ラベル 雑記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 雑記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年1月17日

51回目の誕生日に思うこと

17歳の時に「人生の3分の1が終わった気がする」と思ったのは、なぜだったんだろうな。予言の能力があるわけでもなく、よくわからないですが、しかし、ふとそう思ったのは事実です。


3倍すれば51歳ですね。まさに今日です(笑)。めでたく51歳になりました(爆)。


これまでの人生において、17歳の時に思ったことを折に触れて思い出しては、「まだまだ51歳までは間があるし」ということを思っていました。つまり、もしも17歳の時に思ったことが正しいのであれば、「51歳までは何があっても死なない」ってことだったからです。。。笑っちゃう話ではありますが。


ということはですね、今日からは事情が違うってことです。終活ということではないですが、これからは日々、より強く、「はい、いつかは死にますね」ということを意識しなければいけない、ってことなのです。


「人生の3分の1が終わった気がする」っていう過去の思いは極めて個人的なことだし、何もわざわざ文章にして書くことでもないのですが、ブログは個人的なものですから、まあそういうことがあったんだよ的なことを記録してもいいかな、という軽い感じで書いております。まあ、それはそれとして、51年もよくぞ生きたものだという感慨もあり、ちょいと書いてみたくなったのです。


閑話休題。


昨夏、大切な友人が突然亡くなったと連絡が来ました。


高校の入学式で、その友人は僕の背中をトントンとたたいた。振り返るとその友人ではなく、そのもう一人後ろの奴がいた(笑)。当時すでに180cmだった僕は、友人が小さかったので(というか普通だったけど)見えなかったってわけだ(爆)。ふと下を見ると、「でけぇな、お前」と言われ、「おう」と答えた。それが始まりだった。


友人は医者になることをすでに決めており、さんざん苦労して医者になった。高校時代のある時、「お前のカラダは俺がずっと診るから安心しろ」と言われ、「おめぇにまかして大丈夫かよ」と返したのだが、42歳になってそれは現実となり、以来、友人にすべてを任していた。


また、これも高校時代のある時、冗談ではなく結構真剣に「お前、医者になるんだったら、ちょっとお願いがあるんだけどな、俺が死ぬときは、お前が看取る前提で、その時にさ、どんな手を使ってもいいから一瞬だけ生き返らせてくれ」と友人に言った。「???」という顔をされたので、「その一瞬で見てきたものが何かを叫んでまた死ぬ」と言ったら大笑いされた。そしてマジになって「それを実現するには、まず開業医になってたほうがいいな、それといろいろな機械が必要だよ」というので、「よろしく」と言ったら苦笑いしていたけど、幾多の勤務医を経て友人は開業医になった(笑)。42歳以降、友人は主治医として毎月僕のカラダを診てくれていたわけなのだが、「約束忘れてねぇだろうなぁ」というと、「おお、死にそうになるまでにはいろいろ揃えておくぜ(笑)」的なやり取りをしていた。


まさか、お前が先に死ぬとは思いもしなかったよ、って話です。


お前が先に死んじゃったら、「一瞬生き返らせる」約束はどうなるのよ、って思いましたよ(笑)。何となくだけど、友人が先に死ぬってことを微塵も思ったことがなかったんですね。必ず自分が先に死ぬと思っていたから、そういう約束話になったんだけれど。予定が狂った(笑)。


ちなみに、上記の(笑)には涙が隠れているのをわかってくださいね。僕は友人に先立たれ、非常に悲しかったんです。約束がどうのこうのではなく、まだまだこれから「どうしようもねぇ、くそじじい」になって友人と遊びたかったんです。


いきなりそういうことが、起こるから、、、まったくもって自分にとっては理不尽なことであるけれど、やっぱりそういうことって起こるのだから、、、それじゃあ、もう自分がいつ死んでもおかしくないなって、思うわけです。


自分の予感による約束の時は来たし(笑)。あっち行ったら友人に「てめえ、約束果たさずにいなくなりやがって」と、蹴りの2、3発でも食らわしてやることでしょう(爆)。


だが、しかし、自分は今、まだ生きている。それが事実です。
51年も生きてきて、現実にまだ、生きている。この事実を今後、どのように認識すべきか、ということなのです。


これまでにも、早逝した知り合いが何人かいます。生きている以上、そういう出来事は周りで否応なく起こるのです。僕の父は42歳で亡くなりました。父の年齢を超えたとき、不思議な気持ちがしたものです。でも、生きている以上、そういうことと対峙し、それがどういうことなのかを自分なりにきちんと認識し続けなければならないのです。それが、現在「生きている」自分にとって大事なことなのだと思います。。。やがて、自分の順番が来るまでは。。。


いつそれがやってくるかはわからないわけなのですが、確実なことは、17歳の時よりも残りは少ないってことです(当たり前ですが)。そして、若いときに比べたら老いてます(これも、当たり前のことですが)。そういう自分をきちんと認識し、やがて来るその時まで、いかに自分が生きたいように生きられるかどうか、もうそれしかないんじゃないでしょうか。


だからこそ、17歳の時に思ったことを引っ張り出してきて、今一度自分を振り返るために、わざわざ51回目の誕生日に(笑)、長々と書いてみたのでした。


日々、いろんなことがあるし、面倒だし、でも頑張らなきゃならない。そうやってこれまでは、「結構先のことまで」考えながら生きてきたけど、今日からは日々が大事。うまく言えないので思ったまま書きますが、「今日死んじゃうかもしれないから今日一日とにかく頑張ろう」、「あれ、また次の日が来たな、じゃあ、今日もめいっぱい頑張ろう」、っていうことです。。。うーん、なんか違うけど、ま、そういう感じってことです(笑)。


そして今後の目標は、「くそじじいになる」です(笑)。
くそじじい目指して、これからも日々、頑張ります(爆)。

2013年2月3日

オカルト話と現実的推測

いやいや、、、(-_-;)。
久しぶりに、本当に久しぶりにやられちまった。

昨晩、夢を見ている自分がいて、夢の中で何やら忙しく仕事をしていたのだ。だいたい僕は、酔っ払って眠ると本当にぐっすりと眠るタイプで、夢は見るけれども、朝起きたらほとんど覚えていない人なのだ。夢を見たかな~程度なのである。

昨晩の夢ははっきりと覚えている。とにかく一所懸命仕事をしていたのだ。バタバタしながら、打ち合わせのためにある人のところに行き、その人といろいろ話していた。

打ち合わせも終わりに近づき、その相手がふっと微笑んだ途端、夢は終わった。そして、まだ眠っている感覚のまま、現実の僕は仰向けのまま、背中からふわっと、直立に布団ごと立たされた。 結構な勢いだったので、「やばい、クローゼットの扉にぶつかる!」と思ったくらいだ。寸前で止まり、また、ふわっと、倒された。

おいおい、かんべんしてくれよ、と思ったら金縛り。やだやだ、金縛りはやめて! と動けなくなる前にもがき、何とかのがれたのだけれど。

そこで目が覚めて、大きなため息をついた。

さて。
別に冗談で書いているわけでもないし、軽い気持ちで書いているわけでもない。朝からこんな文章を書くほどヒマではないので。現実にリアルな体感があったから、わざわざ書いている。

そして、冒頭で、「久しぶりに」と書いているように、僕はこの手の体験は初めてではない。 小中学生のころはよくこういうことがあった。

具合が悪くて学校を休んで2階の自分の部屋で寝ていた時、誰もいないのに階段を上がってくる誰かがいて、音が止まったと思ったらもう僕の上に乗っている、とか。夜、寝ていたら、いきなり体が浮かび上がって天井に押しつけられたり、とか。そして、金縛りはしょっちゅうだった。

社会人になって太ってから(笑)、実はそういうことが全く起きなくなった。最近、ダイエットで痩せてしばらく経ったので、またこういうことが起こったの? と思ったりしている。

現実的推測。

昔のそういう体験があり、霊魂とかあの世とか、あるんだろうなぁ、くらいには思っていた。死ぬ間際の人の体重を特殊な装置で測り、亡くなられた直後に測り直したら35g減っていたので、霊魂の重さは35gだ、なんていうおかしな話にもきちんとだまされたりしていたのだ。

社会人になって、大人の現実の中で生きていくようになると、こういう話が嘘に思えたし、物理的に言って、そりゃないでしょう、って思うようになった。20代くらいですでに霊魂やあの世などの存在は否定的だったし、30、40と歳が進むにつれ、科学的に無理があるんじゃね? という思いは強くなり、昨晩までは完全否定派でした。

人は死んだら、焼かれて骨だけになり、その他の部分は煙になる。つまり、単純な無機的物質に還元されるのだけれど。骨だって、ただの物体だ。意識なんて形も何もないし、そもそも生きていたって目に見えないし、ハードウェアに対するソフトウェアみたいなもので、ハードがなくなればソフトはない。そんな風にとらえていたのだけれど。

そして今。
ちょっと待てよ、と。
正直、思っている。

存在を否定できる根拠もないよね。そう思っている。大人的冷静発想。存在を肯定するにも否定するにも、根拠がない。そういうものだ、オカルトなことというのは。ま、それでいいのだけれど。

で、愛犬と散歩しながら、ふと思いついてしまった。ヒッグス粒子とダークマター。これらって、ほとんど最近の話題であって、昔はその存在がオカルト的だったはず。

ヒッグス粒子は、物質に質量を与えるものだという。ヒッグス粒子がなければ、宇宙のすべての物質は光速で飛び回るしかない(ということだったと思う、、、自信なし)。

ダークマターは、暗黒物質と言われ、人間が宇宙の質量をさまざま計算したところ、こういうものが存在しないと辻褄が合わず、目に見えたり量れたりする物質だけではどうにも量が足りないので、出てきた概念。本当に存在するらしいのだが、正体不明という代物。

ヒッグス粒子が取りついていないダークマター、それが霊魂だったら? 

