2011年12月10日

合致することが大事

やりたいこととできることは違うんだなって、この歳になると実感します。やりたいこととできることが合致して、はじめてモノになるんだということです。

僕は御多分にもれず、音楽が大好きです。B'zやChar、Queenなどは今でも繰り返し聴きます。昔はレッド・ツェッペリンやディープ・パープルにはまってました。ものすごいギタリストとボーカルのいるグループやユニットが好き、ってことですね。

そして御多分にもれず(笑)、ギターを弾けるようになりたい、迫力ある歌を自分で歌いたい、そう思って若い頃はずいぶんと練習しました。もちろん、あわよくばミュージシャンになりたいぞ~(照)、みたいなところも結構深くありました。

ですが、以前の記事にも書いたように思いますが、まったく才能がない。必要とされる資質の半分位を生まれながら持っていたら、努力して磨いて積み増すこともできたのかも知れませんが、残念なことにかけらほどしかなかったです。

それでも諦めませんでしたね、当時は。思い出すと、涙がでるくらい努力してましたです、はい。

はじめてギターに興味を持ったのは、小学校6年生の時でした。クラッシクギターで禁じられた遊びという王道から入り(笑)、すぐに挫折(:_;)。うーん、なんでできないんだろう、位にしか思いませんでしたね。

中学の時は吹奏楽をやってましたけれど、まあ、時々の達成感や高揚感は別として、特に面白いものでもなかったです。誘われてやっていただけなので。

高校生になってバンドやろうぜっていう、よくあるノリでベースを買いました。体の大きさでベース担当にさせられたのですが(笑)。まあ、普通には弾けるのですが、ちょっと技術を要するフレーズになると、練習してもしてもしても、ダメ。ごまかして弾いていましたけれど。

ギターやってた奴がかっこ良くて、ついでにエレキギターも買っちゃいました。こっちのほうがいいや、みたいなノリです。ある程度までは弾けるようになりますけれど、より異常にはならない。苦しかったですね。

大学に入ってからも自分でバンド組んでオリジナルも作っちゃったり、社会人になってからも週末はスタジオだ、みたいに励んだんですけどね。

どうにもこうにもやりたいようにやれない。歌だって音痴じゃないんですよ。でも、歌声に魅力がない。音は外さないけど、っていう感じでしょうか。

やりたいことがうまくやれないもどかしさ、と言うよりはもう、怒りさえ覚えましたね、自分に。でも、どれだけ頑張ったって、できないことはできないんだってわかったのは30歳くらいの時だったでしょうか。

実は1つだけ才能はあるんです。絶対音感に近いものを持っています。聴いただけでわかる。それはもう子供の頃からでした。ああそういえば、小学校低学年の時にやるソプラノリコーダーってあるじゃないですか。あれは天才的に上手でした。それがかえって良くなかった気もします。音楽できるじゃん、って勘違いしていたフシもありますね。悲しい。。。

まあ、ですけれども、僕の本業であるテクニカルライターという職業は、なんとかやりたいこととできることが合致しましたので、それで生きてこられましたが、合致しないままこの職に就いている人は苦しいだろうなぁ、って思うのです。

実にいろいろな要素が求められる職業です。あ、いや、大層なことではないのですが、僕はたまたま性質が合致していたんじゃないか、って気がするのです。

まず、パソコンとかワープロとか機材とか、そういうものが好きで好きでたまりません。音楽に熱中していた時代も、やたらと機材には詳しかったです。

そして、ディスプレイを終日見ていてもぜんぜん大丈夫なカラダです。ファミコンがこの世に出現してからPS3まで、ほぼすべてのゲーム機で多数のゲームをしてきましたが、特にドラクエやFFなどは、新作が出るたびに3日徹夜して、トイレと食事の時以外はすべてディスプレイ凝視(笑)していても大丈夫でした。

とにかく、視力が落ちないんです。疲れてぼやっとすることはあっても、視力は常に1.2以上でした。そのまま老眼気味になってしまって、もう近くの文字なんて読めないです(:_;)。手を伸ばして本を持って読む、みたいな(笑)。

それから、臆病で心配性なんですね。大丈夫かなぁ、って常に思っている。これ、結構重要です。マニュアルというものは、正しくなければなりません。でも、作っている最中は情報がどんどん変化していきます。古い情報を前提に作ったところは直していかなければならず、直したかな、、、あそこは手を入れたかな、、、この情報は開発者に確認したかな、、、とか、常に心配しなければならないのですが、心配性なのでこれが自然にできちゃう(笑)。心配するっていうことが、ストレスにならないんですね。

カラダがでかいのに、臆病で心配性ですか? っていうツッコミは「なし」でお願いします(笑)。

まあ、後は、無尽蔵の体力、でしょうか。なんだか知りませんが、体力だけはやたらとあります。この仕事は持久力勝負みたいな所がありますし、やってもやっても終わりませんから、途中で心が折れたらもう終わりません。心を支えるのは結局の所は体力なのです。

30代の頃は「24時間365日働きます」っていうのが僕のキャッチフレーズでした。嘘ですけど(笑)、そのくらいやりますよ、ってことです。もちろん、日々寝ますが(笑)、休日っていうものは取らなかったですね。年に5日も休んだかどうか、という感じです。一人前になったなぁと思えたのが30歳前半くらいでした。そこからここまでの十数年間、そういうペースで仕事をしてきました。これはもう、本当に持って生まれた無尽蔵の体力を生み出しちゃうカラダのおかげです。

