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2012年11月17日

一日一食、そしてゴボウ茶 ※シモの話あり~途中から閲覧注意※

このブログはダイエットブログになりつつあると思いつつ(笑)。

前回のダイエット記事、「中年ダイエット」で書きましたが、炭水化物抜きも限界まで行くと、その先が辛いです。だから睡眠をたっぷり取りましょう、なんてことを書いたのですけれど。

忙しいときは、そうそう寝てられない(泣)。そりゃそうだ。

で、何かと話題になっていた南雲吉則氏が推奨する「一日一食」そして「ゴボウ茶」を試すことを決意したのでありました。

夏の初めくらいだったでしょうかね。炭水化物抜きだとどうしてもリバウンドしてしまう。つまり、まったく炭水化物を取らないわけにはいかないので、時々食べる。そうすると太る。で、またやめる。すると減る。その繰り返しなのですね。

肥満状態(僕は105kgでした)から炭水化物抜きはすごく効果がありますが、いったんダイエットが実現すると(僕は92kgまで落ちました)、その先は厳しい、というのが実感でした。

それにですね、やっぱり脳みそが逝っちゃう。仕事にならない。だからといって炭水化物を摂取すると、眠くなるんですね。。。むー。

で、チャレンジした一日一食ですが、これは最初はきつかったですね。一食なら何を食べてもいい、とは言っても、つまりは「プチ断食」ですから、朝はまあいいとして、昼に何も食べないっていうのは、「ムリっ!」って感じで、当初は我慢できずに食べちゃいましたね。結果、太る(笑)。

その空腹感を紛らわすためにゴボウ茶なのだなと思いまして、長~いゴボウを買ってきて、せっせせっせと皮むき器でしゃりしゃりささがきにして、真夏は天日干しにして乾いたらフライパンでとろ火で煎る。するとできあがり~。

焦げる寸前まで根気よくやるのがベストですね。中途半端に煎るのをやめると、あんまりおいしくないです。焦げる寸前までちょうど良く煎ると、香ばしくてしかも自然な甘みが。。。

腹が減ったら飲む、ではなく、朝からずっと飲んでました。コーヒーサーバにゴボウ茶を入れて(少し濃いめがおいしい)、1リットルの熱湯を入れて数分待ち、仕事しながら、フーフー、ずずず、と飲んでました。

まあ確かに、空腹感がまぎれる「ことも」ありますが、基本的に空腹ですよ。辛いです。うーん、厳しいかなぁ、と、開始して三日目でやめそうになりました(笑)。

ところが、朗報は別のところからやってきたのです~

※はい、お食事中の方、この先を読むのはやめてくださいね~※
※食べ終わってからにしてくださいね~※











僕は便秘をしたことがない、お通じが快調な人です。でも、その内容物はそれほど褒められたものではありませんでした。大酒飲みですし~たばこも吸いますし~、わかりますよね、ご同輩の方は。

だがしかし。

ゴボウ茶を飲み始めて四日目の朝のことでしたが、なんとまあ素晴らしいものが出たではありませんか。こんなの、小さな子供の時以来見たことない、って感じです。

しかも、その行為にまったくストレスがないのです。つるんと出た(笑)。

あ、あの~、さらにシモの話を重ねますが、以前にも書きましたように、僕はぢぬしさんです↓
「おしりが痛いときの対策(シモの話なので痛くない人は読まないでくださいね)」
「<続>おしりが痛いときの対策(シモの話なので痛くない人は読まないでくださいね)」

ですので、毎朝定期便ではあるものの、その行為については多少のストレスが伴っているわけです。それでもまあ、上記の記事を書いたときよりは良好ですが。

ところが、まったく、何の障害もなく、つるんと(笑)。
しかも、ほんの1,2分で終了です。

な、何でしょうか、これは。

よくよく調べてみると、水溶性食物繊維と不溶性食物繊維を豊富に含むのがゴボウなのだそうです。な、なるほど~。

ということで、これは飲み続けなければ、と固く誓ったのでした。

以来、ずっと飲み続けていますが、素晴らしい日々です(大爆笑)。

※シモの話、終わり!(笑)※

さて、一日一食ですが、それほど厳密に守っているわけではありません。

朝、起きて、大ジョッキにアイスコーヒーを作って牛乳を入れて、たばこを吸いながら飲む、というのが習慣化していてやめられません。はい、ここで牛乳摂取してますね。

その後、大酒飲みなので肝臓をいたわる意味で、生味噌タイプのインスタントのシジミの味噌汁を飲みます。ここで、塩分とか摂取してますね。

とりあえずこれだけは摂取してます。あとは晩酌までゴボウ茶。。。

どうです? 辛いですよ最初は。

でもですね、一ヶ月位すると、不思議なことに空腹が嬉しくなります。ゴボウ茶が愛しい(笑)。

そして、待ちに待った晩酌で好きなだけ好きなものを食べ、最後にご飯も食べます。パンも食べるときがあります。計算してみると、一食でそれほど食べられるものではないですから、適度な炭水化物抜きも同時に達成しているのですね。

最近では、打ち合わせなどで相手と昼食を食べるときもありますが、そういうときは何も制限せずに食べます。すると、もうおなかいっぱいで、晩酌で酒呑んで何かつまめばいいやぁ、ってかんじになるので、一日のトータルでは計算が合ってしまうような、そんな体になってしまいます。

で、肝心の体重の方ですが、実はそんなに減りません。ですが、リバウンドもしません。

開始後、しばらくは、95kg~98kgをうろうろしていました。
夏を過ぎた頃、94kg~96kgの範囲になりました。
現在、93kg~94kgの範囲でうろついており、ちょっと食べ過ぎたなぁ、というときに95kg台になる、という感じです。

こうやって、だんだんと、ゆっくりと体重が落ちていって、数ヶ月後には90kgを切りたいな、と思っているところです。

なお、僕は早朝に起床後、すぐに両手にリストウェイト(500g×2)、両足にアンクルウェイト(1kg×2)を装着し、夕方、風呂に入るまでつけっぱなしです。やせたいけど筋肉は落としたくないからです。この習慣はかれこれ4年は続いているでしょうか。

筋力が落ちずに、体重が減ってきていると言うことは、脂肪が落ちているわけです。 最近では、どうしても脂肪が落ちない太ももの裏側を何とかしようと思い、暇があれば四股を踏んでます(笑)。簡易四股ですが。

このような実体験から言えば、やはりある程度の年齢に達したら、食事の内容や食事の方法を工夫していかないと、必ず太るんだな、ということです。

節制が不可欠だと言うことですね。

大酒飲みで、たばこも吸うくせに、偉そうなこと言うな、というおしかりはスルーです(笑)。

結局は、自分にあったダイエット法を見つけるしかないというのが本当のところではないでしょうか。

そういう意味では、結果が出ていると思える「一日一食、そしてゴボウ茶」は、今後も続けていくことになるのだと、今は思っています。

90kg切るぞぉ!
頑張るぞぉ!