朝から何を突飛な推測を(笑)。しかも愛犬の散歩をしながら(爆)。

でも、宇宙的には何があってもおかしくない、というか人間の知識や知恵、経験が全く追いついていないのだから、別にそういうのでもいいんじゃないの。

存在するでも、しないでも、いい。でも、いずれ自分の存在も終わるし、そのときに霊魂っていう存在になっていくのだとすると、ちょっとワクワクしないでしょうか(笑)。自分のハードは動かなくなったけど、ヒッグス粒子なしのダークマターになっちゃった、みたいな(#^.^#)。

んー、、、朝からバカだ。。。

2013年1月31日

人は必ず死ぬのだけれど

数日前に、昔勤めていた会社で部下だった女性から電話があり、あれ、どうしたの、珍しいね、なんて話をしていたのだけれど。

疎遠になっていて、もうおそらく連絡することなどないだろうと、アドレス帳からは削除していた人だっただけに、少し驚いたのが正直なところ。

アドレス帳からあなたのことは消しちゃったんだけどね、と素直に言ったら、削除するなんてひどいですよ、なんて言われつつ、時々当時の仲間と呑んでいたりするらしく、僕の連絡先が分かったので、また呑みましょうよ、という話だった。

まあ、それはいいけど、みんな元気なの? と聞いたところ、いや、笑えない話があるんですよ、と言う。

何、その意味ありげな物言いは、と思い、何があったの? と問うと、いや、今度呑みに行った時に話そうと思ったんだけれど、と言う。

もったいぶらずに言いなさいよ、とたたみかけると、当時、共に働いていたやはり部下だった女性が半年前に亡くなったのだという。

は? と僕は耳を疑った。 電話をくれた女性ともう一人の女性、僕の上司にあたる年上の男性、そして、亡くなった女性とは、仕事帰りに結構呑んだりしていたのだ。もう、10年以上前の話。

だが、亡くなった女性とは仕事上であまり良い関係ではなく、僕としてはいろいろ思うところもあり、もちろん、相手にも思うところがいろいろとあったと思え、冷たい関係になってしまっていたので、電話でその女性の話題が出るまでは思い出しもしなかったのだ。

がんで亡くなったのだという。そうなのか、と一瞬思う。
そして、思いもよらない鈍いショックがあった。

え、なんで、彼女がなくなったからと言ってショックを感じるのだ? と僕は思う。良くわからない。

平静を装って、電話の女性とバカ話をし、みんなで呑みに行こうね近いうちに、と電話を終わったのだが。

ショックが立ち去らない。なぜだろうか。僕は自分をいぶかしがる。

この数日、ときどき亡くなった女性のことを思い出しては、またショックが蘇る。そして僕は分かったのだ、その理由が。

そんなに早く死ぬなよな、って思ったってことだ。
そう思わせる人だった、ってことだ。

仕事上のうんぬんがあり、僕はむかつくことがあったし、それは彼女にしてもそうだっただろうと思う。でも、そういうことはうわべの話なんだな、って思うのだ。

おそらく、僕は、その当時でさえ、彼女のことを認めていたのだろう。とても頑張るし、一途だし、何よりそのキャラクターはあまり見かけないような魅力的なものだった。つまり、素敵な人だったのだ、と思う。

仕事上ではどうしても駄目だったけれど、人として僕は彼女を認めていたのだ、と改めて思ってしまったのだ。だから、びっくりしたと同時に、え、まさか、あの人が、そんなに早く死ぬなんておかしいじゃないか、と思った、ということなのだ。

それが、ショックの原因・理由。

もう、50歳になろうとする自分は、自分の人生についていろいろ考えてきた。いろんな理屈があるだろうし、考えるべきさまざまなことがたくさん転がっている。50年生きたって、別に何があるわけでもないのさ、と思ったりもする。

でも、理屈や理由はどうでもいいから、自分より若い魅力的な人が自分より先に死ぬなんて、ダメだよ、って思ったのだ。

そう思わせる人だったのだ。

これまでにたくさんの人とかかわってきた。自分という基準でその人々を観たとき、それぞれの人たちに対する感情や、言葉は悪いけれど評価がある。年上の人も、同い年の人も、年下の人もいる。

そういった個々に対する自分の中での判断基準などどうでもいいよ、なんで死んじゃったのさ、って思ったのだ。

そう思わせる人だったのだ、と思う。


人は必ず死ぬのだけれど、早逝は辛いな。
心の底からそう思った。

生きていたってもう、連絡を取るような間柄じゃなかったので、二度と会うことはなかっただろうと思うけれど、それは可能性の問題であって、こんな、まったく絶対にもう会うことがないという、その可能性さえ断ち切られるようなことは、悲しいな。

歳をとると、こういうのは辛いんだなと、初めて思った。

ご冥福を祈る。
合掌。

2012年11月25日

久しぶりに良書と出会った

宇宙に関する本が読みたくなって、数週間前に図書館に行った。そこで見つけて借りてきた本である。

『すべてはどのように終わるのか あなたの死から宇宙の最後まで(How It Ends - From You to the Universe)』
クリス・インピー(Chris Impey)著
小野木明恵 訳

僕は本を褒める人ではない。おそらく、自分の中の変なプライドやものの見方がそうさせるのだと思うのだが、滅多に「これはよい本だ」とは言わないのである。

さまざまな本をこれまでに読んできたが、だいたいの場合(ほとんどの場合、といっても良いかも知れない)、最初の1/10ほど読んでやめてしまう。のめり込める本が少ないのだ。

その結果、僕の手元には、小松左京、村上春樹、阿佐田哲也の3氏の本しかない。この3氏の本を繰り返し繰り返し、読んでいるのだ。

特に、小松左京に傾倒している。何だ、SFか、と言うかも知れない。まさに、SFの巨匠だ。だが、小松左京を深く何度も読んでいる人はわかっていると思う。小松左京氏の著作は、SFを舞台にした人間文学なのだ。異論があることは認める。だが僕は、SFという枠を大きく越えた文学であると強く思っている。

そんな人間が良書だという本だから、まさにその手の、理系的な、宇宙的な、物理的な本なのだが(笑)。

クリス・インピー氏は天文学が専門の大学教授である。またそういうと、小難しい専門用語がたくさん出てくる理系の本なのだろうと想像されるだろう。ところが、この本はちょっと違う。極力、専門用語は使わないと「はじめに」で著者が断っている。もちろん、専門用語なしでは成り立たない内容だが、大変わかりやすいストーリーと、巻末での詳細な追加説明でより理解ができるように配慮されている。

でも、そんなことで僕は良書とまでは言わない。したためられている内容が魅力的なのだ。

この手の個人的感想では、当然、著作の詳細な内容を説明することはできない。詳細を説明してしまいたい欲求を抑え、簡単に書くと、この本は「始まりと終わり」の本である。だが、村上春樹氏の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のようなものを想像してはいけない。この本は小説ではなく、天文学とか物理学とか、その手の世界で検証された、または、検証されようとしている「事実」が書かれている。

こう書くと、ああ、また難しい話だと思われそうだ。
だが、とても読みやすい。読者を飽きさせないように、所々にジョークがちりばめられ、心温かくなったりもする(心凍る事実もたくさんある(-_-))。

だいたいにおいて(ほとんどの場合といっても良いかも知れない)、この手の翻訳ものは、文章が翻訳調になってしまって読みづらいものだが、この本ではそのような感じがまったくといっていいほど、ない。訳者の力の大きさを感じたものである。

特に衝撃を受けたのは、炭素の話である。炭素? そう、地球温暖化でいろいろ問題になっている二酸化炭素の構成元素の一つである炭素である。

人間は多様な有機物で構成されているが、元をただせばいくつかの元素である。特に量の多い元素が炭素「C」である。僕ら一人一人の中にも大量の炭素が存在するのだが、その炭素がどこから来たものなのかと言うことが書かれていたら、興味を引かれないだろうか。

ビッグバンからさまざまな過程を経てできた炭素が、宇宙の星々を構成し、星が終末を迎えて壊れ、星を形作っていた炭素はまた宇宙を漂い、地球ができるときに取り込まれ、その一部の炭素が僕らに含まれている。そういう話。

そして僕らはやがて死ぬ。火葬されるのか、土葬されるのか、いずれにしろ、分解される。僕を構成していた炭素は果たして次は何を構成するのだろうか。そういう話である。

もちろん、炭素の話だけではない。さまざまな始まりと終わりが書かれている。

そして、最後は宇宙の話。
宇宙は137億歳と言われているけれど、そういえば、この先宇宙はどうなるのかって言うことを、あんまり読んだり聞いたりしたことがないな、と思っていた。

この本を読むと、現在わかっているレベルでの話だろうけれども、宇宙がこの先どうなるのかがわかる。そして、137億年というのは宇宙にとって序盤も序盤であり、全然まだまだ、これからなのだと言うことがわかり、実は圧倒された。

そういうスケールの本なのである。

。。。
。。。
。。。

このまま書き続けると、詳細を書いてしまいそうなのでやめる(笑)。

とにかく、この本に出会って良かったと素直に思ったし、書かれている内容は壮大すぎるけれども、自分の人生に投影すると、何かしら感じ入るところがあるかも知れないと僕は思う。

図書館で借りてきた本なので、今日返さなければならないのだが、手元に置いておきたいと思うので、たぶん近いうちに購入するだろう。そして、何度も読むと思う。

なかなか、そういう本には出会わないので、素直に嬉しかった。

2012年11月17日

一日一食、そしてゴボウ茶 ※シモの話あり~途中から閲覧注意※

このブログはダイエットブログになりつつあると思いつつ(笑)。

前回のダイエット記事、「中年ダイエット」で書きましたが、炭水化物抜きも限界まで行くと、その先が辛いです。だから睡眠をたっぷり取りましょう、なんてことを書いたのですけれど。

忙しいときは、そうそう寝てられない(泣)。そりゃそうだ。

で、何かと話題になっていた南雲吉則氏が推奨する「一日一食」そして「ゴボウ茶」を試すことを決意したのでありました。

夏の初めくらいだったでしょうかね。炭水化物抜きだとどうしてもリバウンドしてしまう。つまり、まったく炭水化物を取らないわけにはいかないので、時々食べる。そうすると太る。で、またやめる。すると減る。その繰り返しなのですね。

肥満状態(僕は105kgでした)から炭水化物抜きはすごく効果がありますが、いったんダイエットが実現すると(僕は92kgまで落ちました)、その先は厳しい、というのが実感でした。

それにですね、やっぱり脳みそが逝っちゃう。仕事にならない。だからといって炭水化物を摂取すると、眠くなるんですね。。。むー。

で、チャレンジした一日一食ですが、これは最初はきつかったですね。一食なら何を食べてもいい、とは言っても、つまりは「プチ断食」ですから、朝はまあいいとして、昼に何も食べないっていうのは、「ムリっ!」って感じで、当初は我慢できずに食べちゃいましたね。結果、太る(笑)。

その空腹感を紛らわすためにゴボウ茶なのだなと思いまして、長~いゴボウを買ってきて、せっせせっせと皮むき器でしゃりしゃりささがきにして、真夏は天日干しにして乾いたらフライパンでとろ火で煎る。するとできあがり~。

焦げる寸前まで根気よくやるのがベストですね。中途半端に煎るのをやめると、あんまりおいしくないです。焦げる寸前までちょうど良く煎ると、香ばしくてしかも自然な甘みが。。。

腹が減ったら飲む、ではなく、朝からずっと飲んでました。コーヒーサーバにゴボウ茶を入れて(少し濃いめがおいしい)、1リットルの熱湯を入れて数分待ち、仕事しながら、フーフー、ずずず、と飲んでました。

まあ確かに、空腹感がまぎれる「ことも」ありますが、基本的に空腹ですよ。辛いです。うーん、厳しいかなぁ、と、開始して三日目でやめそうになりました(笑)。

ところが、朗報は別のところからやってきたのです~

※はい、お食事中の方、この先を読むのはやめてくださいね~※
※食べ終わってからにしてくださいね~※











僕は便秘をしたことがない、お通じが快調な人です。でも、その内容物はそれほど褒められたものではありませんでした。大酒飲みですし~たばこも吸いますし~、わかりますよね、ご同輩の方は。