。。。今は、実は疲れちゃって休暇にしています。十数年ぶりの休暇です。嬉しい日々です(爆)。

他にも、コミュニケーション能力とか、理解力とか、表現力などなど、必要とされるものはいろいろあるのですが、ほぼ、それらを満たすものを持っていたし、磨くことでどんどんと積み増すことができました。ですから、やりたいこととできることが合致していて、それを本業にできた僕は幸せなのかも知れません。

やりたいことがあって、それを目指す努力というのはすべきたと思います。でも、どうしても目指すところに到達できない場合、自分のできることが足りてないという現実はあるかも知れません。それは悲しい事ではありますけれど、努力は決して無駄にはなりません。どこかで必ず活かされます。

テクニカルライターとして、音楽関係のマニュアルも作りましたよ。そういうところに活かされるんです。だから、僕の音楽に対する努力は無駄ではなかったどころか、財産になっていたというわけです。

だからこそ、やりたいことがあるならば、とにかくがむしゃらに頑張るべきなのだとぼくは思うのです。やりたいことができるようになるかどうかは別問題です。まず、やるべきです。やりたいことに情熱を傾けることは決して悪いことじゃありません。待っている結果が挫折だったとしてもそれはそれでいいじゃん、って、この歳になるとそう思います。

歳取ると、そういうことを平気で言えるからやですね。若い時は「ざけんなぁ! 俺は絶対やったる」という思いばかりでしたから。

論外は、やりたいことがない、という場合ですね。これは大問題だ。やりたいことがない人、結構いるんじゃないでしょうか。もったいないですよ。できることは必ずあるから、それを知るためにも何かに情熱を燃やすべきだとおじさんは思うのですが、別にやりたいことねぇし、とか言われると、うーむ、と唸ってしまうのでありました。

取り留めもなく長文を書いてしまいましたが、実はまた新たにやりたいことができてしまいまして。。。いい歳して、まだなんかすんのかよ、って感じですが(笑)。果たして資質があるのかどうか、やってみないとわからないというのが面白くもあり、困る所でもありますね。残りの人生、そんなに長くないのに(:_;)。

でも、頑張っちゃうんだろうと思います。痛い目に遭おうが何しようが、やりたいからやるんです。別に無理してやりたいことを掘り起こしたわけでもなく、ただ興味があり、自分もできるようになりたいと思ってしまったので、こればかりは仕方ないです。

なので、いろいろ勉強中です。また頑張る日々です。

何をやりたくなったのか、って?
秘密です(笑)。

2011年11月22日

あこがれのぶかぶか

さすがに寒くなってきたので、夏物や秋物をしまって冬物の服を全部出しました。一昨日くらいまでは薄いパーカーを羽織っていれば十分でしたけれど、今朝はさすがに寒くて厚手のパーカー(パーカー好き(^_-)-☆、)を着て愛犬の散歩に行こうと思いました。

着てみたら、ぶかぶか(笑)。そうだよなぁ、5Lだものなぁ。昨冬まではまだ肥満だったからこれで丁度良かったけれど、さすがに今の体型ではぶかぶかどころではないほど大きいなぁ、と思います。

でも、これって憧れだったんです。背が飛び抜けて大きい上に、横幅まで貫禄がついて、縦幅(?)~いわゆるお腹の出具合~も横綱並みで、とにかく大きいサイズをぎりぎり着てこれまでの人生の大半を過ごしてきたのですから、ぶかっと服を着ることにとてつもなく憧れていたのでした。だから、太っていたときの服しかない今、何を着てもぶかぶかで、実は嬉しいです。

昨日、打ち合わせで外出したのですが、久しぶりにスーツを着ました。ウエストが120cmの時に作ったオーダースーツです。もうですね、コブシが3つくらい入るほど、ゆるいです。今のウエストは正確に測っていないのですが、100cmのジーンズをはいて拳がひとつは入るくらいなので、90cm前半くらいだと思います。仕方が無いので、ベルトでギュッと締めて、余った分を後ろに手繰り寄せてごまかしてはいて行きましたけれど。。。

でも、上着はごまかしようが無いです。肩幅から横幅から、全然サイズがあっていない。傍から見たらおかしいと思うのです。自分でも鏡を見てさすがにおかしいなぁ、って思いましたけれど、それが嬉しい(笑)。こういうの、本当にやってみたかったんです。

また太っちゃったらあれだから(笑)、これらはすべて着続けようと思っていますけれど、もう断固として太るつもりはないので、やっぱり新調しなければダメか、、、と揺れ動いています。

あこがれのぶかぶかのままでいきたいのですけれど~。

2011年11月15日

正常人間

先月初めに採血した結果を、やっと今日見ることができた。忙しくて病院に行かれなくて。ずっと気にしていたのですけれど。

さっき、Twitterでもつぶやいてしまいましたが、血糖値関係も全て正常に! その他は随分前から正常なので、なんとこの歳になって正常人間になってしまいました! 嬉しいです。