※この記事は、僕の体験に基づいているので、僕だけに通用した話です。他の方に通用することを保証するものではありません。ご了承ください。※


2012年4月22日

中年ダイエット(笑)

どうも、このところ太ってきてしまって、悩ましいのであります。一時期の完璧なる炭水化物抜きで体重も体脂肪率も減少し、おなかも凹んだのですが、さすがに脳みそがやばい気がして、今年は日中に少量の炭水化物を摂取することにしています。

そうしたら、まあ、体重が上昇すること(笑)。どうして? って、どうしてもこうしてもないのですが。

そうは言ってもですね、無茶食いしているわけではないのです。通常の成人の、一日あたりの炭水化物摂取量は300~350gと言われています。多くてもその半分くらいに抑えるように調整しているので、そんなに太るわけがないのですが、なぜか太ってしまいます(笑)。

炭水化物抜きダイエットで達成した最低体重が92kgでした。105kgからの減量なので、マイナス13kgです。その後、95kgを境にして、±2kgの範囲を行ったり来たりしていますが、このところは高寄りで、98kgまでは行かないものの、97kg台にとどまることが多くなりました。

一時は92kgまで減量したのですから、97kgという数字はショックです。。。せめて95kgよりは少なく維持したいです。でも、ずっとずっと炭水化物を抜くと「あっぱっぱー」になってしまいます。。。

先に書いたように、目安としてだいたい通常の半分くらいに節制はしているのですから、これはもしかしたら、また別の原因があるのかもしれない、と思いまして、はて、このところの生活はどのような状況だったかな、と思い巡らしてみました。

毎晩のべろんべろん晩酌はさておき(笑)、ほかに無理をしているところがあったかなと思いましたら、ありましたっ。

睡眠時間。

仕事もそうですが、今勉強したいことがたくさんあって、結構な時間が必要です。そのため、べろんべろんで21時頃に寝て3時頃に起きると言うことをしていたのですが、これが良くないのではないか、と思いつきました。

。。。まあ、そうは言っても、これまで睡眠時間を削りに削って仕事をしてきたわけですから、今更それが原因というのも、という気持ちがあったのですが。。。

習慣になっていますので、だいたい4時間も眠れば満ち足りた気持ちで起床することができます。6時間は寝るつもりでも、1時とか2時に目が覚めておめめがぱっちりであればそのまま起きてしまうことも多々あります(そういう日は日中に眠くなるので、昼寝をして帳尻を合わせています)。

でも、あんまり良い習慣とは言えないですよね。なので、目が覚めてぱっちりしていても、もう一度寝る、ということにしてみました。最低でも8時間は寝るのだ、という意識でこの一週間ほど過ごしてみたところ、、、

減りましたね~

食生活は何も変えていないし、毎日のウォーキングも欠かさず実行していますし、それでも減らなかった体重がきちんと減りました、はい。97kg後半で推移していた体重が95kg前半まで緩やかに落ちましたから。うーん。。。なるほど。

歳を取ると、睡眠さえ体力が必要なのだ、ということかと。
寝るだけでやせるなら、ラッキーじゃないですか?

ということで、しばらくの間、8時間睡眠を実行してみようと思っています。

もしこれがうまくいくならば、過体重の中年よ、眠れ、ということになりますね(笑)。

さて、どうなることやら。結果はまた書きますね~。

2012年2月25日

知らないというのは怖いこと

AIJという年金の運用をしていた投資顧問会社が、預かっていた金(2100億円)の9割を失ったという記事がありました。大騒ぎになっているようですね。

知らないというのは怖いことだな、と正直に思いました。もちろん、自分のことです。自分の無知に気づかされたので、この記事を書いています。

社会人になった遙か20数年前、当たり前のように厚生年金と健康保険の掛け金が給料から天引きされていました。初めは仕事を覚えることで精一杯だったし、社会人として成長するために忙しく過ごしてきたし、本業が確立された後は、日々精進しながら仕事をこなしていくことに精一杯でしたから、はっきりいって年金というものは「歳をとったらもらえるもの」という感覚しかありませんでした。

無知、です。

年金とかって、運用するんだ~(笑)。
そういうことに改めて気づいたので、すごくびっくりしています(大笑)。

だって、「運用」するっていうことは、減ることもある訳じゃないですか。年金制度ができた頃は景気が良かったかもしれないけれど、現在の世界経済の状況は惨憺たるものですよね? 減る確率の方が高くないかい? と思います。しかも、高齢化する一方だし。人口は増えに増えたし。ねぇ?

今朝の記事によると、金融庁はじめ、この会社の実態をなんにもチェックしていなかったとのことです。年金の運用を任せていた企業も、毎年出される「大変実績の良い」報告書を信じていたそうですし、加入を勧められたときも、営業のそのお人柄を信じて加入を決めたりしていたそうです。

ほぇ。マジで。

怖いなぁ、って思います。運用するということは、金で金を生もうということですから、投資ですよね。それを人任せにして、出される報告書を鵜呑みにして、実態も調査しないなんて、怖くないですか?