だがしかし。

ゴボウ茶を飲み始めて四日目の朝のことでしたが、なんとまあ素晴らしいものが出たではありませんか。こんなの、小さな子供の時以来見たことない、って感じです。

しかも、その行為にまったくストレスがないのです。つるんと出た(笑)。

あ、あの~、さらにシモの話を重ねますが、以前にも書きましたように、僕はぢぬしさんです↓
「おしりが痛いときの対策(シモの話なので痛くない人は読まないでくださいね)」
「<続>おしりが痛いときの対策(シモの話なので痛くない人は読まないでくださいね)」

ですので、毎朝定期便ではあるものの、その行為については多少のストレスが伴っているわけです。それでもまあ、上記の記事を書いたときよりは良好ですが。

ところが、まったく、何の障害もなく、つるんと(笑)。
しかも、ほんの1,2分で終了です。

な、何でしょうか、これは。

よくよく調べてみると、水溶性食物繊維と不溶性食物繊維を豊富に含むのがゴボウなのだそうです。な、なるほど~。

ということで、これは飲み続けなければ、と固く誓ったのでした。

以来、ずっと飲み続けていますが、素晴らしい日々です(大爆笑)。

※シモの話、終わり!(笑)※

さて、一日一食ですが、それほど厳密に守っているわけではありません。

朝、起きて、大ジョッキにアイスコーヒーを作って牛乳を入れて、たばこを吸いながら飲む、というのが習慣化していてやめられません。はい、ここで牛乳摂取してますね。

その後、大酒飲みなので肝臓をいたわる意味で、生味噌タイプのインスタントのシジミの味噌汁を飲みます。ここで、塩分とか摂取してますね。

とりあえずこれだけは摂取してます。あとは晩酌までゴボウ茶。。。

どうです? 辛いですよ最初は。

でもですね、一ヶ月位すると、不思議なことに空腹が嬉しくなります。ゴボウ茶が愛しい(笑)。

そして、待ちに待った晩酌で好きなだけ好きなものを食べ、最後にご飯も食べます。パンも食べるときがあります。計算してみると、一食でそれほど食べられるものではないですから、適度な炭水化物抜きも同時に達成しているのですね。

最近では、打ち合わせなどで相手と昼食を食べるときもありますが、そういうときは何も制限せずに食べます。すると、もうおなかいっぱいで、晩酌で酒呑んで何かつまめばいいやぁ、ってかんじになるので、一日のトータルでは計算が合ってしまうような、そんな体になってしまいます。

で、肝心の体重の方ですが、実はそんなに減りません。ですが、リバウンドもしません。

開始後、しばらくは、95kg~98kgをうろうろしていました。
夏を過ぎた頃、94kg~96kgの範囲になりました。
現在、93kg~94kgの範囲でうろついており、ちょっと食べ過ぎたなぁ、というときに95kg台になる、という感じです。

こうやって、だんだんと、ゆっくりと体重が落ちていって、数ヶ月後には90kgを切りたいな、と思っているところです。

なお、僕は早朝に起床後、すぐに両手にリストウェイト(500g×2)、両足にアンクルウェイト(1kg×2)を装着し、夕方、風呂に入るまでつけっぱなしです。やせたいけど筋肉は落としたくないからです。この習慣はかれこれ4年は続いているでしょうか。

筋力が落ちずに、体重が減ってきていると言うことは、脂肪が落ちているわけです。 最近では、どうしても脂肪が落ちない太ももの裏側を何とかしようと思い、暇があれば四股を踏んでます(笑)。簡易四股ですが。

このような実体験から言えば、やはりある程度の年齢に達したら、食事の内容や食事の方法を工夫していかないと、必ず太るんだな、ということです。

節制が不可欠だと言うことですね。

大酒飲みで、たばこも吸うくせに、偉そうなこと言うな、というおしかりはスルーです(笑)。

結局は、自分にあったダイエット法を見つけるしかないというのが本当のところではないでしょうか。

そういう意味では、結果が出ていると思える「一日一食、そしてゴボウ茶」は、今後も続けていくことになるのだと、今は思っています。

90kg切るぞぉ!
頑張るぞぉ!

※この記事は、僕の体験に基づいているので、僕だけに通用した話です。他の方に通用することを保証するものではありません。ご了承ください。※


2012年6月7日

世界が平和でありますように

イギリスのエリザベス女王の在位60周年記念イベントで、イギリスの大物ミュージシャンがステージに立つというのでメンバーを調べたら、ポール・マッカートニーがおおとりで出ていました。

小学校の頃だったと思うのですが、ご多分に漏れずビートルズに多大な影響を受け、毎日毎日聴いていました。もちろん、当時はLPとカセットテープ。。。うん、懐かしい。

レコードばかり聴いていると劣化したり傷がついたりするので、あの頃は確か必ずカセットテープに録音して聴いていました。ほかにもいろいろ聞いていましたけれど、そのミュージシャンがどれくらい好きなのか、によって、カセットテープのグレードを変えていましたね、確か。

ビートルズはもちろん、最上級のSONYのフェリクロームテープ。1本650円もしたっすよ。LPが2500円だったから、レコードを1枚買うたびにフェリクロテープも買って、ガキの頃ですから、まあとんでもない出費ですな。

でも、それほどに、ビートルズが大好きだったし、LPはすべて揃えたかった。一月に1枚ずつ買っていって、友達と貸しっこしたりしつつ、テープではすべて揃えたけれど、レコードを全部手にするのに随分と時間がかかった気がします。

当時は映像を見ることさえ自由ではありませんでしたから、何かの番組でちょっとだけ見ることができたり、ニュースになったりとかでしか、ビートルズの姿を見ることもできなかったですね。

でも今は、ネットがありますから。さっそく調べて、ポール・マッカートニーのステージを見ましたですよ、はい。

。。。うー、随分とお歳を召されて。もうそろそろ70歳か、、、うん。

そういうポール・マッカートニーがMagical Mystery Tourとか、All my lovingとか、歌うのを見て、そうだよなぁ、この人の曲なんだよなぁ、って、改めて認識しましたです。

Let it beなんて、聴いてて鳥肌たっちゃったもの(笑)。

Wings時代の007のテーマ曲とかで会場を盛り上げて、最後はオブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダで全ミュージシャンがステージに登場、という具合でした。良かったです。

ビートルズ時代に、ロイヤル何とかって言う会場のコンサートで、ジョン・レノンが「安い席の方は拍手をしてください。後ろの方の席の方は宝石をじゃらじゃら鳴らしてください」って言い放ったというエピソードを子供の頃に読んで、子供心に、「ひぇ~」と思ったものですが、その後に勲章をもらったりしてますしね。

エリザベス女王もポール・マッカートニーも、同じように歳を取ったという現実があり、こういうイベントで70歳になろうとするポール・マッカートニーがビートルズ時代の歌を歌う。なんか、そういう現実をネットで観て、「うん、世界は平和じゃなきゃダメなんだよな」って、ふと思いました。なんでかな。

時は流れゆくんですね~。

2012年4月22日

中年ダイエット(笑)

どうも、このところ太ってきてしまって、悩ましいのであります。一時期の完璧なる炭水化物抜きで体重も体脂肪率も減少し、おなかも凹んだのですが、さすがに脳みそがやばい気がして、今年は日中に少量の炭水化物を摂取することにしています。

そうしたら、まあ、体重が上昇すること(笑)。どうして? って、どうしてもこうしてもないのですが。

そうは言ってもですね、無茶食いしているわけではないのです。通常の成人の、一日あたりの炭水化物摂取量は300~350gと言われています。多くてもその半分くらいに抑えるように調整しているので、そんなに太るわけがないのですが、なぜか太ってしまいます(笑)。

炭水化物抜きダイエットで達成した最低体重が92kgでした。105kgからの減量なので、マイナス13kgです。その後、95kgを境にして、±2kgの範囲を行ったり来たりしていますが、このところは高寄りで、98kgまでは行かないものの、97kg台にとどまることが多くなりました。

一時は92kgまで減量したのですから、97kgという数字はショックです。。。せめて95kgよりは少なく維持したいです。でも、ずっとずっと炭水化物を抜くと「あっぱっぱー」になってしまいます。。。

先に書いたように、目安としてだいたい通常の半分くらいに節制はしているのですから、これはもしかしたら、また別の原因があるのかもしれない、と思いまして、はて、このところの生活はどのような状況だったかな、と思い巡らしてみました。

毎晩のべろんべろん晩酌はさておき(笑)、ほかに無理をしているところがあったかなと思いましたら、ありましたっ。

睡眠時間。

仕事もそうですが、今勉強したいことがたくさんあって、結構な時間が必要です。そのため、べろんべろんで21時頃に寝て3時頃に起きると言うことをしていたのですが、これが良くないのではないか、と思いつきました。

。。。まあ、そうは言っても、これまで睡眠時間を削りに削って仕事をしてきたわけですから、今更それが原因というのも、という気持ちがあったのですが。。。

習慣になっていますので、だいたい4時間も眠れば満ち足りた気持ちで起床することができます。6時間は寝るつもりでも、1時とか2時に目が覚めておめめがぱっちりであればそのまま起きてしまうことも多々あります(そういう日は日中に眠くなるので、昼寝をして帳尻を合わせています)。

でも、あんまり良い習慣とは言えないですよね。なので、目が覚めてぱっちりしていても、もう一度寝る、ということにしてみました。最低でも8時間は寝るのだ、という意識でこの一週間ほど過ごしてみたところ、、、

減りましたね~

食生活は何も変えていないし、毎日のウォーキングも欠かさず実行していますし、それでも減らなかった体重がきちんと減りました、はい。97kg後半で推移していた体重が95kg前半まで緩やかに落ちましたから。うーん。。。なるほど。

歳を取ると、睡眠さえ体力が必要なのだ、ということかと。
寝るだけでやせるなら、ラッキーじゃないですか?