なんか変だぞ~と思ったのが2008年の6月。。。ん? 3年半も経っている。。。2年半の努力が、、、とつぶやいてしまった(笑)。3年半だ、すごいなぁ。

あの時の、体のおかしさ加減は今でも覚えている。もうなんとも言い表せないダルさ、気分の悪さ、ずわぁぁぁんという、足元から込み上げてくるような不快感。初めての感覚だったし、もうこれはやばいと思って友人の開業医を訪ねた。

以前の記事にも書きましたけれど、もう完璧な糖尿病(僕は高血糖病といって欲しいと思っているけれど)。

この時点出そうだったということは、その前数年間はすでに糖尿病だったわけですから、どれだけ体が痛めつけられていたかなんて、想像するのは簡単でした。そして、そこから導き出されるのは合併症、です。

失明、足の切断、腎臓が壊れることによる透析、などなど。もう、そういう合併症にまっしぐらだったわけです。だから、今思うけれども、体ってエライなぁ、って。そういうもうこれ以上はダメだよ、っていうときに警報を鳴らすんだから、凄いなぁ、って。今なら素直に思える。

友人の指導でカロリー制限を始めてみたことは以前の記事にも書きましたが、もうそれは地獄のようでした。耐えられなくて、目が見えなくなろうが、足を切ろうが、透析しようが、もうどうでもいいというところまで追い詰められたのが昨年の春頃だったでしょうか。

カロリー制限でもちろん、一時は113kgが94kgまで減りましたけれど、そこからのリバウンドがすごかったです。これだけやっているのに正常値の一歩手前の数字だったことが、心壊れる原因でした。

それに、なんかおかしいって、ずっと思っていましたから。理屈はわかるけれど、どうしてこんなにつらい思いをしてやらなければならないのか、という強い思いもあって、いったん緊張が切れたらもうすごいリバウンドでした。

なので、諦めました、本当に。

それでもやっぱり合併症は怖い。特に失明は嫌。足も腎臓もあげるけど、目はヤだ。そう思っていました。

だから、諦めた一方でさまざま調べました。でも、方法が先じゃないんだって、わかりました。なんで自分はこうなったのか、それをはっきりさせることが大事でした。いろいろとこれまでの食生活を振り返ってみれば歴然としていて、まず「酒」、そして、「ご飯」「パン」「麺」です。「酒」とその他のどちらをやめられるかなぁって思ったら、ご飯・パン・麺を「食べない」っていう選択肢が一番だなって思えたのです。

つまり、普通にこれらを食べているのならいいのですが、僕の場合は呑んだ後にこれらをバカ食いしていたわけです。せめてそれをやめれば、という思いでした。

そういうことからいろいろ調べた結果、炭水化物ダイエットというものを知り、結局これらの食べ物が血糖になるのだということを知るのです。これが原因だと、もうはっきりと自覚できたのです。

だから、これらの摂取をやめました。完全にやめると脳みそが死ぬので、ちょっとだけ食べるようにはしましたけれど、極力食べないことにしたのです。

通常、250~350gの炭水化物を一日に摂取しなければならないのだそうです。僕の場合は体が大きいので、恐らくそれ以上必要なのだと思うのですが、僕は基本的にまったく摂取しないか、晩ご飯の時だけご飯を軽く一杯だけ、と決めて、今年の4月からそれを実行したのです。多分、多くても、一日に120g位の摂取量だったのではないでしょうか。

その結果が、今回の血液検査の結果です。原因を取り除けば状況は改善されるのだと、本当に思えた瞬間でした。

医者の言うことや、これまでに正しいと思われていることは、もちろん正しいのだと思います。でもそれは、一般論であって、人ひとり、それぞれ違うのですから、言われたことだけをするのではなく、自分で考えて対処することが最も大切なのだと、今さらながら思い知りました。

3年半前にこれにいち早く気づいていたらなぁ、、、と思います。でも、いろいろと紆余曲折があって今がある。それでいいです。それが人生です。試行錯誤して、なんとか結果を導きだす。一足飛びには行かないのだ。そういうことだと思います。

嬉しくて、嬉しくて、書き連ねてしまいました(笑)。
やったぞぉ~! ほんとうに嬉しい!

継続します!

2011年7月22日

デブな話(追記)

炭水化物抜きダイエットは果たして是か非か、検査結果が出たので記事を追加します。

なんと!
OKじゃないですか~!

昨年末の空腹時血糖値(正常値上限109)が149だったのですが、今回は121でした。そして、HbA1c(正常値上限5.8)が昨年末は7.2だったのですが、今回は6.1でした。お~っ、たった4ヶ月でこれだけ改善されている~。良いです。

しかもです。
γ-GTPとかの肝臓系の値やコレステロール、中性脂肪など、昨年末は上限値を突破していたりして結構やばかったのですが、なんとですね、すべてが正常値です。しかも、上限をはるかに下回っているまったくの正常値という快挙です。

え~、なんかすごい。

人それぞれに太ってしまう原因がありますので、必ずしも炭水化物抜きダイエットが良いと決められるものではありませんけれど、僕のようにご飯とパンと麺が超大好きで、それが原因だと思い当たる人は試す価値アリと思います。