僕は、本業以外にFXをやっています。だから、金で金を稼ぐということの怖さが何となくわかっています(現実、全然儲かっていないので偉そうに言えませんが)。だけど、人任せにはしないです。そんなこと、できるわけがない。だって、普通の仕事というのは自分の金が失われることはないですけれど、投資というのは自分の考えの逆をいかれたら金がダイレクトに失われるのです。そんな世界に対するのに、人任せなんて冗談じゃないな、って思います。

でも、社会人として働いている人は皆、年金を払ってますよね。そして、その年金はどこかで必ず「運用」されているのですよね。ということは、僕らは皆、強制的に「投資」をさせられている? そういうこと? うーむ。。。

なんてことだろう、、、。
そんなことも知らないでこれまで生きてきちゃったよ(泣)。
僕は本業バカなので、経済とか政治とか、全く知識がありませんでした。FXを始めてからいろいろなことをやっと知り始めたという、まさに専門バカの典型だったのですが、今、こういう記事を読むと、うーむ、と思わざるを得ないのです、はい。

投資って、イメージ良くないですよね。僕がFXを始めたときも、(他人の目はどうでもいいのですが)自分の心の中で引っかかりがありました。こんなことしていいのかな、みたいな、漠然とした「悪の道」に進んでいっているような、罪悪感みたいなものです。 まっとうに働けよって、普通に社会人をしてきた人や、親とかにはいわれそうです。だからFXをやっていることを公にできない、みたいな気持ちが今でもあります。

でも、この記事を読んですっきりしちゃった(笑)。年金という制度が投資を前提にしたものならば、国を挙げて投資をしているって訳ですから、別に悪いことでも何でもないってことですものね。運用で損を出したら、損した方が悪い、ということです。投資というのはすべて自己責任ですから。はっはっは。

でも、なんか間違ってません?

年金という制度の根幹がおかしい気がします。金で金を生むことをしなければ年金が払えないというシステム。そういうシステムを考えた人たちは、ただのご都合主義だったんじゃないでしょうか。先のことなんて考えていない、そのときうまくいきそうならきっと未来もうまくいくという、短期的なことしか考えられなかったんじゃないでしょうかね。

そんな制度を守ろうと、今も政府は四苦八苦している。いろんな問題がごちゃ混ぜになって、結論として消費税増税ということになりかかっている。

うーん。いろいろなことをすべて含めて、なんだか根っこが間違っているような気がするのは、僕だけなのでしょうか。自信ないけど、そう感じるんだから仕方がない。

この投資顧問会社に年金を託していた企業で働いている人たちが、果たして今どう思っているのか、、、。僕だったらすごくいやな気持ちになりますけどね。

やだなぁ。金、金、金、か。。。
やな世の中だ。ふん。

そういいつつ、FXとかやっちゃう自分って、何だ?
自己矛盾ですね(笑)。

2011年7月12日

歳を取るということについて

暇に任せて先日blogに「デブな話」という4回連載記事(長っ!)を追加したりしましたが、カテゴリ設定するのを忘れていたことを思い出し、記事のリスト画面を出したらなんと。「歳を取るということについて」という書きかけの記事がありました。

一月のことのようで、うーん、そういえば、酔っ払ってTwitterで「年を取ることについていずれ書きたい」などと呟いたことを思い出し、ああ、その時に勢いで書いた記事か、と思い出したわけです。

確かですね、その後は怒涛の仕事ラッシュでもうめちゃくちゃになったので、そのまま忘れちゃったんですね、はは。

なので、本文中と今の時制は合いませんが、1月に書かれたものと思って読んでください。後半部分は今日、記事を読み返した上での追記です。

---本文ここから---


何日か前にテレビで昔のヒット曲特集をやっていて、奥さんと一緒に飲みながら観ていたわけなのですが、やはり曲ごとに当時のさまざまな出来事が思い出され、感慨にふけったりしたわけです。


まあ、いつもならそれで終わりですが、1月生まれの自分は今月また一つ歳を重ねるので、いつも以上に「歳を取る」ということについて考えてしまいました。


四捨五入したらもう50歳だよ、なんて45歳の時には笑っておりましたが、それから年月も経ち、45と50の間くらいの年令になってしまうと、マジで50歳が近づいてきているなぁ、と思わざるをえないのでした。


100歳まで生きることができるとして折り返し、ですが、平均寿命で考えれば残り20数年です。しかし、自分より年が上の方々だからこその現在の平均寿命であって、自分たち世代の平均寿命は、食べ物の欧米化や添加物・保存料などの蓄積もあって、先の世代よりも短くなるのではないかという話を以前に何処かで読んだ覚えがあり、もっと短いのではないか? と思ったりもしています。


そうすると?
10数年くらいしか残りの人生がないのかぁ、と思うわけです、はい。


ここでひとつ、変な話をします。
17歳の時にインスピレーションがあり、「ああ、人生の1/3が終わった」と認識しました。。。変な話で恐縮ですが、インスピレーションというのは、理由も根拠もなく湧き出るものなので、そのように認識してしまった17歳の自分はしっかりとそのことを記憶に刻み、その後、齢を重ねてきたわけです。


自分の人生は51歳まで、というインスピレーション。
正しいかどうかなんてわかりませんが、とりあえずそういう事もあって、残りが少ないなぁ、と思っている次第です。


でもですね。
とりあえずここまで生きてきたことは確かだし、そして、ここまで生きてきたという現実を元に考えると、この先、何歳で死のうが大して変わらないんじゃないか、と思うのです。元気な心と体のままで100歳まで生きられるならいいですけれど、ヨボヨボになって体も効かず、心は枯れて生きて行くなんて、ちょっと想像ができないです。


そして、ひとは必ず、いつか死にます。この広大な宇宙において、それだけは絶対に100%実現される確かなことです。だからこそ、一所懸命に生きるし、生きてきたし、歳をとったからと言って、いちいちそのことについてぐじぐじと考える必要もないだろう、と思ったりもします。


ですが、現実として自分がこのような年齢になると、ああ、自分もやっぱり歳を取るんだなぁ、と変な実感があるんですね。いつまでも若いつもりでいますから、なんとなくそういった感覚と実年齢が、実は自分の中で上手くバランスが取れていないというのが本音です。そして、いつか必ず、自分もこの世から退場せざるを得なくなるということが、妙に現実的に感じてきているのです。


たしかに自分は歳を取りました。思い返せば、人ひとりの人生において、すべきイベントはほぼ全てこなしてきたかなぁ、と思いますし、残すは子供たちが無事に成人することくらいでしょうか。



---ここから追記---

4つ年上の知り合いが今、余命数ヶ月と言われています。人工呼吸器につながれて病院で身動きできずという状態です。

いずれ自分もそうなるのだと、もしくは突然の事故とかで、いつか必ず自分も居なくなるのだと、現実的に意識しだしたのは果たしていつごろだったでしょうか。

14歳の時に父親を事故で亡くしているので、死に対する意識というのは現実的に捉えることが出来ていて、結構その類の考え方というのは自分なりに深いものを持っていると思っています。