ということで、しばらくの間、8時間睡眠を実行してみようと思っています。

もしこれがうまくいくならば、過体重の中年よ、眠れ、ということになりますね(笑)。

さて、どうなることやら。結果はまた書きますね~。

2012年3月21日

弱気に頭突き

この半年ほどの間に、あまり良くないことがいくつか起こりました。それは、不景気によるものであったり、自分が信じて理念としていたことが、もしかしたら間違っていたのかもしれないと疑念が発生したことだったり、諸々の状況によって人生が芳しくない方向に向かってしまっていると感じられたりといったことです。

 40歳も後半になると、いろいろ背負ってしまっています。若かりし頃はパワーがあったから、背負うべきものを背負いつつ頑張れましたけれども、今は技術が成熟していてもパワー不足になってしまっていることを否めません。背負っているものが重く感じられます。そういうとき、弱気になります。この半年、僕はもしかしたら弱気な人だったのかもしれません。

見知らぬ強靱な悪者、ヤクザ、得体の知れない異星人、僕に悪意を持つ強い者、そういった僕をこてんぱんにたたきのめそうとする奴らが夢に出るようになりました。

夢占いによれば、そういう存在は自分の中の不安や心配事、弱気を示すのだそうです。

このような者たちは、夢の中で僕を追いかけます。追い詰めて襲いかかってきます。隙あらば、僕を捕らえてどこかに連れて行き、拷問するなり、ざっくざくに切り刻もうとしています。それがよくわかるのです。

僕は夢の中でおびえています。逃げ回ります。戦おうとしたときもありましたが、どうしても手が出ず、反抗できず、負けてしまい、怖くて目が覚める、ということが繰り返されました。

目が覚めて、とてもいやな気持ちです。どうして立ち向かわないのか、と頭で考えますけれど、現実世界で弱気になる原因にどのように対処したらよいのか考えあぐねていますから、結局そういった考えはすべて空振りです。

一昨日、またそういう夢を見ました。僕はカラダが大きいのですが、それを遙かに上回る 巨体の悪人が、残虐な意志を持って僕を襲いました。僕は怯みました。だけど、その場所はもう後ろに下がれないところだったのです。

何とも言えない感情が錯誤し、このままやられるのか、反撃するのか、どちらかを選択しなければならない一瞬がありました。そして、僕は自分より相当に大きいそいつの頭に両手を伸ばして鷲掴みにし、思いっきりそいつの顔に自分の顔を近づけて睨み付けました。

何でこんなことをするんだ!

僕は怒鳴りました。だが、そいつは笑っています。その顔を見て、僕はぶち切れました。そして思いっきり頭突きを食らわしてやったのです。

悪の巨体は七転八倒し、ふらふらしながら走り去りました。僕は後ろ姿に向かって、「ざけんな! このクソ馬鹿野郎!!!」と怒鳴りつけました。

そこで目が覚めました。
爽快でした。

自分の感情を制御することはとても難しいことです。でも、弱気に捕らえられたら、すべきこともできなくなります。随分と、そして何度も、夢の中で弱気の化身に攻撃された僕でしたが、やっと一撃を食らわすことができました。

そして昨日、しなければならなかった嫌なことを実行に移し、それは無事に完了しました。

まだまだしなければならないことがあります。その都度、もしかしたらまた、夢の中で弱気の化身に襲われるのかもしれません。でも、もう負けないです。

今度出てきやがったら(笑)、全戦力を投入して跡形もなくぶちのめす所存です。

2011年12月10日

合致することが大事

やりたいこととできることは違うんだなって、この歳になると実感します。やりたいこととできることが合致して、はじめてモノになるんだということです。

僕は御多分にもれず、音楽が大好きです。B'zやChar、Queenなどは今でも繰り返し聴きます。昔はレッド・ツェッペリンやディープ・パープルにはまってました。ものすごいギタリストとボーカルのいるグループやユニットが好き、ってことですね。

そして御多分にもれず(笑)、ギターを弾けるようになりたい、迫力ある歌を自分で歌いたい、そう思って若い頃はずいぶんと練習しました。もちろん、あわよくばミュージシャンになりたいぞ~(照)、みたいなところも結構深くありました。

ですが、以前の記事にも書いたように思いますが、まったく才能がない。必要とされる資質の半分位を生まれながら持っていたら、努力して磨いて積み増すこともできたのかも知れませんが、残念なことにかけらほどしかなかったです。

それでも諦めませんでしたね、当時は。思い出すと、涙がでるくらい努力してましたです、はい。

はじめてギターに興味を持ったのは、小学校6年生の時でした。クラッシクギターで禁じられた遊びという王道から入り(笑)、すぐに挫折(:_;)。うーん、なんでできないんだろう、位にしか思いませんでしたね。

中学の時は吹奏楽をやってましたけれど、まあ、時々の達成感や高揚感は別として、特に面白いものでもなかったです。誘われてやっていただけなので。

高校生になってバンドやろうぜっていう、よくあるノリでベースを買いました。体の大きさでベース担当にさせられたのですが(笑)。まあ、普通には弾けるのですが、ちょっと技術を要するフレーズになると、練習してもしてもしても、ダメ。ごまかして弾いていましたけれど。

ギターやってた奴がかっこ良くて、ついでにエレキギターも買っちゃいました。こっちのほうがいいや、みたいなノリです。ある程度までは弾けるようになりますけれど、より異常にはならない。苦しかったですね。

大学に入ってからも自分でバンド組んでオリジナルも作っちゃったり、社会人になってからも週末はスタジオだ、みたいに励んだんですけどね。

どうにもこうにもやりたいようにやれない。歌だって音痴じゃないんですよ。でも、歌声に魅力がない。音は外さないけど、っていう感じでしょうか。

やりたいことがうまくやれないもどかしさ、と言うよりはもう、怒りさえ覚えましたね、自分に。でも、どれだけ頑張ったって、できないことはできないんだってわかったのは30歳くらいの時だったでしょうか。

実は1つだけ才能はあるんです。絶対音感に近いものを持っています。聴いただけでわかる。それはもう子供の頃からでした。ああそういえば、小学校低学年の時にやるソプラノリコーダーってあるじゃないですか。あれは天才的に上手でした。それがかえって良くなかった気もします。音楽できるじゃん、って勘違いしていたフシもありますね。悲しい。。。

まあ、ですけれども、僕の本業であるテクニカルライターという職業は、なんとかやりたいこととできることが合致しましたので、それで生きてこられましたが、合致しないままこの職に就いている人は苦しいだろうなぁ、って思うのです。

実にいろいろな要素が求められる職業です。あ、いや、大層なことではないのですが、僕はたまたま性質が合致していたんじゃないか、って気がするのです。

まず、パソコンとかワープロとか機材とか、そういうものが好きで好きでたまりません。音楽に熱中していた時代も、やたらと機材には詳しかったです。

そして、ディスプレイを終日見ていてもぜんぜん大丈夫なカラダです。ファミコンがこの世に出現してからPS3まで、ほぼすべてのゲーム機で多数のゲームをしてきましたが、特にドラクエやFFなどは、新作が出るたびに3日徹夜して、トイレと食事の時以外はすべてディスプレイ凝視(笑)していても大丈夫でした。

とにかく、視力が落ちないんです。疲れてぼやっとすることはあっても、視力は常に1.2以上でした。そのまま老眼気味になってしまって、もう近くの文字なんて読めないです(:_;)。手を伸ばして本を持って読む、みたいな(笑)。

それから、臆病で心配性なんですね。大丈夫かなぁ、って常に思っている。これ、結構重要です。マニュアルというものは、正しくなければなりません。でも、作っている最中は情報がどんどん変化していきます。古い情報を前提に作ったところは直していかなければならず、直したかな、、、あそこは手を入れたかな、、、この情報は開発者に確認したかな、、、とか、常に心配しなければならないのですが、心配性なのでこれが自然にできちゃう(笑)。心配するっていうことが、ストレスにならないんですね。

カラダがでかいのに、臆病で心配性ですか? っていうツッコミは「なし」でお願いします(笑)。

まあ、後は、無尽蔵の体力、でしょうか。なんだか知りませんが、体力だけはやたらとあります。この仕事は持久力勝負みたいな所がありますし、やってもやっても終わりませんから、途中で心が折れたらもう終わりません。心を支えるのは結局の所は体力なのです。

30代の頃は「24時間365日働きます」っていうのが僕のキャッチフレーズでした。嘘ですけど(笑)、そのくらいやりますよ、ってことです。もちろん、日々寝ますが(笑)、休日っていうものは取らなかったですね。年に5日も休んだかどうか、という感じです。一人前になったなぁと思えたのが30歳前半くらいでした。そこからここまでの十数年間、そういうペースで仕事をしてきました。これはもう、本当に持って生まれた無尽蔵の体力を生み出しちゃうカラダのおかげです。

。。。今は、実は疲れちゃって休暇にしています。十数年ぶりの休暇です。嬉しい日々です(爆)。

他にも、コミュニケーション能力とか、理解力とか、表現力などなど、必要とされるものはいろいろあるのですが、ほぼ、それらを満たすものを持っていたし、磨くことでどんどんと積み増すことができました。ですから、やりたいこととできることが合致していて、それを本業にできた僕は幸せなのかも知れません。

やりたいことがあって、それを目指す努力というのはすべきたと思います。でも、どうしても目指すところに到達できない場合、自分のできることが足りてないという現実はあるかも知れません。それは悲しい事ではありますけれど、努力は決して無駄にはなりません。どこかで必ず活かされます。

テクニカルライターとして、音楽関係のマニュアルも作りましたよ。そういうところに活かされるんです。だから、僕の音楽に対する努力は無駄ではなかったどころか、財産になっていたというわけです。

だからこそ、やりたいことがあるならば、とにかくがむしゃらに頑張るべきなのだとぼくは思うのです。やりたいことができるようになるかどうかは別問題です。まず、やるべきです。やりたいことに情熱を傾けることは決して悪いことじゃありません。待っている結果が挫折だったとしてもそれはそれでいいじゃん、って、この歳になるとそう思います。

歳取ると、そういうことを平気で言えるからやですね。若い時は「ざけんなぁ! 俺は絶対やったる」という思いばかりでしたから。

論外は、やりたいことがない、という場合ですね。これは大問題だ。やりたいことがない人、結構いるんじゃないでしょうか。もったいないですよ。できることは必ずあるから、それを知るためにも何かに情熱を燃やすべきだとおじさんは思うのですが、別にやりたいことねぇし、とか言われると、うーむ、と唸ってしまうのでありました。

取り留めもなく長文を書いてしまいましたが、実はまた新たにやりたいことができてしまいまして。。。いい歳して、まだなんかすんのかよ、って感じですが(笑)。果たして資質があるのかどうか、やってみないとわからないというのが面白くもあり、困る所でもありますね。残りの人生、そんなに長くないのに(:_;)。

でも、頑張っちゃうんだろうと思います。痛い目に遭おうが何しようが、やりたいからやるんです。別に無理してやりたいことを掘り起こしたわけでもなく、ただ興味があり、自分もできるようになりたいと思ってしまったので、こればかりは仕方ないです。

なので、いろいろ勉強中です。また頑張る日々です。

何をやりたくなったのか、って?
秘密です(笑)。

2011年11月22日

あこがれのぶかぶか

さすがに寒くなってきたので、夏物や秋物をしまって冬物の服を全部出しました。一昨日くらいまでは薄いパーカーを羽織っていれば十分でしたけれど、今朝はさすがに寒くて厚手のパーカー(パーカー好き(^_-)-☆、)を着て愛犬の散歩に行こうと思いました。

着てみたら、ぶかぶか(笑)。そうだよなぁ、5Lだものなぁ。昨冬まではまだ肥満だったからこれで丁度良かったけれど、さすがに今の体型ではぶかぶかどころではないほど大きいなぁ、と思います。

でも、これって憧れだったんです。背が飛び抜けて大きい上に、横幅まで貫禄がついて、縦幅(?)~いわゆるお腹の出具合~も横綱並みで、とにかく大きいサイズをぎりぎり着てこれまでの人生の大半を過ごしてきたのですから、ぶかっと服を着ることにとてつもなく憧れていたのでした。だから、太っていたときの服しかない今、何を着てもぶかぶかで、実は嬉しいです。