うーむ。
食事制限ダイエットに比べてこれほどに効果が顕著に現れるとは。。。

正直、嬉しいっす。
これからもがんばろう~

2011年7月12日

歳を取るということについて

暇に任せて先日blogに「デブな話」という4回連載記事(長っ!)を追加したりしましたが、カテゴリ設定するのを忘れていたことを思い出し、記事のリスト画面を出したらなんと。「歳を取るということについて」という書きかけの記事がありました。

一月のことのようで、うーん、そういえば、酔っ払ってTwitterで「年を取ることについていずれ書きたい」などと呟いたことを思い出し、ああ、その時に勢いで書いた記事か、と思い出したわけです。

確かですね、その後は怒涛の仕事ラッシュでもうめちゃくちゃになったので、そのまま忘れちゃったんですね、はは。

なので、本文中と今の時制は合いませんが、1月に書かれたものと思って読んでください。後半部分は今日、記事を読み返した上での追記です。

---本文ここから---


何日か前にテレビで昔のヒット曲特集をやっていて、奥さんと一緒に飲みながら観ていたわけなのですが、やはり曲ごとに当時のさまざまな出来事が思い出され、感慨にふけったりしたわけです。


まあ、いつもならそれで終わりですが、1月生まれの自分は今月また一つ歳を重ねるので、いつも以上に「歳を取る」ということについて考えてしまいました。


四捨五入したらもう50歳だよ、なんて45歳の時には笑っておりましたが、それから年月も経ち、45と50の間くらいの年令になってしまうと、マジで50歳が近づいてきているなぁ、と思わざるをえないのでした。


100歳まで生きることができるとして折り返し、ですが、平均寿命で考えれば残り20数年です。しかし、自分より年が上の方々だからこその現在の平均寿命であって、自分たち世代の平均寿命は、食べ物の欧米化や添加物・保存料などの蓄積もあって、先の世代よりも短くなるのではないかという話を以前に何処かで読んだ覚えがあり、もっと短いのではないか? と思ったりもしています。


そうすると?
10数年くらいしか残りの人生がないのかぁ、と思うわけです、はい。


ここでひとつ、変な話をします。
17歳の時にインスピレーションがあり、「ああ、人生の1/3が終わった」と認識しました。。。変な話で恐縮ですが、インスピレーションというのは、理由も根拠もなく湧き出るものなので、そのように認識してしまった17歳の自分はしっかりとそのことを記憶に刻み、その後、齢を重ねてきたわけです。


自分の人生は51歳まで、というインスピレーション。
正しいかどうかなんてわかりませんが、とりあえずそういう事もあって、残りが少ないなぁ、と思っている次第です。


でもですね。
とりあえずここまで生きてきたことは確かだし、そして、ここまで生きてきたという現実を元に考えると、この先、何歳で死のうが大して変わらないんじゃないか、と思うのです。元気な心と体のままで100歳まで生きられるならいいですけれど、ヨボヨボになって体も効かず、心は枯れて生きて行くなんて、ちょっと想像ができないです。


そして、ひとは必ず、いつか死にます。この広大な宇宙において、それだけは絶対に100%実現される確かなことです。だからこそ、一所懸命に生きるし、生きてきたし、歳をとったからと言って、いちいちそのことについてぐじぐじと考える必要もないだろう、と思ったりもします。


ですが、現実として自分がこのような年齢になると、ああ、自分もやっぱり歳を取るんだなぁ、と変な実感があるんですね。いつまでも若いつもりでいますから、なんとなくそういった感覚と実年齢が、実は自分の中で上手くバランスが取れていないというのが本音です。そして、いつか必ず、自分もこの世から退場せざるを得なくなるということが、妙に現実的に感じてきているのです。


たしかに自分は歳を取りました。思い返せば、人ひとりの人生において、すべきイベントはほぼ全てこなしてきたかなぁ、と思いますし、残すは子供たちが無事に成人することくらいでしょうか。



---ここから追記---

4つ年上の知り合いが今、余命数ヶ月と言われています。人工呼吸器につながれて病院で身動きできずという状態です。

いずれ自分もそうなるのだと、もしくは突然の事故とかで、いつか必ず自分も居なくなるのだと、現実的に意識しだしたのは果たしていつごろだったでしょうか。

14歳の時に父親を事故で亡くしているので、死に対する意識というのは現実的に捉えることが出来ていて、結構その類の考え方というのは自分なりに深いものを持っていると思っています。

生まれ出て、自分が居なくなるまでの時間は人それぞれです。歳をとって振り返ってみれば、生を受けてここに存在しているその間に何をすべきか、ということに集約されるのではないでしょうか。

そうは言っても、話は簡単ではなく、与えられた環境と世の中の移り変わり、そして、自分の個性や能力といったものは、もう本当に人それぞれで、何をすべきかとか何かをしたいとか、まったくもって個人の問題なのですね。

すべきことと思えたことが、もしかしたら社会に反することかもしれない。なんか、役立っちゃったかもしれない。全然意味が無いかもしれない。若い頃は自分と社会という対象の上でなんとなく手応えが感じられないものだから、悲観的になったり、空しくなったり、するのだと思います。

ポイントは、いかに自分の適性を知るか、ということであり、自分のしたいことが何であるかをなるべく早い段階で認識出来るか、ということなのではないかと、おじさんになってしまった自分は思うのです。