生まれ出て、自分が居なくなるまでの時間は人それぞれです。歳をとって振り返ってみれば、生を受けてここに存在しているその間に何をすべきか、ということに集約されるのではないでしょうか。

そうは言っても、話は簡単ではなく、与えられた環境と世の中の移り変わり、そして、自分の個性や能力といったものは、もう本当に人それぞれで、何をすべきかとか何かをしたいとか、まったくもって個人の問題なのですね。

すべきことと思えたことが、もしかしたら社会に反することかもしれない。なんか、役立っちゃったかもしれない。全然意味が無いかもしれない。若い頃は自分と社会という対象の上でなんとなく手応えが感じられないものだから、悲観的になったり、空しくなったり、するのだと思います。

ポイントは、いかに自分の適性を知るか、ということであり、自分のしたいことが何であるかをなるべく早い段階で認識出来るか、ということなのではないかと、おじさんになってしまった自分は思うのです。

そういう意味で、僕はまっすぐでした。歳をとったから、まあ、ちょっと偉そうなことを書きますが、10歳くらいの時にはすでに文章を書く仕事をしたいと決めていました。それは、例えば小説家だったり、作家だったりといった、いわゆる文芸的な方面におぼろげに憧れるという程度のものでしたが、とにかく文章を書くんだということだけは決めてしまっていたのです。

まあ、実は野球が好きだったのでプロ野球選手にも憧れたり、音楽が好きだったのでバンドを組んだりしてミュージシャンを目指したりもしましたが、どちらも適性がないことはすぐに分かったんですね。

Twitterのプロフィールにも書いてあるように、僕はスポーツに適した体を持っています。でもなぜダメか。「勝ちたい」って思わないんですね。よく、心技体といいますが、一番大事な「心」が勝負向きじゃないんです。

音楽にしても、頭で考えてギターを弾くような理詰めな性格ですから、曲をコピーするのはいいけれど、創作なんて無理無理です。アドリブなんて無理ですから。

そうやって自分を仕分けていって、やっぱり結局、最初に決めてしまった文章を書いて生きて行くんだ、というところに落ち着くわけです。

(いやいや、偉そうに書きましたが、ここまでの人生、それはそれは、もうハチャメチャですから)

(。。。いずれそのあたりも書きたいですが)

なんだか長くなってとりとめがなくなってきたので、強引に終わらせますが(笑)、要は「短い人生、やりたいことを一所懸命やれ」。ただそれだけなんだよ、ってことです。

僕は笑って死にたいです。死ぬときに後悔があったら嫌だと思っています。でもそれって、日々一所懸命生きてこないとかなわないことだと思うのです。

若い頃は、こういう話をすると周りは笑いました。でも、今この歳になって自分は正しいと思えています。僕の歳のとり方というのは、そういうものなのです。

もちろん、日々の出来事の一つ一つで失敗したり後悔したりすることは少なくありません。でも、そういったダメな出来事も歳をとるに連れてリカバリーする方法とかを編み出せます。そうしてだんだんと自分の道が納得のいくものに近づいてきて、やがて自分の世界は自分が納得出来るものになっていくのではないでしょうか。他人がどう思うかは別の話です。

時間は止まってくれません。今この記事を1文字書いているその1秒だって、自分が居なくなるその時に近付いている証の一つなのです。

そう思ったら、なんで一所懸命やらないかな、なんで好きなことを自分の好きなようにやらないのかな、って考えると思うのですが。。。僕以外の人々がどうあれ、僕はそうしてきました。そしてここまで齢を重ねてきたのです。

これからもずっとそうしていきます。
あとどのくらい残っているのか知りませんが、たとえ突然の事故で即死だとしても、その瞬間に僕は笑って終わりたいです。

言いたいことがあまりうまく表現できませんでしたが、後悔するくらいなら一所懸命やりたい、そう思えるような年のとり方がいいですね、ってことです。

うーん、まとまらん。
でもおしまい(笑)。

2010年12月15日

ブログを移行しました~思うこと


Windows Liveから強制移行でWordPressを使わざるを得なくなってから3ヶ月弱。もう限界です。何が限界かというと、サーバーの反応が悪すぎて、いちいち「待ち」の時間が発生し、もうイライラが限界突破しました。

サクっと、どこかいいところがないかなぁ、と調べたところ、自分的には灯台下暗し、といいますか、Googleにブロクサービスがあることを発見し、そちらに移行しました。サーバーの反応も早く、記事も書きやすいので、Goooooood! と思っております。

実は、ブラウザもGoogle Chromeを使っていまして、メールもGmailを使っています。プロバイダメールもあるのですが、メーラーを立ち上げるのが面倒で、だんだんとGmailに移行しつつあります。iGoogleもウィジェットが充実していて良いと思いますし、なんと、日本語入力システムもあるんですね、びっくりしました。これもなかなか快適です。

しかも、すべてが無料だものなぁ。日本語入力なんて、ATOK以外に使えるものなんてない、と思っていたのですが、これだけ使える入力システムが無料となると、パソコンのツールにおカネを払うこと自体が馬鹿らしくなってきてしまいます。

Andoroid OSも無償で出てくるようですし、今後のパソコン世界はGoogleが席巻しそうです。Microsoft、大丈夫か? うん、多分もうダメでしょう。Appleはまあ、独自の道を歩んでおりますが、パソコン世界ではちょっと、、、という感じです。

Googleがこれから成長するためには、Adobeがほぼ網羅してしまったDTPの世界をどうやって取り込んでいくかという戦略が必要になるでしょうね。個人的な予想ですが、いずれ、AdobeのInDesign、Photoshop、Illustratorといったツールと同等のものを無償で提供するようになるんじゃないかと思ってしまいます。そうなったらもう、Adobeもおしまいです。

僕は別に、MicrosoftもAdobeも嫌いではありません。だらしないと思っているだけです。たしかに、あれだけの大きな会社ですから、収益が大事なのはわかりますけれど、あまりにも保守的すぎて、ユーザーに負荷をかけすぎている気がしてならないのです。このblogの最初の方の記事にも書きましたが、ユーザーを軽く見ているフシがあって、どうも頼りないんです。