昨日、打ち合わせで外出したのですが、久しぶりにスーツを着ました。ウエストが120cmの時に作ったオーダースーツです。もうですね、コブシが3つくらい入るほど、ゆるいです。今のウエストは正確に測っていないのですが、100cmのジーンズをはいて拳がひとつは入るくらいなので、90cm前半くらいだと思います。仕方が無いので、ベルトでギュッと締めて、余った分を後ろに手繰り寄せてごまかしてはいて行きましたけれど。。。

でも、上着はごまかしようが無いです。肩幅から横幅から、全然サイズがあっていない。傍から見たらおかしいと思うのです。自分でも鏡を見てさすがにおかしいなぁ、って思いましたけれど、それが嬉しい(笑)。こういうの、本当にやってみたかったんです。

また太っちゃったらあれだから(笑)、これらはすべて着続けようと思っていますけれど、もう断固として太るつもりはないので、やっぱり新調しなければダメか、、、と揺れ動いています。

あこがれのぶかぶかのままでいきたいのですけれど~。

2011年11月15日

正常人間

先月初めに採血した結果を、やっと今日見ることができた。忙しくて病院に行かれなくて。ずっと気にしていたのですけれど。

さっき、Twitterでもつぶやいてしまいましたが、血糖値関係も全て正常に! その他は随分前から正常なので、なんとこの歳になって正常人間になってしまいました! 嬉しいです。

なんか変だぞ~と思ったのが2008年の6月。。。ん? 3年半も経っている。。。2年半の努力が、、、とつぶやいてしまった(笑)。3年半だ、すごいなぁ。

あの時の、体のおかしさ加減は今でも覚えている。もうなんとも言い表せないダルさ、気分の悪さ、ずわぁぁぁんという、足元から込み上げてくるような不快感。初めての感覚だったし、もうこれはやばいと思って友人の開業医を訪ねた。

以前の記事にも書きましたけれど、もう完璧な糖尿病(僕は高血糖病といって欲しいと思っているけれど)。

この時点出そうだったということは、その前数年間はすでに糖尿病だったわけですから、どれだけ体が痛めつけられていたかなんて、想像するのは簡単でした。そして、そこから導き出されるのは合併症、です。

失明、足の切断、腎臓が壊れることによる透析、などなど。もう、そういう合併症にまっしぐらだったわけです。だから、今思うけれども、体ってエライなぁ、って。そういうもうこれ以上はダメだよ、っていうときに警報を鳴らすんだから、凄いなぁ、って。今なら素直に思える。

友人の指導でカロリー制限を始めてみたことは以前の記事にも書きましたが、もうそれは地獄のようでした。耐えられなくて、目が見えなくなろうが、足を切ろうが、透析しようが、もうどうでもいいというところまで追い詰められたのが昨年の春頃だったでしょうか。

カロリー制限でもちろん、一時は113kgが94kgまで減りましたけれど、そこからのリバウンドがすごかったです。これだけやっているのに正常値の一歩手前の数字だったことが、心壊れる原因でした。

それに、なんかおかしいって、ずっと思っていましたから。理屈はわかるけれど、どうしてこんなにつらい思いをしてやらなければならないのか、という強い思いもあって、いったん緊張が切れたらもうすごいリバウンドでした。

なので、諦めました、本当に。

それでもやっぱり合併症は怖い。特に失明は嫌。足も腎臓もあげるけど、目はヤだ。そう思っていました。

だから、諦めた一方でさまざま調べました。でも、方法が先じゃないんだって、わかりました。なんで自分はこうなったのか、それをはっきりさせることが大事でした。いろいろとこれまでの食生活を振り返ってみれば歴然としていて、まず「酒」、そして、「ご飯」「パン」「麺」です。「酒」とその他のどちらをやめられるかなぁって思ったら、ご飯・パン・麺を「食べない」っていう選択肢が一番だなって思えたのです。

つまり、普通にこれらを食べているのならいいのですが、僕の場合は呑んだ後にこれらをバカ食いしていたわけです。せめてそれをやめれば、という思いでした。

そういうことからいろいろ調べた結果、炭水化物ダイエットというものを知り、結局これらの食べ物が血糖になるのだということを知るのです。これが原因だと、もうはっきりと自覚できたのです。

だから、これらの摂取をやめました。完全にやめると脳みそが死ぬので、ちょっとだけ食べるようにはしましたけれど、極力食べないことにしたのです。

通常、250~350gの炭水化物を一日に摂取しなければならないのだそうです。僕の場合は体が大きいので、恐らくそれ以上必要なのだと思うのですが、僕は基本的にまったく摂取しないか、晩ご飯の時だけご飯を軽く一杯だけ、と決めて、今年の4月からそれを実行したのです。多分、多くても、一日に120g位の摂取量だったのではないでしょうか。

その結果が、今回の血液検査の結果です。原因を取り除けば状況は改善されるのだと、本当に思えた瞬間でした。

医者の言うことや、これまでに正しいと思われていることは、もちろん正しいのだと思います。でもそれは、一般論であって、人ひとり、それぞれ違うのですから、言われたことだけをするのではなく、自分で考えて対処することが最も大切なのだと、今さらながら思い知りました。

3年半前にこれにいち早く気づいていたらなぁ、、、と思います。でも、いろいろと紆余曲折があって今がある。それでいいです。それが人生です。試行錯誤して、なんとか結果を導きだす。一足飛びには行かないのだ。そういうことだと思います。

嬉しくて、嬉しくて、書き連ねてしまいました(笑)。
やったぞぉ~! ほんとうに嬉しい!

継続します!

2011年7月22日

デブな話(追記)

炭水化物抜きダイエットは果たして是か非か、検査結果が出たので記事を追加します。

なんと!
OKじゃないですか~!

昨年末の空腹時血糖値(正常値上限109)が149だったのですが、今回は121でした。そして、HbA1c(正常値上限5.8)が昨年末は7.2だったのですが、今回は6.1でした。お~っ、たった4ヶ月でこれだけ改善されている~。良いです。

しかもです。
γ-GTPとかの肝臓系の値やコレステロール、中性脂肪など、昨年末は上限値を突破していたりして結構やばかったのですが、なんとですね、すべてが正常値です。しかも、上限をはるかに下回っているまったくの正常値という快挙です。

え~、なんかすごい。

人それぞれに太ってしまう原因がありますので、必ずしも炭水化物抜きダイエットが良いと決められるものではありませんけれど、僕のようにご飯とパンと麺が超大好きで、それが原因だと思い当たる人は試す価値アリと思います。

うーむ。
食事制限ダイエットに比べてこれほどに効果が顕著に現れるとは。。。

正直、嬉しいっす。
これからもがんばろう~

2011年7月12日

歳を取るということについて

暇に任せて先日blogに「デブな話」という4回連載記事(長っ!)を追加したりしましたが、カテゴリ設定するのを忘れていたことを思い出し、記事のリスト画面を出したらなんと。「歳を取るということについて」という書きかけの記事がありました。

一月のことのようで、うーん、そういえば、酔っ払ってTwitterで「年を取ることについていずれ書きたい」などと呟いたことを思い出し、ああ、その時に勢いで書いた記事か、と思い出したわけです。

確かですね、その後は怒涛の仕事ラッシュでもうめちゃくちゃになったので、そのまま忘れちゃったんですね、はは。

なので、本文中と今の時制は合いませんが、1月に書かれたものと思って読んでください。後半部分は今日、記事を読み返した上での追記です。

---本文ここから---


何日か前にテレビで昔のヒット曲特集をやっていて、奥さんと一緒に飲みながら観ていたわけなのですが、やはり曲ごとに当時のさまざまな出来事が思い出され、感慨にふけったりしたわけです。


まあ、いつもならそれで終わりですが、1月生まれの自分は今月また一つ歳を重ねるので、いつも以上に「歳を取る」ということについて考えてしまいました。


四捨五入したらもう50歳だよ、なんて45歳の時には笑っておりましたが、それから年月も経ち、45と50の間くらいの年令になってしまうと、マジで50歳が近づいてきているなぁ、と思わざるをえないのでした。


100歳まで生きることができるとして折り返し、ですが、平均寿命で考えれば残り20数年です。しかし、自分より年が上の方々だからこその現在の平均寿命であって、自分たち世代の平均寿命は、食べ物の欧米化や添加物・保存料などの蓄積もあって、先の世代よりも短くなるのではないかという話を以前に何処かで読んだ覚えがあり、もっと短いのではないか? と思ったりもしています。


そうすると?
10数年くらいしか残りの人生がないのかぁ、と思うわけです、はい。


ここでひとつ、変な話をします。
17歳の時にインスピレーションがあり、「ああ、人生の1/3が終わった」と認識しました。。。変な話で恐縮ですが、インスピレーションというのは、理由も根拠もなく湧き出るものなので、そのように認識してしまった17歳の自分はしっかりとそのことを記憶に刻み、その後、齢を重ねてきたわけです。


自分の人生は51歳まで、というインスピレーション。
正しいかどうかなんてわかりませんが、とりあえずそういう事もあって、残りが少ないなぁ、と思っている次第です。


でもですね。
とりあえずここまで生きてきたことは確かだし、そして、ここまで生きてきたという現実を元に考えると、この先、何歳で死のうが大して変わらないんじゃないか、と思うのです。元気な心と体のままで100歳まで生きられるならいいですけれど、ヨボヨボになって体も効かず、心は枯れて生きて行くなんて、ちょっと想像ができないです。


そして、ひとは必ず、いつか死にます。この広大な宇宙において、それだけは絶対に100%実現される確かなことです。だからこそ、一所懸命に生きるし、生きてきたし、歳をとったからと言って、いちいちそのことについてぐじぐじと考える必要もないだろう、と思ったりもします。


ですが、現実として自分がこのような年齢になると、ああ、自分もやっぱり歳を取るんだなぁ、と変な実感があるんですね。いつまでも若いつもりでいますから、なんとなくそういった感覚と実年齢が、実は自分の中で上手くバランスが取れていないというのが本音です。そして、いつか必ず、自分もこの世から退場せざるを得なくなるということが、妙に現実的に感じてきているのです。


たしかに自分は歳を取りました。思い返せば、人ひとりの人生において、すべきイベントはほぼ全てこなしてきたかなぁ、と思いますし、残すは子供たちが無事に成人することくらいでしょうか。



---ここから追記---

4つ年上の知り合いが今、余命数ヶ月と言われています。人工呼吸器につながれて病院で身動きできずという状態です。

いずれ自分もそうなるのだと、もしくは突然の事故とかで、いつか必ず自分も居なくなるのだと、現実的に意識しだしたのは果たしていつごろだったでしょうか。

14歳の時に父親を事故で亡くしているので、死に対する意識というのは現実的に捉えることが出来ていて、結構その類の考え方というのは自分なりに深いものを持っていると思っています。

生まれ出て、自分が居なくなるまでの時間は人それぞれです。歳をとって振り返ってみれば、生を受けてここに存在しているその間に何をすべきか、ということに集約されるのではないでしょうか。

