2010年8月1日

熟議


新聞を読んでいて、熟議という言葉が目についた。管首相がスウェーデンの高福祉・高負担社会をモデルに再建を図ろうという主旨に対して、学ぶべきはスウェーデンがいかにそのような社会を構築したかである、と言う説明の中で使われた言葉だ。スウェーデンの社会構成をそのまま日本に持ち込むのは難しいが、スウェーデンの現在へのプロセスにおける政治のあり方は学ぶところがあるのではないか、とその記事は結んでいる。

まあ、その記事の内容の是非はどうでもいい。僕は、これから数年とか数十年程度では、日本が、アメリカが、欧州が復活することなどないと思っているからだ。

なぜそう思うのか。思慮が足りないとか、足の引っ張り合いはやめろよとか、とてもたくさんの切り口があるけれども、僕の考えは、「人間はまだまだ未熟だから」と言うことなのである。

技術や科学が格段に進歩してから、果たしてどれだけの年数が経ったというのだろうか。およそ、だけれども、たったの100年くらいではないか? 日進月歩という言葉では足りないくらいの飛躍的な発展を遂げている人間社会に置いて、置いてきぼりにされているのはまさに人間そのものだと僕は思っている。つまり、発展中の現代社会に置いて、自らを置いてきぼりにしているのが人間自身なのだと思うのだ。

生活は便利になり、うーん、便利になりすぎていると言ってもいいかもしれないけれど、それらの便利さを「道徳的に使える」ように人間そのものは成長してきたのだろうか。そこに落とし穴があるのではないかと思うのだ。

道徳的、と言う言葉はあまりよくないけれど、技術や科学の発展レベルに相応した成長をしていないから、こんな世の中になっている気がする。

アメリカの核ミサイル発射ボタンを押すことを担う人が時に発狂するという話を以前読んだことがある。そうだろうなぁ、と僕は想像できる。
高性能ですごい馬力の車が手に入ったら、制限速度なんか無視して思いっきり走ってしまう人がいる。そうだろうなぁ、と僕は想像できる。

追いついていないんだよ、人間が。便利なものやすごいものをたくさん作り出すけれども、それをいかに「道徳的に」使うかについて、人間は考えていないんだ。作れるから作ったし、すごいから売れるし、経済も発展するし、何となくみんなお金を持ってしまったけれど、使い方をよくわかっていないから、次々と飽きて、さらなるものを求めて作り、それを繰り返したあげく、ほしいものが「お金」そのものになってしまっている現在。そういう社会で生活したいのか本当に? と僕は思う。

熟議。熟考と言ってもいいかもしれない。どれだけの時間が必要だとみんなは思うのだろうか。大体、そもそも、熟議・熟考できるほどに人間という種は成長しているのだろうか。大局をみることができず、みんなが平坦な場所で言い合いをしているだけで、結局はさまざまな妥協をしてことが収まり、やがて妥協はほころび、新たな問題を生む。そういうことを繰り返しているだけなのではないだろうか。

僕は思う。いいよ、それで、って。そうやって時が経ち、やがて人間は精神的に成長するのだと信じることができるのであれば。でも、僕は今、そういう将来を信じることもできない。

スパンが短いんだよ、みんな。孫の代までの借金を抱えて、なんてことを言えるのならば、孫の代までにどのように成長していくべきかを今の大人が考えなければ、子供も孫もひ孫だって、同じ道を歩むんだよ。

寿命が短いからなんだろうなぁ、って思う。100歳まで生きたとしても、元気にやれるのは60歳くらいまで? うまくやれば70歳、80歳でも活躍できるとは思うけれど。社会に出てある程度の基礎ができるのが大体30歳くらいだから、実働50年。たったそれだけの時間で、そんな短いスパンで、これだけの発展の中で人間が成長するって、よほどのシステムがないと「無理」でしょ。

僕は思うよ。このままだったら、人間は自ら作り出したもの(道具に限らず、政治のあり方とか、社会のシステムとか、いろいろな要素)によって、滅びる。種としての自殺に等しいはずだ。その第一歩を踏み出しているのが「現在」じゃないのかなって思う。

せめて、1000年くらいのスパンで行く末を考え始めたらいいのに。今からだって遅くないと思う。今頑張っている人たちだって、いずれは死んでしまってこの世からいなくなるんだから。今後を支えていくのは、後に続く子供や孫やひ孫でしょ? 何で、日本では子供が次々に痛い目に遭っているの? それって、後のことを考えていないって、今がよければそれでいいって、宣言しているようなものじゃないか。

自分個人の寿命はさておき、誰の子供とかそういうことも棚上げして、人間がいかにこのまま高度な社会を維持しつつ、地球に生き残っていくべきか、100年、1000年、10000年のオーダーで考え始めるべきだ。僕らは未熟だから、未来の人間からすれば笑っちゃうような発想しかできないかもしれない。でも、そういうことをすべきだという考えを確立するには、ちょうどいい時期なんじゃないだろうか。どうでしょう?

政治に身を置いているヒトには、そういうことを熟議してもらいたい。切にそう思う。