そういう意味で、僕はまっすぐでした。歳をとったから、まあ、ちょっと偉そうなことを書きますが、10歳くらいの時にはすでに文章を書く仕事をしたいと決めていました。それは、例えば小説家だったり、作家だったりといった、いわゆる文芸的な方面におぼろげに憧れるという程度のものでしたが、とにかく文章を書くんだということだけは決めてしまっていたのです。

まあ、実は野球が好きだったのでプロ野球選手にも憧れたり、音楽が好きだったのでバンドを組んだりしてミュージシャンを目指したりもしましたが、どちらも適性がないことはすぐに分かったんですね。

Twitterのプロフィールにも書いてあるように、僕はスポーツに適した体を持っています。でもなぜダメか。「勝ちたい」って思わないんですね。よく、心技体といいますが、一番大事な「心」が勝負向きじゃないんです。

音楽にしても、頭で考えてギターを弾くような理詰めな性格ですから、曲をコピーするのはいいけれど、創作なんて無理無理です。アドリブなんて無理ですから。

そうやって自分を仕分けていって、やっぱり結局、最初に決めてしまった文章を書いて生きて行くんだ、というところに落ち着くわけです。

(いやいや、偉そうに書きましたが、ここまでの人生、それはそれは、もうハチャメチャですから)

(。。。いずれそのあたりも書きたいですが)

なんだか長くなってとりとめがなくなってきたので、強引に終わらせますが(笑)、要は「短い人生、やりたいことを一所懸命やれ」。ただそれだけなんだよ、ってことです。

僕は笑って死にたいです。死ぬときに後悔があったら嫌だと思っています。でもそれって、日々一所懸命生きてこないとかなわないことだと思うのです。

若い頃は、こういう話をすると周りは笑いました。でも、今この歳になって自分は正しいと思えています。僕の歳のとり方というのは、そういうものなのです。

もちろん、日々の出来事の一つ一つで失敗したり後悔したりすることは少なくありません。でも、そういったダメな出来事も歳をとるに連れてリカバリーする方法とかを編み出せます。そうしてだんだんと自分の道が納得のいくものに近づいてきて、やがて自分の世界は自分が納得出来るものになっていくのではないでしょうか。他人がどう思うかは別の話です。

時間は止まってくれません。今この記事を1文字書いているその1秒だって、自分が居なくなるその時に近付いている証の一つなのです。

そう思ったら、なんで一所懸命やらないかな、なんで好きなことを自分の好きなようにやらないのかな、って考えると思うのですが。。。僕以外の人々がどうあれ、僕はそうしてきました。そしてここまで齢を重ねてきたのです。

これからもずっとそうしていきます。
あとどのくらい残っているのか知りませんが、たとえ突然の事故で即死だとしても、その瞬間に僕は笑って終わりたいです。

言いたいことがあまりうまく表現できませんでしたが、後悔するくらいなら一所懸命やりたい、そう思えるような年のとり方がいいですね、ってことです。

うーん、まとまらん。
でもおしまい(笑)。

2011年7月8日

デブな話(完)

結局のところ、自分はなぜ太ったのだろうと考えたとき、「ご飯」「麺」「パン」が大好きだからじゃないのか、と思い至ったのです。これらは全て炭水化物であり、摂取すると糖になります。そして、糖尿病というのは突き詰めれば膵臓が疲れちゃってインシュリンが出せない状態なのですから、これらを摂取しなければ良いのでは? と単純に思ったのですね。

食事制限ダイエットでも、炭水化物は最重要の栄養素なので、2000kcalに含まなければなりません。で、ご飯と麺とパンが好きな僕は、制限の中でのこれらの比重は自ずと高めになる、という傾向がありました。

だから、いくら体重が減ったって、血糖値が下がらないじゃないの?
ということです。

今また思い出しました(笑)。
晩酌後の話(笑)。

ふと見ると、パンがあるんです。
まあ、どこの家庭でも、パンは置いてありますよね。
手軽に食べられるし、朝食用にかっておいたりしますよね。

それを。
たっぷり呑んだり食べたりしたあとに。

書かなくてもわかると思いますが。

ホテルブレッド一斤食べちゃったり。
クリームパンとあんドーナツとチョココロネを食べちゃったり。
ああ、そういえば、アイスも好きだったなぁ。。。
レディボーデンの大きいやつをひとつ全部食べちゃったり。。。特にストロベリーが好きだった(笑)。

ま、それはそれとして。

炭水化物を摂取しないというのは果たして大丈夫なことなのだろうか、とまた懸命になって調べたところ、実践している人は結構いるんですね。ただし、糖を使うのは脳ですから、全然摂取しないというのは脳に障害を起こす可能性もあるとのことで、でも、とりあえず始めた当初は、全く「ご飯」「麺」「パン」を食べなくしたんですね。