そうは言っても、話は簡単ではなく、与えられた環境と世の中の移り変わり、そして、自分の個性や能力といったものは、もう本当に人それぞれで、何をすべきかとか何かをしたいとか、まったくもって個人の問題なのですね。

すべきことと思えたことが、もしかしたら社会に反することかもしれない。なんか、役立っちゃったかもしれない。全然意味が無いかもしれない。若い頃は自分と社会という対象の上でなんとなく手応えが感じられないものだから、悲観的になったり、空しくなったり、するのだと思います。

ポイントは、いかに自分の適性を知るか、ということであり、自分のしたいことが何であるかをなるべく早い段階で認識出来るか、ということなのではないかと、おじさんになってしまった自分は思うのです。

そういう意味で、僕はまっすぐでした。歳をとったから、まあ、ちょっと偉そうなことを書きますが、10歳くらいの時にはすでに文章を書く仕事をしたいと決めていました。それは、例えば小説家だったり、作家だったりといった、いわゆる文芸的な方面におぼろげに憧れるという程度のものでしたが、とにかく文章を書くんだということだけは決めてしまっていたのです。

まあ、実は野球が好きだったのでプロ野球選手にも憧れたり、音楽が好きだったのでバンドを組んだりしてミュージシャンを目指したりもしましたが、どちらも適性がないことはすぐに分かったんですね。

Twitterのプロフィールにも書いてあるように、僕はスポーツに適した体を持っています。でもなぜダメか。「勝ちたい」って思わないんですね。よく、心技体といいますが、一番大事な「心」が勝負向きじゃないんです。

音楽にしても、頭で考えてギターを弾くような理詰めな性格ですから、曲をコピーするのはいいけれど、創作なんて無理無理です。アドリブなんて無理ですから。

そうやって自分を仕分けていって、やっぱり結局、最初に決めてしまった文章を書いて生きて行くんだ、というところに落ち着くわけです。

(いやいや、偉そうに書きましたが、ここまでの人生、それはそれは、もうハチャメチャですから)

(。。。いずれそのあたりも書きたいですが)

なんだか長くなってとりとめがなくなってきたので、強引に終わらせますが(笑)、要は「短い人生、やりたいことを一所懸命やれ」。ただそれだけなんだよ、ってことです。

僕は笑って死にたいです。死ぬときに後悔があったら嫌だと思っています。でもそれって、日々一所懸命生きてこないとかなわないことだと思うのです。

若い頃は、こういう話をすると周りは笑いました。でも、今この歳になって自分は正しいと思えています。僕の歳のとり方というのは、そういうものなのです。

もちろん、日々の出来事の一つ一つで失敗したり後悔したりすることは少なくありません。でも、そういったダメな出来事も歳をとるに連れてリカバリーする方法とかを編み出せます。そうしてだんだんと自分の道が納得のいくものに近づいてきて、やがて自分の世界は自分が納得出来るものになっていくのではないでしょうか。他人がどう思うかは別の話です。

時間は止まってくれません。今この記事を1文字書いているその1秒だって、自分が居なくなるその時に近付いている証の一つなのです。

そう思ったら、なんで一所懸命やらないかな、なんで好きなことを自分の好きなようにやらないのかな、って考えると思うのですが。。。僕以外の人々がどうあれ、僕はそうしてきました。そしてここまで齢を重ねてきたのです。

これからもずっとそうしていきます。
あとどのくらい残っているのか知りませんが、たとえ突然の事故で即死だとしても、その瞬間に僕は笑って終わりたいです。

言いたいことがあまりうまく表現できませんでしたが、後悔するくらいなら一所懸命やりたい、そう思えるような年のとり方がいいですね、ってことです。

うーん、まとまらん。
でもおしまい(笑)。

2011年7月8日

デブな話(完)

結局のところ、自分はなぜ太ったのだろうと考えたとき、「ご飯」「麺」「パン」が大好きだからじゃないのか、と思い至ったのです。これらは全て炭水化物であり、摂取すると糖になります。そして、糖尿病というのは突き詰めれば膵臓が疲れちゃってインシュリンが出せない状態なのですから、これらを摂取しなければ良いのでは? と単純に思ったのですね。

食事制限ダイエットでも、炭水化物は最重要の栄養素なので、2000kcalに含まなければなりません。で、ご飯と麺とパンが好きな僕は、制限の中でのこれらの比重は自ずと高めになる、という傾向がありました。

だから、いくら体重が減ったって、血糖値が下がらないじゃないの?
ということです。

今また思い出しました(笑)。
晩酌後の話(笑)。

ふと見ると、パンがあるんです。
まあ、どこの家庭でも、パンは置いてありますよね。
手軽に食べられるし、朝食用にかっておいたりしますよね。

それを。
たっぷり呑んだり食べたりしたあとに。

書かなくてもわかると思いますが。

ホテルブレッド一斤食べちゃったり。
クリームパンとあんドーナツとチョココロネを食べちゃったり。
ああ、そういえば、アイスも好きだったなぁ。。。
レディボーデンの大きいやつをひとつ全部食べちゃったり。。。特にストロベリーが好きだった(笑)。

ま、それはそれとして。

炭水化物を摂取しないというのは果たして大丈夫なことなのだろうか、とまた懸命になって調べたところ、実践している人は結構いるんですね。ただし、糖を使うのは脳ですから、全然摂取しないというのは脳に障害を起こす可能性もあるとのことで、でも、とりあえず始めた当初は、全く「ご飯」「麺」「パン」を食べなくしたんですね。

。。。
まあ、苦しかったです。

炭水化物ダイエットのメリットは、炭水化物「以外」はすべて制限無く食べて良いことにあります。もちろん、プリンとかアイスとか糖分を含むものはダメですけれど。

ですから、肉とかおつまみ系とか、カロリーが高くて食べていなかったものを復活して良いわけで、もうむさぼるように食べたですよ、はい。

でも。
わかりますでしょうか。。。

そういう「おかず」ばかり食べるって、無理があるんですよ。。。

必ず、ご飯が欲しくなります。
必ず、パンが食べたくなります。
必ず、麺をすすりたくなります。

最初の一週間はもう、気が狂いそうでした。
炊飯器の前でずっと立っていたり、パン屋の前で立ち止まったり、ラーメン屋を覗き込んだり。。。マジです。

しかし。
それを乗り越えるのは、食事制限ダイエットよりもはるかに楽でした。
一週間を過ぎた頃、なんだか大丈夫になってきたんですね。

食事制限中は、気が狂いそうになるほどマクドナルドが食べたかったり(ビッグマック大好き!)、カルボナーラを3人前食べたかったり、吉野家の牛丼特盛が食べたかったり、坦々麺が食べたかったり、それを我慢するのがきつかったんです。

でも、炭水化物ダイエットでは、「おかず」部分は食べられますから、そういう食物に対する「枯渇」した感じがないのです。

ただ、主食を抜く、というのは尋常ではありませんから、体の奥底から、そして全ての細胞が、炭水化物を求めるんですね。

でもやがて、それも収まりました。
そうすると、不思議なことに、あまり食べなくなります。

最近の僕の食事は以下のような感じです。

早朝に起き、インスタントコーヒーを水で溶かして氷を入れ、牛乳をとっぷりと入れる。もちろん、砂糖は入れません。
お昼頃に、だいたい次の組み合わせで食事をします。
ハムとチーズと豆腐と納豆。
卵焼きとシーチキンとコンビーフ。
あとは、ソーセージを焼いたりとか。
野菜があれば、レタスでもキャベツでもなんでも食べます。
そして、インスタントですが、わかめスープとか、とにかくスープを一杯呑みます。
これでもう、晩酌までOKです。

晩酌時は、もちろん呑みながら(笑)、食卓のものを制限無く食べます。でも、それほど食べません、最近は。そして、夜だけはご飯を少し食べることにしています。脳みそが逝っちゃいますので。

日中のおもり装着も復活させました。

その結果、4月に始めたときの体重が105kg(パスタのせい!)でしたが、今大体96kg~97kgくらいです。うちの体重計は一応体脂肪率が出るのですが、20%くらいです。キン肉マン(笑)。

鏡で自分を見ても、食事制限で痩せたときの自分とは体の形が違います。なんか、骨と筋肉の間とか、内臓と内蔵の間に挟まっていた脂肪がとれた、って感じです。

そのせいか、キシキシするのですが、、、肩が。。。
ま、でもこれは、四十肩か(:_;)。

今のところ、順調に体重は減っていますが、実はこの半年、検査を受けていません。ですので、ダイエットの成果なのか、病気が悪化して痩せたのか(こ、怖い)、分かりません!

この前、友人の医者のところに久しぶりに行き、血液検査をしまして、いま結果待ちです。これで血糖値はHbA1cが下がっていれば、ダイエットの成果です、と言えるのですが。。。

悪化して痩せたのであれば、もう、これも仕方がないと思っています。
でも、炭水化物抜きによるものだと信じています。

まあ、あまりよいダイエット法ではないと正直思いますが、僕には適している気がします。とにかく食後に眠くなることなんて、全くなくなりました。それに、なんか、元気なんです。体重が減りましたが、元気さは増えているように思います。筋肉も食事制限の時より増えているので、力も強くなったですし。

世の中にはいろいろな事情でダイエットをする方々がいると思いますが、やっぱり自分に適したダイエットを選択するのが一番なのではないかな、と思ったのでこの記事を書きました。

長いよ~
という文句は聞きません(笑)。
仕事が暇になって、なんか書きたかったんですから(笑)。

また、ネタがあったら書きますね~
ではでは~

デブな話(3)

自分で自分に注射するなんて無理ですから(-_-;)。
そんなことを言っていられない状況だったのですけれど。

医者の友人は、「食品交換表」なるものと、ダイエット食30日分をプレゼントしてくれまして、「1日に2000kcalまでだからな」と言いました。

僕は「食品交換表」で2000kcal分の食べ物を研究しまして、、、て、、、てぇ?!
す、少ないぜ!

