2013年1月31日

人は必ず死ぬのだけれど

数日前に、昔勤めていた会社で部下だった女性から電話があり、あれ、どうしたの、珍しいね、なんて話をしていたのだけれど。

疎遠になっていて、もうおそらく連絡することなどないだろうと、アドレス帳からは削除していた人だっただけに、少し驚いたのが正直なところ。

アドレス帳からあなたのことは消しちゃったんだけどね、と素直に言ったら、削除するなんてひどいですよ、なんて言われつつ、時々当時の仲間と呑んでいたりするらしく、僕の連絡先が分かったので、また呑みましょうよ、という話だった。

まあ、それはいいけど、みんな元気なの? と聞いたところ、いや、笑えない話があるんですよ、と言う。

何、その意味ありげな物言いは、と思い、何があったの? と問うと、いや、今度呑みに行った時に話そうと思ったんだけれど、と言う。

もったいぶらずに言いなさいよ、とたたみかけると、当時、共に働いていたやはり部下だった女性が半年前に亡くなったのだという。

は? と僕は耳を疑った。 電話をくれた女性ともう一人の女性、僕の上司にあたる年上の男性、そして、亡くなった女性とは、仕事帰りに結構呑んだりしていたのだ。もう、10年以上前の話。

だが、亡くなった女性とは仕事上であまり良い関係ではなく、僕としてはいろいろ思うところもあり、もちろん、相手にも思うところがいろいろとあったと思え、冷たい関係になってしまっていたので、電話でその女性の話題が出るまでは思い出しもしなかったのだ。

がんで亡くなったのだという。そうなのか、と一瞬思う。
そして、思いもよらない鈍いショックがあった。

え、なんで、彼女がなくなったからと言ってショックを感じるのだ? と僕は思う。良くわからない。

平静を装って、電話の女性とバカ話をし、みんなで呑みに行こうね近いうちに、と電話を終わったのだが。

ショックが立ち去らない。なぜだろうか。僕は自分をいぶかしがる。

この数日、ときどき亡くなった女性のことを思い出しては、またショックが蘇る。そして僕は分かったのだ、その理由が。

そんなに早く死ぬなよな、って思ったってことだ。
そう思わせる人だった、ってことだ。

仕事上のうんぬんがあり、僕はむかつくことがあったし、それは彼女にしてもそうだっただろうと思う。でも、そういうことはうわべの話なんだな、って思うのだ。

おそらく、僕は、その当時でさえ、彼女のことを認めていたのだろう。とても頑張るし、一途だし、何よりそのキャラクターはあまり見かけないような魅力的なものだった。つまり、素敵な人だったのだ、と思う。

仕事上ではどうしても駄目だったけれど、人として僕は彼女を認めていたのだ、と改めて思ってしまったのだ。だから、びっくりしたと同時に、え、まさか、あの人が、そんなに早く死ぬなんておかしいじゃないか、と思った、ということなのだ。

それが、ショックの原因・理由。

もう、50歳になろうとする自分は、自分の人生についていろいろ考えてきた。いろんな理屈があるだろうし、考えるべきさまざまなことがたくさん転がっている。50年生きたって、別に何があるわけでもないのさ、と思ったりもする。

でも、理屈や理由はどうでもいいから、自分より若い魅力的な人が自分より先に死ぬなんて、ダメだよ、って思ったのだ。

そう思わせる人だったのだ。

これまでにたくさんの人とかかわってきた。自分という基準でその人々を観たとき、それぞれの人たちに対する感情や、言葉は悪いけれど評価がある。年上の人も、同い年の人も、年下の人もいる。

そういった個々に対する自分の中での判断基準などどうでもいいよ、なんで死んじゃったのさ、って思ったのだ。

そう思わせる人だったのだ、と思う。


人は必ず死ぬのだけれど、早逝は辛いな。
心の底からそう思った。

生きていたってもう、連絡を取るような間柄じゃなかったので、二度と会うことはなかっただろうと思うけれど、それは可能性の問題であって、こんな、まったく絶対にもう会うことがないという、その可能性さえ断ち切られるようなことは、悲しいな。

歳をとると、こういうのは辛いんだなと、初めて思った。

ご冥福を祈る。
合掌。