2013年2月3日

オカルト話と現実的推測

いやいや、、、(-_-;)。
久しぶりに、本当に久しぶりにやられちまった。

昨晩、夢を見ている自分がいて、夢の中で何やら忙しく仕事をしていたのだ。だいたい僕は、酔っ払って眠ると本当にぐっすりと眠るタイプで、夢は見るけれども、朝起きたらほとんど覚えていない人なのだ。夢を見たかな~程度なのである。

昨晩の夢ははっきりと覚えている。とにかく一所懸命仕事をしていたのだ。バタバタしながら、打ち合わせのためにある人のところに行き、その人といろいろ話していた。

打ち合わせも終わりに近づき、その相手がふっと微笑んだ途端、夢は終わった。そして、まだ眠っている感覚のまま、現実の僕は仰向けのまま、背中からふわっと、直立に布団ごと立たされた。 結構な勢いだったので、「やばい、クローゼットの扉にぶつかる!」と思ったくらいだ。寸前で止まり、また、ふわっと、倒された。

おいおい、かんべんしてくれよ、と思ったら金縛り。やだやだ、金縛りはやめて! と動けなくなる前にもがき、何とかのがれたのだけれど。

そこで目が覚めて、大きなため息をついた。

さて。
別に冗談で書いているわけでもないし、軽い気持ちで書いているわけでもない。朝からこんな文章を書くほどヒマではないので。現実にリアルな体感があったから、わざわざ書いている。

そして、冒頭で、「久しぶりに」と書いているように、僕はこの手の体験は初めてではない。 小中学生のころはよくこういうことがあった。

具合が悪くて学校を休んで2階の自分の部屋で寝ていた時、誰もいないのに階段を上がってくる誰かがいて、音が止まったと思ったらもう僕の上に乗っている、とか。夜、寝ていたら、いきなり体が浮かび上がって天井に押しつけられたり、とか。そして、金縛りはしょっちゅうだった。

社会人になって太ってから(笑)、実はそういうことが全く起きなくなった。最近、ダイエットで痩せてしばらく経ったので、またこういうことが起こったの? と思ったりしている。

現実的推測。

昔のそういう体験があり、霊魂とかあの世とか、あるんだろうなぁ、くらいには思っていた。死ぬ間際の人の体重を特殊な装置で測り、亡くなられた直後に測り直したら35g減っていたので、霊魂の重さは35gだ、なんていうおかしな話にもきちんとだまされたりしていたのだ。

社会人になって、大人の現実の中で生きていくようになると、こういう話が嘘に思えたし、物理的に言って、そりゃないでしょう、って思うようになった。20代くらいですでに霊魂やあの世などの存在は否定的だったし、30、40と歳が進むにつれ、科学的に無理があるんじゃね? という思いは強くなり、昨晩までは完全否定派でした。

人は死んだら、焼かれて骨だけになり、その他の部分は煙になる。つまり、単純な無機的物質に還元されるのだけれど。骨だって、ただの物体だ。意識なんて形も何もないし、そもそも生きていたって目に見えないし、ハードウェアに対するソフトウェアみたいなもので、ハードがなくなればソフトはない。そんな風にとらえていたのだけれど。

そして今。
ちょっと待てよ、と。
正直、思っている。

存在を否定できる根拠もないよね。そう思っている。大人的冷静発想。存在を肯定するにも否定するにも、根拠がない。そういうものだ、オカルトなことというのは。ま、それでいいのだけれど。

で、愛犬と散歩しながら、ふと思いついてしまった。ヒッグス粒子とダークマター。これらって、ほとんど最近の話題であって、昔はその存在がオカルト的だったはず。

ヒッグス粒子は、物質に質量を与えるものだという。ヒッグス粒子がなければ、宇宙のすべての物質は光速で飛び回るしかない(ということだったと思う、、、自信なし)。

ダークマターは、暗黒物質と言われ、人間が宇宙の質量をさまざま計算したところ、こういうものが存在しないと辻褄が合わず、目に見えたり量れたりする物質だけではどうにも量が足りないので、出てきた概念。本当に存在するらしいのだが、正体不明という代物。

ヒッグス粒子が取りついていないダークマター、それが霊魂だったら? 

朝から何を突飛な推測を(笑)。しかも愛犬の散歩をしながら(爆)。

でも、宇宙的には何があってもおかしくない、というか人間の知識や知恵、経験が全く追いついていないのだから、別にそういうのでもいいんじゃないの。

存在するでも、しないでも、いい。でも、いずれ自分の存在も終わるし、そのときに霊魂っていう存在になっていくのだとすると、ちょっとワクワクしないでしょうか(笑)。自分のハードは動かなくなったけど、ヒッグス粒子なしのダークマターになっちゃった、みたいな(#^.^#)。

んー、、、朝からバカだ。。。