。。。
まあ、苦しかったです。

炭水化物ダイエットのメリットは、炭水化物「以外」はすべて制限無く食べて良いことにあります。もちろん、プリンとかアイスとか糖分を含むものはダメですけれど。

ですから、肉とかおつまみ系とか、カロリーが高くて食べていなかったものを復活して良いわけで、もうむさぼるように食べたですよ、はい。

でも。
わかりますでしょうか。。。

そういう「おかず」ばかり食べるって、無理があるんですよ。。。

必ず、ご飯が欲しくなります。
必ず、パンが食べたくなります。
必ず、麺をすすりたくなります。

最初の一週間はもう、気が狂いそうでした。
炊飯器の前でずっと立っていたり、パン屋の前で立ち止まったり、ラーメン屋を覗き込んだり。。。マジです。

しかし。
それを乗り越えるのは、食事制限ダイエットよりもはるかに楽でした。
一週間を過ぎた頃、なんだか大丈夫になってきたんですね。

食事制限中は、気が狂いそうになるほどマクドナルドが食べたかったり(ビッグマック大好き!)、カルボナーラを3人前食べたかったり、吉野家の牛丼特盛が食べたかったり、坦々麺が食べたかったり、それを我慢するのがきつかったんです。

でも、炭水化物ダイエットでは、「おかず」部分は食べられますから、そういう食物に対する「枯渇」した感じがないのです。

ただ、主食を抜く、というのは尋常ではありませんから、体の奥底から、そして全ての細胞が、炭水化物を求めるんですね。

でもやがて、それも収まりました。
そうすると、不思議なことに、あまり食べなくなります。

最近の僕の食事は以下のような感じです。

早朝に起き、インスタントコーヒーを水で溶かして氷を入れ、牛乳をとっぷりと入れる。もちろん、砂糖は入れません。
お昼頃に、だいたい次の組み合わせで食事をします。
ハムとチーズと豆腐と納豆。
卵焼きとシーチキンとコンビーフ。
あとは、ソーセージを焼いたりとか。
野菜があれば、レタスでもキャベツでもなんでも食べます。
そして、インスタントですが、わかめスープとか、とにかくスープを一杯呑みます。
これでもう、晩酌までOKです。

晩酌時は、もちろん呑みながら(笑)、食卓のものを制限無く食べます。でも、それほど食べません、最近は。そして、夜だけはご飯を少し食べることにしています。脳みそが逝っちゃいますので。

日中のおもり装着も復活させました。

その結果、4月に始めたときの体重が105kg(パスタのせい!)でしたが、今大体96kg~97kgくらいです。うちの体重計は一応体脂肪率が出るのですが、20%くらいです。キン肉マン(笑)。

鏡で自分を見ても、食事制限で痩せたときの自分とは体の形が違います。なんか、骨と筋肉の間とか、内臓と内蔵の間に挟まっていた脂肪がとれた、って感じです。

そのせいか、キシキシするのですが、、、肩が。。。
ま、でもこれは、四十肩か(:_;)。

今のところ、順調に体重は減っていますが、実はこの半年、検査を受けていません。ですので、ダイエットの成果なのか、病気が悪化して痩せたのか(こ、怖い)、分かりません!

この前、友人の医者のところに久しぶりに行き、血液検査をしまして、いま結果待ちです。これで血糖値はHbA1cが下がっていれば、ダイエットの成果です、と言えるのですが。。。

悪化して痩せたのであれば、もう、これも仕方がないと思っています。
でも、炭水化物抜きによるものだと信じています。

まあ、あまりよいダイエット法ではないと正直思いますが、僕には適している気がします。とにかく食後に眠くなることなんて、全くなくなりました。それに、なんか、元気なんです。体重が減りましたが、元気さは増えているように思います。筋肉も食事制限の時より増えているので、力も強くなったですし。

世の中にはいろいろな事情でダイエットをする方々がいると思いますが、やっぱり自分に適したダイエットを選択するのが一番なのではないかな、と思ったのでこの記事を書きました。

長いよ~
という文句は聞きません(笑)。
仕事が暇になって、なんか書きたかったんですから(笑)。

また、ネタがあったら書きますね~
ではでは~

デブな話(3)

自分で自分に注射するなんて無理ですから(-_-;)。
そんなことを言っていられない状況だったのですけれど。

医者の友人は、「食品交換表」なるものと、ダイエット食30日分をプレゼントしてくれまして、「1日に2000kcalまでだからな」と言いました。

僕は「食品交換表」で2000kcal分の食べ物を研究しまして、、、て、、、てぇ?!
す、少ないぜ!

しかも、酒一杯が200kcalって。。。呑むなってことじゃん。

合併症を取るか、酒を取るか。。。
いやいや、それを天秤に掛けるなって話ですが(笑)。

その日から、2000kcalの食生活を始めたのですが、無理ですって、まじで。
酒もやめたんですよ~

僕は決してある中にはならない体質のようで、酒は大好きで毎晩たっぷり呑みますが、飲めない事情があるときは、飲まなくてもぜんぜん大丈夫です。呑みたい~とはならないんですね。たばこはダメですが。。。(悲)。

ですから、酒をやめるのはまあいいと。
でも、食べる量と食べられる「モノ」が限られることは相当にストレスでしたね。

でも、合併症を選ぶわけにはいかないので、食事制限をし、ウォーキングを始めました。しかも、筋肉を付けると脂肪が消費されやすくなるというので、右手と左手に1kgのおもり、そして、右足と左足に2kgのおもりをつけて、もうそれから毎日1時間は歩きました。しかも、おもりは起きている間じゅう、ずっとつけっぱなしでした。

力はそこそこあるものですから。。。

仕事の環境という意味では、当時は会社に所属していたのですが、仕事柄ずっと自宅で仕事をすることもあり、ウォーキングの時間を取ることは可能でしたし、打ち合わせで出かける時などはもう「よし、たくさん歩けるぜ」みたいに、嬉々としたりして(笑)。