しかも、酒一杯が200kcalって。。。呑むなってことじゃん。

合併症を取るか、酒を取るか。。。
いやいや、それを天秤に掛けるなって話ですが(笑)。

その日から、2000kcalの食生活を始めたのですが、無理ですって、まじで。
酒もやめたんですよ~

僕は決してある中にはならない体質のようで、酒は大好きで毎晩たっぷり呑みますが、飲めない事情があるときは、飲まなくてもぜんぜん大丈夫です。呑みたい~とはならないんですね。たばこはダメですが。。。(悲)。

ですから、酒をやめるのはまあいいと。
でも、食べる量と食べられる「モノ」が限られることは相当にストレスでしたね。

でも、合併症を選ぶわけにはいかないので、食事制限をし、ウォーキングを始めました。しかも、筋肉を付けると脂肪が消費されやすくなるというので、右手と左手に1kgのおもり、そして、右足と左足に2kgのおもりをつけて、もうそれから毎日1時間は歩きました。しかも、おもりは起きている間じゅう、ずっとつけっぱなしでした。

力はそこそこあるものですから。。。

仕事の環境という意味では、当時は会社に所属していたのですが、仕事柄ずっと自宅で仕事をすることもあり、ウォーキングの時間を取ることは可能でしたし、打ち合わせで出かける時などはもう「よし、たくさん歩けるぜ」みたいに、嬉々としたりして(笑)。

そしてその頃の体重は、113kgだったのですが、10ヶ月くらいで8kg減ったのでした。
でも、ダイエットを始めたのが6月ころで、夏は糖分ゼロのビール350mlを1ケース呑んじゃったり、焼酎は糖分がないとわかるやいなや、もうカロリー計算に入れないことに自分で決めちゃって飲みだしちゃったり(笑)、真面目にやり続けてたわけじゃないです(笑)。

でも、実は挫折しました。
HbA1cという血糖値の推移を見るもっとも重要な検査項目があるのですが、正常値の上限が5.8で、まずそこにたどり着くことが目標だったんですね。

結構、気持ち的には限界に来ていたある日、検査結果が「5.9」で、本来だったら「よし、もう少しだ」と思わなければいけないところを、なぜか「これだけやっても正常値にならないのかよ!」といきなりぶちきれたんですね。自分でもその時の感情がよくわからないのですが、食事制限のストレスが限界だったように思います。

で、食べました(笑)。
もう、いい、と。

腎臓、バイバイ。
足、切っちゃえ。
目が見えなくなると、こんな感じなのかな、って暗い部屋で目隠ししてみたりとか。

もう、こうなると体重はあっという間に戻ります。
103kgくらいで高止まりしましたけれど、食生活はダイエットには程遠い状態になりました。

もちろん、日々、心は揺れ、やっぱり頑張ろう、とか、いやいや、どうせ無理じゃん、とか、思いつつ、でも怖いから、食卓に並んだ食べ物を一応チョイスして食べたり(笑)。
まあ、尋常じゃないんです、神経が。

で、こんな生活が正しいあり方なのか、と。
だって、子供の頃から、「たくさん食べて、元気に大きくなるんだよ」って言われ続けたんですから。

根が素直なので(笑)。
元気に大きくなったんですが(爆)。

他に手はないのかよ~と、ネットで本当にたくさん調べましたね。
今でも悔しいのが、パスタダイエット、です。

パスタは、糖分の吸収が緩やかなので、うんたらかんたらと書いてあり、そう言われれば、やって見るじゃないですか。毎日パスタ(笑)。2ヶ月くらい続けましたかね。体重が105kgになるわ、なんだか食後にやたらと眠くて仕事にならないわ、ふんだりけったりでした。

食物繊維をたくさんとってみたり、青汁を呑んだり、クロレラ呑んだり、色々しました。でも、全部、ダメです。

最初のカロリー制限の時も、ヤセはしましたが、不健康になっていくようで不安で仕方がなかったです。だって、暑い夏に寒かったんですから。僕はもともと暑がりで、冬が一番好きだというくらいなのに、真夏に汗もかかず、エアコンつけると震えるようになってしまったんですね。そういう不安感もあって、元気じゃない自分は行きている意味があるのか? なんて思ったりもしたわけです。

だったら、インシュリン打てよ、って話ですが、それはなんか、諦めてしまったみたいでどうしても嫌で、何とか納得出来るダイエットはないかと、それこそ捜し続けたのです。

で、見つけたのが炭水化物抜きダイエットでした。

やっと本題だ(笑)。
そして、やっぱりこの記事で終わらなかったっす~。
次でまとめよ~。

デブな話(2)

投稿した記事を読み返して、自分で気持ちが悪くなりました(おえ)。
今では信じられない食生活です、酒以外は(笑)。

つぶさに自分の記録(笑)を書いていくとキリがないので割愛しますが、社会人として決して順調ではない道を歩んできたそのなかでも、呑むことと食べることに関しては人3倍(人一倍ではない)、いや、人10倍くらいは時間とコストと健康を費やしてきました。

もともと体は丈夫で、呑み過ぎ・食べ過ぎでも大丈夫なんだ自分は、と思っていたフシもあり、30代になっても衰えることなくこのような食生活は続き、体重はもうそれ以上には増えたりしませんでしたが、やがて後輩とか部下とかを連れ回すようになっても様子は変わることなく、若者よりも呑んで食べていたんですね。

今思い出したんですが。。。
土日とかは、家で晩酌するわけですよね。
たっぷり呑んで、たっぷり食べているわけです。
でも寝る前になって、「ピザ食いたい」とか思うわけですよ。
で、デリバリーピザに電話して、もちろんLサイズで(笑)、しかもそれをひとりで食べちゃう。

そう言うのが全然平気だったんですよね。
決して、大食い選手権に出られる程ではないのですが、通常の社会の中では食べ過ぎです。

しかし。

35歳くらいから様子が怪しくなってまいりました(笑)。
それまでは、いくら呑んでもヘッチャラだったのに、酔うようになりました。そして、呑んだあとに気持ち悪くなる時も度々あり、うーん、さすがになぁ、という状況になりました。

健康診断の結果は悪くなく、すべてが正常値だったのですが、なんかやな感じになってきたんですよね。日々、いつもどおりに呑んで食べられるのですが、だんだんとその量に体が負け始めてきているというか。

これが歳を取るということか、なんて思ったことを覚えています。

そしてとうとう(:_;)。
40過ぎてから爆発します。
いや、爆発じゃないか。

40をいくつか過ぎた頃に、なんだかやけに体が重くて、うーん、これは経験したことのないだるさだ、と思った僕は、忙しい仕事すべてをキャンセルして友人の医者を訪ねました。

もう、診察前の尿検査で一発でしたね。
糖尿病。。。

ところで、この「糖尿病」って名前、嫌じゃないですか? 血糖値が高い病気なのに、なんで「尿」がクローズアップされているんでしょうか。高血糖病とかにして欲しいです。その方が対処しすいのに。。。

ま、そんなこんなで、友人は血液検査をするまでもなく、診断を下し、血液検査の血糖値を見たとたん目を剥きました(笑)。

お前、、、どんな生活してたん?
はあ、これこれで、、、。

絶句。。。

みたいな(笑)。

その場で、ダイエットについてコンコンと説明され、体重を減らすことを厳命されました。現時点でこの数値ということは、すでに数年前から発症していたのは明白で、もしこのままの食生活を続けた場合、まず腎臓がやられる、と。もって7,8年だな、言われました。

腎臓があと7,8年?
その後は?

決まってんだろう、透析生活。

絶句。。。

みたいな(笑)。

他にも、足を切断、だとか、失明する、とか、合併症の説明をされ、もう心は地に落ちました。。。

そうはいってもですね~
カロリーを減らすって、大変なんですよ~
そもそも、カロリーなんて気にしたことなかったですし~

勉強しましたよ、カロリーのこと。
愕然としましたね~
それまでの僕の食生活って、1日にへたすると1万キロカロリー摂取したりしていた模様です(・_・;)ビックリ。

よくもまあ、40歳前半まで元気でいられたものだと、それもびっくりですが(笑)。

インシュリン打つか~
と言われ、
嫌だ~
と言い、
じゃあ、ダイエットな、
と言われ、
はい、と答えた僕でした。

また長くなってしまいました。
前置き長いぞ~
でも、前提は大事ですから~

次の記事で終りにしようっと。終わるかな。

デブな話(1)

仕事の納期が延びた関係で、急にここ数日は暇になることになってしまい、「仕事するぞ~書くぞ~編集するぞ~」という気持ちをどこにも持って行けなくなっちゃった(笑)。で、半年以上ぶりにblogを更新することを思いついた次第です、はい。

でもなぁ。
昨年の夏から仕事と犬の散歩と呑むことしかしていないので、話題がない、、、。あるとすれば、4月ころから始めた炭水化物抜きダイエットで順調に体重が減ってますよ~ということくらいかな。

ダイエットの話をする前提として、それはもちろん、デブな自分のことを書かなければいけないわけで、そうすると話はざっと二十数年前にさかのぼってしまうのであった(・_・;)。

社会人になる前、僕の体重は78kgでした、って、えっ! そんなに痩せてたの?! と、必ず相手に言われます。痩せている僕をイメージできないらしいです。192cmで78kgといったら、ちょっとそこら辺りの電信柱とタメを張るわけで、高校の武道の授業で柔道を選択していた僕は、受身の練習をしているときに「お~、電信柱が倒れるみたいだな~」と先生にからかわれたものでした。

それがなんで太っちゃったのか。
確固たる原因がございます、はい。

社会人1年目から、毎晩最終電車で帰るような仕事をしていて、それはもう、「社会は厳しいなぁ」とストレス受けまくりでした。もちろん仕事も厳しく、クライアントもまたこれが、、、思い出しても涙が出てしまうほど怖くて、とりあえず酒は強かったものですから、最終で家にたどり着いてから豪快に呑んで食べるわけです。

帰り道にある深夜スーパーで、安いウィスキーと500mlのビンのコーラやスプライト、そして、サラミ・チーズ・ナッツ・サンドイッチ3つ・甘いもの・その他乾き物などなど買い込んでは、夜な夜なウィスキーのコーラ割りとかを呑んじゃって、バクバク食べてたんですね。

仕事でも、勉強だと言われて接待に連れ出され、たくさん呑んで食べるとクライアントが喜ぶものですから、それはもう「タダ」だし、呑んで食べて呑んで食べて深夜タクシーで帰宅なんてこともしょっちゅうだったのです。しかも、外で飲んだときは必ず締めで何かを食べたくなり、大盛りラーメンと餃子とライス、とか、牛丼特盛卵2個とか、カツ丼大盛りとか、すごかったんです。

接待の場でもすごかったです。
日本酒熱燗2合徳利を夕方5時から夜中の3時のあいだに21本、とか。。。
居酒屋でメニューを開き、「右ページのこの資格の中に書いてあるメニュー「以外」全部ちょうだい」、とか。。。
ランチタイムに、ご飯おかわり自由で、最初におひつで持ってきてくれるんですが、そのおひつをおかわりしちゃったり、とか。。。
弁当屋で済ませる時も、のり弁+かき揚げ丼+いなり寿司3個セット+コーラ500ml、とか。。。

社会人2年目で体重は、120kgになっていました。
1年でスーツを3回買い直しましたし。。。
ウエストは120cmになっちゃったんですね。
痩せていたときは記憶が朧ですが、80cm内外じゃなかったかと。。。

たった1年でよくもまあそれだけ太れるものだと、感心しました(笑)。

長くなったので、記事を改めます。
うーん、書いていて虚しいぞ(笑)。

2010年12月19日

すっきりしません

なにやら気分がすっきりとしないのは何故なのだろうとずっと考えています。仕事が忙しければ、気分など度外視で仕事に集中するのですが、今、たまたま体が空いてしまっていて、気持ち的にもリフレッシュモードだから、余計なことを色々と考えてしまうのだとは思います。