Googleのビジネスモデルって、かなり独特ですよね? それが今、とても良い方向に進んできているし、ユーザーの負荷が殆ど無い状態で様々なツールを提供する唯一の企業だと僕は思うのです。こういう企業こそ、さらに成長して欲しいし、もうパソコンの世界を制覇してしまえ、くらい思ってしまいます。

AdobeもMicrosoftも、今更ビジネスモデルを変えられないでしょうから、これから苦しいと思いますよ、まじで。




2010年12月12日

モノの値段


車のバッテリーが上がってしまったので、気持ちが憂鬱になっておりました。バッテリーって高いですし、、、。以前に乗っていたステップワゴンでは、ディーラーで交換したときにはなんと、工賃込みで¥30,000もしたことがあり、ぎょえ! っとなっていたのですが、今年の初め頃に、やはりステップワゴンでバッテリーが上がってしまったときには、JAFにお願いしてみたところ、工賃はもちろん会員なので無料で、バッテリー本体が¥17,000とのことで、おおっ、それは安い、と思ったものでした。

でも、今乗っている車は、一応スポーツカーなので、バッテリーは高いだろうなぁ、となんとなく危惧していて、車関係はなんとなくオートバックスで、という頭もあったものですから、調べたところ、なんと¥28,000もするではないですか! しかも工賃が別でかかるし、もうバッテリーが上がっちゃってますから、オートバックスまで持って行かれないし、これはまたJAFだな、と思ったとき。

うーん、人任せにせず、自分で交換しようと、今更ながら思ったのでした(笑)。

なぜ、人任せにしていたかと言いますと、、、恥ずかしい話ですが、、、自分、不器用なんです。。。何かをしようとすると、必ず別の何かを壊すという、優れた特技を持っており(笑)、やりたくないんですね、実は。そしてまあ、一応、大事な車なので、自分でやってみたら、ほかの何かが壊れた、なんて、しゃれにならないので。。。

しかも、この車のバッテリーは、とてもすごく変な位置に付いていて、エンジンルームを開けて、自分でできるかどうか確認してみたら、うーん、微妙。。。ステップワゴンみたいに、手前にただぽつんと付いていればいいのに、右奥にカバーが付いて鎮座ましましているわけです。カバーを開けたら、またこれが、取り出しづらいのが一目瞭然。。。でもまあ、試してみたらできそうな気もするので、一念発起してネットでバッテリーの通販を調べました。バッテリーの型番をGoogle検索して一番上に出てきたところでいいやと思い、つらつらとWebを見てみました。

そうしたら!
なんと安いのでしょうか。¥8,900ですって!
定価¥31,500のバッテリーがですよ?
しかも、送料無料!
古バッテリー回収無料!

信じられな~い 、と思いつつも、この時点で自分で交換することに決定(笑)。早速注文しました。

注文確定メールによると、在庫がないのでひとつ上のクラスのバッテリーを同じ値段で発送しました、とのこと。おおっ、ラッキー。容量が少し大きいタイプのようで、この通販サイトで¥9,800のものでした。定価が¥39,800。。。どうして? と思いますが、まあ安いんだからいいでしょう。

。。。まあ実は、これが言いたくて書いている訳じゃありません。もちろんこれだけでも「モノの値段って、いったい。。。」という話ですが、まだ話は続きます。。。

先ほどバッテリーが到着しまして、格闘すること20分。何とか無事交換を終え、すばらしい勢いでエンジンが始動し、なんだか久しぶりに達成感を味わい(笑)、幸福感に満たされていた自分でした(爆)。

古バッテリーを箱にしまって自分の部屋に引き上げ、なんとなく、送ってもらったバッテリーの性能を見たくてGoogle検索したところ、、、なんか、どきっとする文字が。。。

¥5,980?

見間違い、だよなぁ、とクリックすると、なんと~同じバッテリーが¥5,980で売ってる~
さらに検索結果を追ってみたら、はい、ご想像の通り、さらに安いところがあり、なんと¥4,980で売ってました~

。。。なんなの、いったい。

これこそが、モノの値段って、、、という話でした。

まあ、そうはいっても、安いところは回収してくれなかったり、送料がかかったりするので、それはいやだなぁ、という思いはあり、また、ページがいかにも通販ショップらしい作りで、大丈夫かな、なんて思ったりしてしまうところだったということもあり、まあいいや、と思っています。今回購入したところは、説明がすごく丁寧で、バッテリー交換方法をYouTubeに紹介していたりとか、まあ、そういう意味で企業努力をしているなぁ、と感じたので、値段よりはむしろ、、、と自分を無理矢理納得させてます(笑)。

しかしまあ、定価数万のものが数千円で売られる世の中って、正しいですか?
というか、そもそも、定価が間違っているんじゃないの? って思いませんか?
さらに言えば、ディーラーやカーショップの値付けそのものもおかしいんじゃないですか?

そんなことを考えつつ、なんだか、もっと調べればもっと安く買えたのに~という後悔のような感情がわき出すと同時に、世の中のさまざまなモノの値段って、「デフレ」だから安いとかじゃなくて、そもそもの「価値」のとらえ方や考え方がおかしくなっている、そんな気持ちにさせられた出来事でした。

少しでも安く買えれば、それはうれしいけれど、本当は高いものが安く買える世の中って、なんか違う気がします。
。。。本当は何でもかんでも安いんじゃないの? (疑)。

ははは。。。

2010年10月19日

<続>おしりが痛いときの対策(シモの話なので痛くない人は読まないでくださいね)


続きです(笑)。書き忘れたこともありましたので。引き続き、シモの話ですので、痛くない人はスルーしてくださいね。



昨日の朝、久しぶりに悪化して、対策を講じたところ、夕方には悪化したことを忘れ、夜はまあ、いつも通りに、飲みましたが、、、今朝、特に何も問題なく、という状況です。

とにかく、原因は、鬱血することにあるらしいのです。医者に聞いたのか、ネットで読んだのか、忘れてしまいましたが、鬱血して悪化することを、尾てい骨を摩擦することで血行をよくするから、良くなるのだと、言うことのようです。

で、昨日、書き忘れたのですが、服の上からこすっても効果がないように思います。直接、尾てい骨をこすらないと熱くなりません。熱くなることが肝要なのか? と言われると、僕にはわかりませんが、僕は直接こすっています。