そしてその頃の体重は、113kgだったのですが、10ヶ月くらいで8kg減ったのでした。
でも、ダイエットを始めたのが6月ころで、夏は糖分ゼロのビール350mlを1ケース呑んじゃったり、焼酎は糖分がないとわかるやいなや、もうカロリー計算に入れないことに自分で決めちゃって飲みだしちゃったり(笑)、真面目にやり続けてたわけじゃないです(笑)。

でも、実は挫折しました。
HbA1cという血糖値の推移を見るもっとも重要な検査項目があるのですが、正常値の上限が5.8で、まずそこにたどり着くことが目標だったんですね。

結構、気持ち的には限界に来ていたある日、検査結果が「5.9」で、本来だったら「よし、もう少しだ」と思わなければいけないところを、なぜか「これだけやっても正常値にならないのかよ!」といきなりぶちきれたんですね。自分でもその時の感情がよくわからないのですが、食事制限のストレスが限界だったように思います。

で、食べました(笑)。
もう、いい、と。

腎臓、バイバイ。
足、切っちゃえ。
目が見えなくなると、こんな感じなのかな、って暗い部屋で目隠ししてみたりとか。

もう、こうなると体重はあっという間に戻ります。
103kgくらいで高止まりしましたけれど、食生活はダイエットには程遠い状態になりました。

もちろん、日々、心は揺れ、やっぱり頑張ろう、とか、いやいや、どうせ無理じゃん、とか、思いつつ、でも怖いから、食卓に並んだ食べ物を一応チョイスして食べたり(笑)。
まあ、尋常じゃないんです、神経が。

で、こんな生活が正しいあり方なのか、と。
だって、子供の頃から、「たくさん食べて、元気に大きくなるんだよ」って言われ続けたんですから。

根が素直なので(笑)。
元気に大きくなったんですが(爆)。

他に手はないのかよ~と、ネットで本当にたくさん調べましたね。
今でも悔しいのが、パスタダイエット、です。

パスタは、糖分の吸収が緩やかなので、うんたらかんたらと書いてあり、そう言われれば、やって見るじゃないですか。毎日パスタ(笑)。2ヶ月くらい続けましたかね。体重が105kgになるわ、なんだか食後にやたらと眠くて仕事にならないわ、ふんだりけったりでした。

食物繊維をたくさんとってみたり、青汁を呑んだり、クロレラ呑んだり、色々しました。でも、全部、ダメです。

最初のカロリー制限の時も、ヤセはしましたが、不健康になっていくようで不安で仕方がなかったです。だって、暑い夏に寒かったんですから。僕はもともと暑がりで、冬が一番好きだというくらいなのに、真夏に汗もかかず、エアコンつけると震えるようになってしまったんですね。そういう不安感もあって、元気じゃない自分は行きている意味があるのか? なんて思ったりもしたわけです。

だったら、インシュリン打てよ、って話ですが、それはなんか、諦めてしまったみたいでどうしても嫌で、何とか納得出来るダイエットはないかと、それこそ捜し続けたのです。

で、見つけたのが炭水化物抜きダイエットでした。

やっと本題だ(笑)。
そして、やっぱりこの記事で終わらなかったっす~。
次でまとめよ~。

デブな話(2)

投稿した記事を読み返して、自分で気持ちが悪くなりました(おえ)。
今では信じられない食生活です、酒以外は(笑)。

つぶさに自分の記録(笑)を書いていくとキリがないので割愛しますが、社会人として決して順調ではない道を歩んできたそのなかでも、呑むことと食べることに関しては人3倍(人一倍ではない)、いや、人10倍くらいは時間とコストと健康を費やしてきました。

もともと体は丈夫で、呑み過ぎ・食べ過ぎでも大丈夫なんだ自分は、と思っていたフシもあり、30代になっても衰えることなくこのような食生活は続き、体重はもうそれ以上には増えたりしませんでしたが、やがて後輩とか部下とかを連れ回すようになっても様子は変わることなく、若者よりも呑んで食べていたんですね。

今思い出したんですが。。。
土日とかは、家で晩酌するわけですよね。
たっぷり呑んで、たっぷり食べているわけです。
でも寝る前になって、「ピザ食いたい」とか思うわけですよ。
で、デリバリーピザに電話して、もちろんLサイズで(笑)、しかもそれをひとりで食べちゃう。

そう言うのが全然平気だったんですよね。
決して、大食い選手権に出られる程ではないのですが、通常の社会の中では食べ過ぎです。

しかし。

35歳くらいから様子が怪しくなってまいりました(笑)。
それまでは、いくら呑んでもヘッチャラだったのに、酔うようになりました。そして、呑んだあとに気持ち悪くなる時も度々あり、うーん、さすがになぁ、という状況になりました。

健康診断の結果は悪くなく、すべてが正常値だったのですが、なんかやな感じになってきたんですよね。日々、いつもどおりに呑んで食べられるのですが、だんだんとその量に体が負け始めてきているというか。

これが歳を取るということか、なんて思ったことを覚えています。

そしてとうとう(:_;)。
40過ぎてから爆発します。
いや、爆発じゃないか。

40をいくつか過ぎた頃に、なんだかやけに体が重くて、うーん、これは経験したことのないだるさだ、と思った僕は、忙しい仕事すべてをキャンセルして友人の医者を訪ねました。