具体的な事象も何もなく、だらだらと書きます。


はっきり言って、気分がすぐれません。モヤモヤっとしています。胃が重いです。もちろん、なんの問題もなくこんな事にはなったりしません。色々と、モヤッとした問題があるから、グレーな気持ちになるのです。


具体的にはかけませんが、この先の人生、とか、現実的な今の生活は大丈夫か、とか、俺は本当にダメなやつだなぁ、とか思ってみたりと、何でもかんでもネガティブに考えてしまう、そんな感じです。


誰にだってそういう時はありますよね?
こういう事の一番の理由は、何かしらの不安があるからです。ではいったい、僕は何を不安に思っているのかということです。


それがわかれば苦労しません(笑)。


漠然とした不安がいくつもつきまとっていて、多分これはうまくいかない、とか、こんなことをしてしまって俺はまったく、、、とか、ああだいじょうぶだろうか・・・とか、そういった類のものです。


なんだろう、本当に・・・。
ひとつ、ふたつくらいの不安なら、こんな風にはならないと思います。なんだか、いくつもの大小様々な「漠然とした不安」がポツポツと近くにあるから、こんな感じになってしまっている気がします。


自分のこれまでの生き方がダメとか、考え方がおかしいとか、他の人への対応の仕方が間違っているとか、そういう明確な理由なり根拠なりがあれば、対処のしようもあると思うのです。でも、そういうものじゃない。はっきりしなくて、「うがぁっ!!!」と叫びだしたくなる、そんな気分です。


不安があっても、対処方法を考えることができるのならば、こんな風にはならないだろうなって思います。なんだか捉えどころがないから、ぽわ~んと無重力空間に放り出されてしまい、周りに不安という風船がプカプカ浮いている、そんなイメージです。捕まえて、割ってしまえばいいんだけれど、自由に動けないし、不安風船も勝手気ままに動いているし、ただただ無力感に苛まれ、疲れていってしまうのです。


ずっとずっと、いつも一所懸命考えて行動して生きてきましたけれど、別にその結果である現在の自分が正しいとも間違っているとも思いませんけれども、身につけてきた様々なスキルや能力とはまったく別の世界に自分の本体はあるものなので、いざ、こういう気分になったときには、構築してきた自分の武器って、あまり役に立ちません。


。。。誤解のないように書いておきますが、死にたいわけじゃありません。元気に前を向いて、粉骨砕身で仕事をするし、いろいろなことを真剣に考えていこうって、思っています。それでも、なんだか、落とし穴に落ちてしまったように、こんな気分になることがあるんです。不思議な話です。


blogっていいな、って思います。こういう時、好き放題、思ったままを書けるから。


さて、どうしようか~
酒のんでも駄目だろうなって思うし~
もうたくさん寝たから、眠って忘れるということもできそうにないし~
不安を忘れちゃえ、とか思いますけど~
忘れられるなら、こんな事書かないし~


ふっふっふ。
駄目だ、これは・・・


最後の手段かな、これは。
さて、最後の手段とはなんでしょう?


答えは・・・
「逆切れ!」


こんの野郎! 俺を不安にさせているのはいったい何だ!
こぉらぁ~! ぐがぁぁぁぁぁぁ!!! ふざけるな~!


って、相手も見えない状況で、切れまくるっていうのが最終手段です(笑)。
ヾ(゚Д゚ )ォィォィソンナアホナ


そんな馬鹿なことを考えなくていいように、早くまた忙しくなりたいです
(´・ω・`)。


さ~ってとぉ!
好き放題書いて、少しすっきりしたから、呑むか~
ってまだ夕方だった~


駄文ですみませんでした~m(_ _)m




2010年12月15日

ブログを移行しました~思うこと


Windows Liveから強制移行でWordPressを使わざるを得なくなってから3ヶ月弱。もう限界です。何が限界かというと、サーバーの反応が悪すぎて、いちいち「待ち」の時間が発生し、もうイライラが限界突破しました。

サクっと、どこかいいところがないかなぁ、と調べたところ、自分的には灯台下暗し、といいますか、Googleにブロクサービスがあることを発見し、そちらに移行しました。サーバーの反応も早く、記事も書きやすいので、Goooooood! と思っております。

実は、ブラウザもGoogle Chromeを使っていまして、メールもGmailを使っています。プロバイダメールもあるのですが、メーラーを立ち上げるのが面倒で、だんだんとGmailに移行しつつあります。iGoogleもウィジェットが充実していて良いと思いますし、なんと、日本語入力システムもあるんですね、びっくりしました。これもなかなか快適です。

しかも、すべてが無料だものなぁ。日本語入力なんて、ATOK以外に使えるものなんてない、と思っていたのですが、これだけ使える入力システムが無料となると、パソコンのツールにおカネを払うこと自体が馬鹿らしくなってきてしまいます。

Andoroid OSも無償で出てくるようですし、今後のパソコン世界はGoogleが席巻しそうです。Microsoft、大丈夫か? うん、多分もうダメでしょう。Appleはまあ、独自の道を歩んでおりますが、パソコン世界ではちょっと、、、という感じです。

Googleがこれから成長するためには、Adobeがほぼ網羅してしまったDTPの世界をどうやって取り込んでいくかという戦略が必要になるでしょうね。個人的な予想ですが、いずれ、AdobeのInDesign、Photoshop、Illustratorといったツールと同等のものを無償で提供するようになるんじゃないかと思ってしまいます。そうなったらもう、Adobeもおしまいです。

僕は別に、MicrosoftもAdobeも嫌いではありません。だらしないと思っているだけです。たしかに、あれだけの大きな会社ですから、収益が大事なのはわかりますけれど、あまりにも保守的すぎて、ユーザーに負荷をかけすぎている気がしてならないのです。このblogの最初の方の記事にも書きましたが、ユーザーを軽く見ているフシがあって、どうも頼りないんです。

Googleのビジネスモデルって、かなり独特ですよね? それが今、とても良い方向に進んできているし、ユーザーの負荷が殆ど無い状態で様々なツールを提供する唯一の企業だと僕は思うのです。こういう企業こそ、さらに成長して欲しいし、もうパソコンの世界を制覇してしまえ、くらい思ってしまいます。

AdobeもMicrosoftも、今更ビジネスモデルを変えられないでしょうから、これから苦しいと思いますよ、まじで。




2010年12月12日

モノの値段


車のバッテリーが上がってしまったので、気持ちが憂鬱になっておりました。バッテリーって高いですし、、、。以前に乗っていたステップワゴンでは、ディーラーで交換したときにはなんと、工賃込みで¥30,000もしたことがあり、ぎょえ! っとなっていたのですが、今年の初め頃に、やはりステップワゴンでバッテリーが上がってしまったときには、JAFにお願いしてみたところ、工賃はもちろん会員なので無料で、バッテリー本体が¥17,000とのことで、おおっ、それは安い、と思ったものでした。

でも、今乗っている車は、一応スポーツカーなので、バッテリーは高いだろうなぁ、となんとなく危惧していて、車関係はなんとなくオートバックスで、という頭もあったものですから、調べたところ、なんと¥28,000もするではないですか! しかも工賃が別でかかるし、もうバッテリーが上がっちゃってますから、オートバックスまで持って行かれないし、これはまたJAFだな、と思ったとき。

うーん、人任せにせず、自分で交換しようと、今更ながら思ったのでした(笑)。

なぜ、人任せにしていたかと言いますと、、、恥ずかしい話ですが、、、自分、不器用なんです。。。何かをしようとすると、必ず別の何かを壊すという、優れた特技を持っており(笑)、やりたくないんですね、実は。そしてまあ、一応、大事な車なので、自分でやってみたら、ほかの何かが壊れた、なんて、しゃれにならないので。。。

しかも、この車のバッテリーは、とてもすごく変な位置に付いていて、エンジンルームを開けて、自分でできるかどうか確認してみたら、うーん、微妙。。。ステップワゴンみたいに、手前にただぽつんと付いていればいいのに、右奥にカバーが付いて鎮座ましましているわけです。カバーを開けたら、またこれが、取り出しづらいのが一目瞭然。。。でもまあ、試してみたらできそうな気もするので、一念発起してネットでバッテリーの通販を調べました。バッテリーの型番をGoogle検索して一番上に出てきたところでいいやと思い、つらつらとWebを見てみました。

そうしたら!
なんと安いのでしょうか。¥8,900ですって!
定価¥31,500のバッテリーがですよ?
しかも、送料無料!
古バッテリー回収無料!

信じられな~い 、と思いつつも、この時点で自分で交換することに決定(笑)。早速注文しました。

注文確定メールによると、在庫がないのでひとつ上のクラスのバッテリーを同じ値段で発送しました、とのこと。おおっ、ラッキー。容量が少し大きいタイプのようで、この通販サイトで¥9,800のものでした。定価が¥39,800。。。どうして? と思いますが、まあ安いんだからいいでしょう。

。。。まあ実は、これが言いたくて書いている訳じゃありません。もちろんこれだけでも「モノの値段って、いったい。。。」という話ですが、まだ話は続きます。。。

先ほどバッテリーが到着しまして、格闘すること20分。何とか無事交換を終え、すばらしい勢いでエンジンが始動し、なんだか久しぶりに達成感を味わい(笑)、幸福感に満たされていた自分でした(爆)。

古バッテリーを箱にしまって自分の部屋に引き上げ、なんとなく、送ってもらったバッテリーの性能を見たくてGoogle検索したところ、、、なんか、どきっとする文字が。。。

¥5,980?

見間違い、だよなぁ、とクリックすると、なんと~同じバッテリーが¥5,980で売ってる~
さらに検索結果を追ってみたら、はい、ご想像の通り、さらに安いところがあり、なんと¥4,980で売ってました~

。。。なんなの、いったい。

これこそが、モノの値段って、、、という話でした。

まあ、そうはいっても、安いところは回収してくれなかったり、送料がかかったりするので、それはいやだなぁ、という思いはあり、また、ページがいかにも通販ショップらしい作りで、大丈夫かな、なんて思ったりしてしまうところだったということもあり、まあいいや、と思っています。今回購入したところは、説明がすごく丁寧で、バッテリー交換方法をYouTubeに紹介していたりとか、まあ、そういう意味で企業努力をしているなぁ、と感じたので、値段よりはむしろ、、、と自分を無理矢理納得させてます(笑)。

しかしまあ、定価数万のものが数千円で売られる世の中って、正しいですか?
というか、そもそも、定価が間違っているんじゃないの? って思いませんか?
さらに言えば、ディーラーやカーショップの値付けそのものもおかしいんじゃないですか?

そんなことを考えつつ、なんだか、もっと調べればもっと安く買えたのに~という後悔のような感情がわき出すと同時に、世の中のさまざまなモノの値段って、「デフレ」だから安いとかじゃなくて、そもそもの「価値」のとらえ方や考え方がおかしくなっている、そんな気持ちにさせられた出来事でした。

少しでも安く買えれば、それはうれしいけれど、本当は高いものが安く買える世の中って、なんか違う気がします。
。。。本当は何でもかんでも安いんじゃないの? (疑)。

ははは。。。