シモの話なので、なるべく直接的な表現は避けましたが、なかなかこういった話題は書きづらいですね。。。

肝心なのは、悪化して、対策して、良くなったからと言って、すぐにやめてはいけない、ということだと思います。良くなったからと安心してやめてしまうと、またすぐに悪化します。それはなぜかというと、根治的な対策ではなく、あくまでも対症療法だと思うからです。つまり、原因をすべて取り去っているわけではなく、悪くなった状態を良い方向に持って行くだけ、ということだと僕は感じています。

ですので、良くなったと思っても、僕はしばらく続けています。そしてしばらくは落ち着いて、また座りっぱなしで仕事して、毎晩飲んで、辛いものも食べて、あらあら悪化しちゃって、またこすって、、、の繰り返しです。

でも、病院に行くことを考えたら、全然楽です。もう、こういう人生なのだと、時に「こすって」生きていく人生なのだと、思って毎度、対策してます。

繰り返しになりますが、この記事と前回の記事について、一切の責任は負えませんので、「治らないじゃないか!」とか、苦情はご勘弁くださいね。。。

さて、今日も頑張るか~仕事~。

2010年10月18日

おしりが痛いときの対策(シモの話なので痛くない人は読まないでくださいね)


「日本、もうダメか、やはり」の続きを書くのかと思ったら、こんな記事ですみません。。。先ほど予定通り、三菱東京UFJの上席の方はお見えになり、話しました。これまでの顛末含め、後日まとめて書きたいと思っております。

さて、おしりが痛い=「痔(ぢ)」の話です。シモの話なので敬遠される方はどうかスルーしてください。

なぜ、このようなことを書くかといいますと、もちろん自分がそうだからです。でかい体でデスクワーク、しかも、毎日十数時間もいすに座りっぱなしで仕事をしていますから、どうしても負担がかかります。背中や腰や肩や首はマッサージで何とかなりますが、こればかりはどうにもなりません。

しかも、お酒が大好きで辛いものが大好きなので、もうてきめんです。しかも寒いのが好きですから、悪化の一途をたどるわけです。それでもなお、僕は手術も投薬もせず、今のところ過ごしてきています。

ですが、10年前くらいでしょうか、もう手の付けられない、というか、詳細は省きますが、とにかく痛くて痛くて座っていられないし、トイレの時は阿鼻叫喚です。病院にも行きました。もちろん手術を勧められました。でも当時は今以上に忙しく、手術など受ける余裕はなかったし、手術の経験談を読んで、ああ、僕には無理、と思いましたので(僕はすっごい病院嫌いです)、投薬で何とかしてとお願いしました。とりあえず、座薬と飲み薬をもらってしのぎましたが、ちょっと収まってまたひどくなる、そしてだんだんひどくなっていく方向なんですね。

酒も断ったし、冷房も使わずに耐えました(夏でした。。。)。辛いものなどもってのほかで、テレビで辛いものが映るとびしびし痛くなる、そんな状況でしたから。。。

もう、懸命に情報を探しました。テクニカルライターの名にかけて(笑)、ネット検索しまくりです。そして、「ん?」と思う対策を見つけたのでした。

。。。なぜ今、こんな記事を書くのか、といいますと、ふっふっふ~、久しぶりに悪化したんですね~。あわわわわ、です。で、また対策を施しているのです。で、この情報って、実は誰も知らない気がするのです。当時、ググった結果の300件目くらいだったでしょうか、妙に怪しいサイトを見つけたのでした。

そこに書かれていた対策を、ダメ元でやってみたところ、快方に向かったのです。1ヵ月ほど毎日繰り返し繰り返し実行していたところ、なんと普通に戻っちゃったんです。

前置きが長いですね(笑)。対策は以下の通りです。勧誘でも怪しい療法の紹介でも何でもありません。

四つん這いになるか、中腰でもかまいませんが、尾てい骨の先や尾てい骨全体を熱くなるほど2,3本の指でこすってください。だいたい100回くらいこすれば、摩擦熱でかなり熱くなります。それをただ、毎日毎日繰り返すだけです。

僕は、この情報を検索したとき、とてもひどい状態で、わらにもすがりたい気持ちでしたから、1日に何度も100回ずつこすりました。外出先でも何でも、トイレに行ったときに必ず個室でこすりました。それをずっとずっと続けて1ヵ月ほどで、すっと引っ込んだのです。そこに至るまでのプロセスにおいても、だんだんと良くなっている実感があり、うーん、この情報は埋もれていてはいけないなぁ、と当時も思いました。ですが、当時はblogなどもなく、周りで困っている人に教えてあげるくらいのものでしたけれど。

特に顕著だった例は、友人の友人の話ですが、長距離トラックの運転手さんで、もう長患いでずっと出っぱなしというひどい状況だったそうです。友人にこの対策を伝え、そのトラック運転手さんはだまされたと思って毎日やってみたそうです。そうしたら、1ヵ月でとりあえず中に引っ込んだそうです。

良かったなぁ、と思いつつ、そんなにひどい人にも効くんだ、とにんまりした僕は、ずっと飲み続けているんですね(←おバカ)。そして、具合が悪くなるとしばらくこすり続ける、ということを繰り返し、今があるのです。

もし、悩んでいる方がいらっしゃいましたら、試してみてはいかがでしょうか。

ですが、お断りしておきます。
僕は医者でも何でもありませんし、情報源も不明です。そして、あらゆる症状に効くのかどうかなんてこともわかりません。ただ、自分は、それで助かった、ということです。ご自分の責任においてお試し頂き、もし改善されたら、よかったですね~という程度の話です。改善されなくても、当方は一切の責任を負えません。誤解のなきよう、お願いいたします。

さて、こするか。
まだまだ忙しくて、座りっぱなしだし~(悲)。

2010年10月15日

日本、もうダメか、やはり(その2)


連載にする気はなかったのだが、前回の記事の続きとなる。

詳細を書かないままで恐縮だが、今回の件で金融庁ホットラインに電話して苦情を申し立てた。もちろん、三菱東京UFJの本部にも電話し、苦情を申し立てた上で、金融庁にもこの件は相談します、と断った上でのことだ。

