じるのだ? と僕は思う。良くわからない。

平静を装って、電話の女性とバカ話をし、みんなで呑みに行こうね近いうちに、と電話を終わったのだが。

ショックが立ち去らない。なぜだろうか。僕は自分をいぶかしがる。

この数日、ときどき亡くなった女性のことを思い出しては、またショックが蘇る。そして僕は分かったのだ、その理由が。

そんなに早く死ぬなよな、って思ったってことだ。
そう思わせる人だった、ってことだ。

仕事上のうんぬんがあり、僕はむかつくことがあったし、それは彼女にしてもそうだっただろうと思う。でも、そういうことはうわべの話なんだな、って思うのだ。

おそらく、僕は、その当時でさえ、彼女のことを認めていたのだろう。とても頑張るし、一途だし、何よりそのキャラクターはあまり見かけないような魅力的なものだった。つまり、素敵な人だったのだ、と思う。

仕事上ではどうしても駄目だったけれど、人として僕は彼女を認めていたのだ、と改めて思ってしまったのだ。だから、びっくりしたと同時に、え、まさか、あの人が、そんなに早く死ぬなんておかしいじゃないか、と思った、ということなのだ。

それが、ショックの原因・理由。

もう、50歳になろうとする自分は、自分の人生についていろいろ考えてきた。いろんな理屈があるだろうし、考えるべきさまざまなことがたくさん転がっている。50年生きたって、別に何があるわけでもないのさ、と思ったりもする。

でも、理屈や理由はどうでもいいから、自分より若い魅力的な人が自分より先に死ぬなんて、ダメだよ、って思ったのだ。

そう思わせる人だったのだ。

これまでにたくさんの人とかかわってきた。自分という基準でその人々を観たとき、それぞれの人たちに対する感情や、言葉は悪いけれど評価がある。年上の人も、同い年の人も、年下の人もいる。

そういった個々に対する自分の中での判断基準などどうでもいいよ、なんで死んじゃったのさ、って思ったのだ。

そう思わせる人だったのだ、と思う。


人は必ず死ぬのだけれど、早逝は辛いな。
心の底からそう思った。

生きていたってもう、連絡を取るような間柄じゃなかったので、二度と会うことはなかっただろうと思うけれど、それは可能性の問題であって、こんな、まったく絶対にもう会うことがないという、その可能性さえ断ち切られるようなことは、悲しいな。

歳をとると、こういうのは辛いんだなと、初めて思った。

ご冥福を祈る。
合掌。