もう、診察前の尿検査で一発でしたね。
糖尿病。。。

ところで、この「糖尿病」って名前、嫌じゃないですか? 血糖値が高い病気なのに、なんで「尿」がクローズアップされているんでしょうか。高血糖病とかにして欲しいです。その方が対処しすいのに。。。

ま、そんなこんなで、友人は血液検査をするまでもなく、診断を下し、血液検査の血糖値を見たとたん目を剥きました(笑)。

お前、、、どんな生活してたん?
はあ、これこれで、、、。

絶句。。。

みたいな(笑)。

その場で、ダイエットについてコンコンと説明され、体重を減らすことを厳命されました。現時点でこの数値ということは、すでに数年前から発症していたのは明白で、もしこのままの食生活を続けた場合、まず腎臓がやられる、と。もって7,8年だな、言われました。

腎臓があと7,8年?
その後は?

決まってんだろう、透析生活。

絶句。。。

みたいな(笑)。

他にも、足を切断、だとか、失明する、とか、合併症の説明をされ、もう心は地に落ちました。。。

そうはいってもですね~
カロリーを減らすって、大変なんですよ~
そもそも、カロリーなんて気にしたことなかったですし~

勉強しましたよ、カロリーのこと。
愕然としましたね~
それまでの僕の食生活って、1日にへたすると1万キロカロリー摂取したりしていた模様です(・_・;)ビックリ。

よくもまあ、40歳前半まで元気でいられたものだと、それもびっくりですが(笑)。

インシュリン打つか~
と言われ、
嫌だ~
と言い、
じゃあ、ダイエットな、
と言われ、
はい、と答えた僕でした。

また長くなってしまいました。
前置き長いぞ~
でも、前提は大事ですから~

次の記事で終りにしようっと。終わるかな。

デブな話(1)

仕事の納期が延びた関係で、急にここ数日は暇になることになってしまい、「仕事するぞ~書くぞ~編集するぞ~」という気持ちをどこにも持って行けなくなっちゃった(笑)。で、半年以上ぶりにblogを更新することを思いついた次第です、はい。

でもなぁ。
昨年の夏から仕事と犬の散歩と呑むことしかしていないので、話題がない、、、。あるとすれば、4月ころから始めた炭水化物抜きダイエットで順調に体重が減ってますよ~ということくらいかな。

ダイエットの話をする前提として、それはもちろん、デブな自分のことを書かなければいけないわけで、そうすると話はざっと二十数年前にさかのぼってしまうのであった(・_・;)。

社会人になる前、僕の体重は78kgでした、って、えっ! そんなに痩せてたの?! と、必ず相手に言われます。痩せている僕をイメージできないらしいです。192cmで78kgといったら、ちょっとそこら辺りの電信柱とタメを張るわけで、高校の武道の授業で柔道を選択していた僕は、受身の練習をしているときに「お~、電信柱が倒れるみたいだな~」と先生にからかわれたものでした。

それがなんで太っちゃったのか。
確固たる原因がございます、はい。

社会人1年目から、毎晩最終電車で帰るような仕事をしていて、それはもう、「社会は厳しいなぁ」とストレス受けまくりでした。もちろん仕事も厳しく、クライアントもまたこれが、、、思い出しても涙が出てしまうほど怖くて、とりあえず酒は強かったものですから、最終で家にたどり着いてから豪快に呑んで食べるわけです。

帰り道にある深夜スーパーで、安いウィスキーと500mlのビンのコーラやスプライト、そして、サラミ・チーズ・ナッツ・サンドイッチ3つ・甘いもの・その他乾き物などなど買い込んでは、夜な夜なウィスキーのコーラ割りとかを呑んじゃって、バクバク食べてたんですね。

仕事でも、勉強だと言われて接待に連れ出され、たくさん呑んで食べるとクライアントが喜ぶものですから、それはもう「タダ」だし、呑んで食べて呑んで食べて深夜タクシーで帰宅なんてこともしょっちゅうだったのです。しかも、外で飲んだときは必ず締めで何かを食べたくなり、大盛りラーメンと餃子とライス、とか、牛丼特盛卵2個とか、カツ丼大盛りとか、すごかったんです。

接待の場でもすごかったです。
日本酒熱燗2合徳利を夕方5時から夜中の3時のあいだに21本、とか。。。
居酒屋でメニューを開き、「右ページのこの資格の中に書いてあるメニュー「以外」全部ちょうだい」、とか。。。
ランチタイムに、ご飯おかわり自由で、最初におひつで持ってきてくれるんですが、そのおひつをおかわりしちゃったり、とか。。。
弁当屋で済ませる時も、のり弁+かき揚げ丼+いなり寿司3個セット+コーラ500ml、とか。。。

社会人2年目で体重は、120kgになっていました。
1年でスーツを3回買い直しましたし。。。
ウエストは120cmになっちゃったんですね。
痩せていたときは記憶が朧ですが、80cm内外じゃなかったかと。。。

たった1年でよくもまあそれだけ太れるものだと、感心しました(笑)。

長くなったので、記事を改めます。
うーん、書いていて虚しいぞ(笑)。