脅す気もないし、大人げなく荒れ狂うつもりもない。何をしたところで、僕の現状は社会的弱者に位置付けられ、金融機関は何もしてはくれないからだ。

だからこそ、僕が今いるような、世間の狭間にいる人たちは、声を上げなければならないと強く思う。

来週の月曜日、三菱東京UFJ銀行の直接の担当の上席が、詫びにお伺いしたいと、先ほど連絡が来た。わびられても、僕の希望や要望は叶わないのだが、来るというところは好印象だ。

それにしても、そういった結論が出るまでに一週間以上の時間がかかっている。何をしているのだと、言いたい。

繰り返すが、詳細も書かずにこのような記事では何もわからないと思うのですが、とりあえず覚え書きと言うことで。決着が付き次第、詳細を書きます。賛否両論が巻き起こるとは思いますが。

。。。まあ、このblog、誰にも読まれてませんけれども(笑)。

とにかく。
動脈硬化を起こしているメガバンクという印象だ>三菱東京UFJ銀行

念のために書いておくが、意味なく印象を悪くしたくて書いているのではない。僕の印象がこれなのだから仕方がない。

2010年10月6日

日本、もうダメか、やはり


怒り心頭で、まともに書けないが、日本という国はもうダメなんだろうと、思った。
いずれ詳しく書くが、今はとにかく、覚え書きで。

三菱東京UFJというメガバンクが、一般利用者に対してどのような態度で臨んでいるか、今日の出来事でよくわかった。いかに高慢で高飛車であるかを当の銀行がわかっていない。冷静に、マニュアル通りにしているのはよくわかった。そして、それがいかに「だめなこと」であるかをわかってほしい。

利用者の事情を考えない、自分たちのことだけの段取り。
そして、それさえもきちんと行えず、利用者を貶める無能な担当と上席。

そういう銀行を作ったのは、ほかでもない、国だ。
僕は悲しい。

だって、こんなシステムでは、弱者は絶対に這い上がれない。
この日本では。
きっかけさえも、与えられない。

そう、確信する。

またいずれ、書く。

2010年10月5日

本当に正しいのは何?


太りすぎだから、やせなさいと、医者に行くたびに言われます。twitterのプロフィールにも書いていますが、自分は192cm/100kgという生まれつきの大きな体をしています。

この身長での理想体重は約82kgなのだそうです。そして実は、一昨年、ダイエットに励み、94kgまで落としたことがあります。しかし、真夏の最中に寒くて仕方がなく、これは本当に自分の体なのだろうかと思い、ダイエットをやめました。

ダイエットをしなければならない事情を抱えています。太ったままではいけない体の状況です。だから本当は医者の言うとおりにしなければならないと思うのです。でも、元気がなくなってしまう。それは本当にいいことなのか? と今でも思っています。

学生の頃は、78kgでした。やせてました。社会人になって、飲む機会が多く、からだが大きいこともあって、ほぼ無制限に暴飲暴食を重ねてきました。そして、あれよあれよという間に、体重は120kgまで増えたのです。それは異常だったでしょう。そう思います(笑)。そのまま二十年が過ぎ、日々食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲み、吸いたいだけタバコを吸っていました。

そして一昨年、とうとう、医者に行く羽目になりました。なんだか体がどんよりとして重いのです。高校からの友人が開業医をやっており、「お前が病気になったら診てやるから」と言われていたのですが、ついぞ面倒で診てもらったこともなく、こんなことならば早く診てもらえば良かったと思っても後の祭りで、見事な糖尿と高血圧症でした。

そしてダイエットをし、約1年で正常値寸前まで回復したのですが、もうそのときはふらふらで、それこそ24時間365日パソコンに向かって仕事をするような生活でしたから、意識はもうろうとし、気力は萎え、もうダメだ、と思い、ダイエットを中止し、今があります。

ただ1つ、メリットがあったのは、ダイエットをすると言ってもただ痩せるのは嫌だったので、食事療法と毎日のウォーキング1時間でダイエットをしていたのですが、ウォーキングの際には両手に1kgずつ合計2kg+両足に2kgずつ合計4kgの総合計6kgの重りを付けていました。これによって、ほぼ脂肪→ほぼ筋肉になったのです。それは今でも変わりません。腹回りは脂肪がありますけれど(悲)。

そんな状況でも、医者や保険会社は「体重」しか見ません。成分(笑)は無関係なようです。それは本当に正しいですか?

しかも、もう歳ですから、さすがに昔ほど食べたり飲んだりできません。。。まあ、そうは言ってもこの体なので、毎日どれだけ飲んでいるかをここに書いたら、皆さん、仰天されると思います。

でも、それは、自分の体が欲しているからです。欲しているものを獲得せずに無理に我慢しているより、欲して満足して毎日を過ごす方が正しいと僕は思うのです。。。そう思いながらも、やはり、合併症とかは怖いので、自ずと我慢しようとしてしまうのですが、そうするといらいらしたり、体に元気がなくなったり、気力が失われたりします。

正直、板挟みで困っています。もう、この体になってしまっていて、それでもなお体は欲しているという状況を、僕はどうすればいいのでしょうか。

人生それほど長いものではないと思います。どこかで苦しみ始めるとしても、我慢した結果そうなってしまうことだってあり得るわけで、これはもう賭けだな、と思っています。

我慢し続けて死ぬ人生と、我慢せずに途中から苦しみが始まって死ぬ人生と、どちらがいいのでしょうか。

僕は、もう、決めています。後者です。そういう奴なのだ、と言われれば、そうですよ、と言い切ります。そして、苦しみが始まった途端、「ああ、我慢すれば良かった」と思うのです。もう、自分の性格ですから、わかりきっています。「やっぱり我慢しておけば良かった、苦しいよう」です。絶対にそうなります。

でも今は、我慢しません。仕事をきちんとやりきりたいし、いろいろなことを考えるためになるべく平静な脳みそを常に保ちたいのです。

本当に正しいのは、何なのでしょうか?

