2010年10月2日

思いを馳せる


仕事が忙しいのに、blogを書いている場合じゃないとわかってはいるのですが、仕事「以外」の文章を書かないと落ち着かないのです。

最近、新聞で読んだのですが、グリーゼ581gという太陽系外惑星が地球の環境に近くて、生命の存在の可能性があってもおかしくない、と言うことで、久しぶりに僕はどきどきしました。

一応、理系と文系の両刀と自認していて、少しだけ理系に傾いていると思っている自分としては、幼い頃から宇宙に対して漠然とした想いがあり、いろいろな本を読み始めてから小松左京氏のSFに出会い、むさぼるように読んだものでした。

宇宙物理学とか、天文学とか、目指してみたいなぁ、と10代の頃に思ったこともありましたが、そこまで僕の脳みそは傾いておらず、ただただ、一人の地球民として、誰かが調べてくれて公になった情報を見る立場としてこれまで生きてきました。

小松左京氏の作品については、いずれまた感想なども書く機会があると思いますので、ここでは軽く流しますが、とにかく、小松氏の作品はSFと言えども、全くの「文学」であり、ファンタジーだけでなく、むしろ、人間とか生命に重きを置いているのです。僕は、めまいがするほどの感動と驚きを読むごとに感じ、今でも、何度も、ほぼすべての作品を読み返しています。

また、何年前のことか忘れてしまいましたが、NHKブックスから「異形の惑星」という本が出版されました。タイトルを見ただけで、読みたくて仕方がなくなり、確か大阪からの出張帰りの新幹線に乗りながら携帯でいろいろと見ていたときにその本のことを知り、なぜか京都で降り、京都タワーの中だったか近くだったかの書店で買い求め、帰りの新幹線で読んだという思い出があります。

「異形の惑星」が書かれた頃の系外惑星の状況というのは、この本にも書かれていますが、まさに「異形」なものばかりであり、とても生命が(特に地球人的生命が)存在することなど不可能な惑星ばかりでした。

ああ、やっぱり、地球のような惑星は存在しないのかなぁ、と、読了後におもったのを覚えています。

そして今、グリーゼ581gという惑星の存在が発見され、もちろん僕の胸はどきどきし、もっと調査が進んで詳細な情報を知りたいと思うばかりの今日この頃なのですが、果たして「行く」ことはできるのか? と現実的なことを思ってしまいました。

確かな情報であったかどうか、うろ覚えなのですが、宇宙戦艦ヤマトなどに登場する「ワープ航法」は物理的に不可能であることが実証されたと言うことを何年か前に何かで読んだ覚えがあり、もし居住可能な惑星が見つかったとしても、実際に行くためには、相当に近くなければだめなわけです。

グリーゼ581gの情報をネットで調べ、そこに書かれていることを読み進めてみたところ、地球との距離は20光年とのことでした。

。。。微妙か? でも「20」だし。

1光年がどれほど長大な距離であるかは知識としてもちろん理解しています。でも。「20」という数字は小さいですよね? 宇宙の年齢は150億年であり、大きさは一説に寄れば(膨張速度が光速を越えているので)半径150億光年を超えると言われています。

150億の中の20。。。
よし、と正直思いました。

早速ネットで、現在の最速ロケットでどのくらいかかるものなのかを調べましたが、、、その結果に愕然としました。

。。。75万年

75「万年」ですよ? どれだけですか。開いた口がふさがらないとはこのことで、しばらく呆然としました、まじめな話。宇宙を舐めてはいかんです。こんな距離、ずっとロケットが最大速度で飛ぶことさえ理不尽な話ですから、もう本当に現実的ではないですよね。

こんな時、せめて思いを馳せて、夜空を眺めながら、酒でも飲むしかないのでしょうね。