2010年9月30日

blogの強制移動について


結構長い間、Windows Live Spaceを使っていたけれど、いきなりサービス終了予告がでて、何の留保もなくWordPressに移行しなさいときたもんだ。

Microsoftって、そんな会社なんですね。知ってましたけど。

僕はIT関係の仕事をしている。と言っても、製品開発ではない。ユーザー寄りの仕事をしている。だからというわけではないけれど、製品を開発・販売している会社に対しては、それなりの意見を持っている。

仕事をする上で、MicrosoftのWindowsやAppleのMac OS、そして、Adobe Systemsのアプリケーション群は欠かせない。だからこそ、常々思うのだ。

もっと、ユーザーのことを考えてよ、と。

これらの企業が果たしてきた功績は認める。十分に認めている。だけれども、最近、ユーザーが蔑ろにされてないでしょうか? と思わざるを得ないことがあるのだ。

頻繁なバージョンアップやアップデート、古いシステムやアプリケーションの切り捨て、不具合への対応等々、規則とかルールとかで縛りに縛って、ちょっと踏み外すと、もう相手にしてもらえないのだ。それが現実。

大きな会社が生き残っていくために、特に現在の世界的大不況の中で、それはそれは努力をされているのだと思うし、大変などという言葉だけでは賄いきれない現状があるんだろうと想像する。

でも。
ユーザーを置いてきぼりにしちゃ、だめだよ。
ユーザーがあってこその、あなたたちでしょ?

話が広がりすぎてしまうので、戻すけれども、Microsoftほどの企業が、自前のblogサービスを充実できないから他のサービスに丸投げするなんて、要は、僕にはとても信じられない話なのだ。

そんなに余裕がないんですか?
そんなに技術がないんですか?

僕の気持ちだ。

もっと頑張ってください。>Microsoft様。

2010年8月1日

熟議


新聞を読んでいて、熟議という言葉が目についた。管首相がスウェーデンの高福祉・高負担社会をモデルに再建を図ろうという主旨に対して、学ぶべきはスウェーデンがいかにそのような社会を構築したかである、と言う説明の中で使われた言葉だ。スウェーデンの社会構成をそのまま日本に持ち込むのは難しいが、スウェーデンの現在へのプロセスにおける政治のあり方は学ぶところがあるのではないか、とその記事は結んでいる。

まあ、その記事の内容の是非はどうでもいい。僕は、これから数年とか数十年程度では、日本が、アメリカが、欧州が復活することなどないと思っているからだ。

なぜそう思うのか。思慮が足りないとか、足の引っ張り合いはやめろよとか、とてもたくさんの切り口があるけれども、僕の考えは、「人間はまだまだ未熟だから」と言うことなのである。

技術や科学が格段に進歩してから、果たしてどれだけの年数が経ったというのだろうか。およそ、だけれども、たったの100年くらいではないか? 日進月歩という言葉では足りないくらいの飛躍的な発展を遂げている人間社会に置いて、置いてきぼりにされているのはまさに人間そのものだと僕は思っている。つまり、発展中の現代社会に置いて、自らを置いてきぼりにしているのが人間自身なのだと思うのだ。

生活は便利になり、うーん、便利になりすぎていると言ってもいいかもしれないけれど、それらの便利さを「道徳的に使える」ように人間そのものは成長してきたのだろうか。そこに落とし穴があるのではないかと思うのだ。

道徳的、と言う言葉はあまりよくないけれど、技術や科学の発展レベルに相応した成長をしていないから、こんな世の中になっている気がする。

アメリカの核ミサイル発射ボタンを押すことを担う人が時に発狂するという話を以前読んだことがある。そうだろうなぁ、と僕は想像できる。
高性能ですごい馬力の車が手に入ったら、制限速度なんか無視して思いっきり走ってしまう人がいる。そうだろうなぁ、と僕は想像できる。

追いついていないんだよ、人間が。便利なものやすごいものをたくさん作り出すけれども、それをいかに「道徳的に」使うかについて、人間は考えていないんだ。作れるから作ったし、すごいから売れるし、経済も発展するし、何となくみんなお金を持ってしまったけれど、使い方をよくわかっていないから、次々と飽きて、さらなるものを求めて作り、それを繰り返したあげく、ほしいものが「お金」そのものになってしまっている現在。そういう社会で生活したいのか本当に? と僕は思う。

熟議。熟考と言ってもいいかもしれない。どれだけの時間が必要だとみんなは思うのだろうか。大体、そもそも、熟議・熟考できるほどに人間という種は成長しているのだろうか。大局をみることができず、みんなが平坦な場所で言い合いをしているだけで、結局はさまざまな妥協をしてことが収まり、やがて妥協はほころび、新たな問題を生む。そういうことを繰り返しているだけなのではないだろうか。

僕は思う。いいよ、それで、って。そうやって時が経ち、やがて人間は精神的に成長するのだと信じることができるのであれば。でも、僕は今、そういう将来を信じることもできない。

スパンが短いんだよ、みんな。孫の代までの借金を抱えて、なんてことを言えるのならば、孫の代までにどのように成長していくべきかを今の大人が考えなければ、子供も孫もひ孫だって、同じ道を歩むんだよ。

寿命が短いからなんだろうなぁ、って思う。100歳まで生きたとしても、元気にやれるのは60歳くらいまで? うまくやれば70歳、80歳でも活躍できるとは思うけれど。社会に出てある程度の基礎ができるのが大体30歳くらいだから、実働50年。たったそれだけの時間で、そんな短いスパンで、これだけの発展の中で人間が成長するって、よほどのシステムがないと「無理」でしょ。

僕は思うよ。このままだったら、人間は自ら作り出したもの(道具に限らず、政治のあり方とか、社会のシステムとか、いろいろな要素)によって、滅びる。種としての自殺に等しいはずだ。その第一歩を踏み出しているのが「現在」じゃないのかなって思う。

せめて、1000年くらいのスパンで行く末を考え始めたらいいのに。今からだって遅くないと思う。今頑張っている人たちだって、いずれは死んでしまってこの世からいなくなるんだから。今後を支えていくのは、後に続く子供や孫やひ孫でしょ? 何で、日本では子供が次々に痛い目に遭っているの? それって、後のことを考えていないって、今がよければそれでいいって、宣言しているようなものじゃないか。

自分個人の寿命はさておき、誰の子供とかそういうことも棚上げして、人間がいかにこのまま高度な社会を維持しつつ、地球に生き残っていくべきか、100年、1000年、10000年のオーダーで考え始めるべきだ。僕らは未熟だから、未来の人間からすれば笑っちゃうような発想しかできないかもしれない。でも、そういうことをすべきだという考えを確立するには、ちょうどいい時期なんじゃないだろうか。どうでしょう?

政治に身を置いているヒトには、そういうことを熟議してもらいたい。切にそう思う。